①粗筋
苦労人の営業課長。下請けネジ工場。退社寸前の女子社員。傲慢な経理課員。再帰を狙う窓際族。何故か首にならないグータラ係長。グループ企業の長。七様の社員の仕事から浮かび上がる不祥事の正体とは…。
②池井戸小説おさらい
https://magiclazy.diarynote.jp/201806180014188395/
詳しくは「空飛ぶタイヤ」評の日記を見て欲しいんですが、池井戸小説ははっきりとした癖があります。今作「七つの会議」を、上では「泥水系」と類型しました。主演の野村萬斎・香川照之もインタビューで「スーツを来た侍の時代劇」と語っている通り、個人の思惑に組織の論理が優先され、各々の人生は流転していく。
③テレビ屋映画の悪癖と免罪符
感情思考を全部台詞で説明する、大声で泣き叫ぶ、回想で丁寧に2度説明する…。これらをテレビ屋映画の悪癖として貶す流れはあります。でもそれは青春ドラマや恋愛劇といった、登場人物が少なく心の機微をこそ本来楽しむべきジャンルでだからです。
池井戸先生の企業小説はロシア文学のように登場人物一覧表が長い。おまけに企業・部署・役職と肩書が複数ある上、映画なので小説のように振り返ることが出来ない。加え、原作小説は章ごとに視点が峻別されており、その時々の話者の考動が分かり易かった。それを2時間映画に落とし込むには同時進行の群像劇にせざるを得なかったため、説明による簡略化は妥当な方法でしょう。寧ろ一本化させた脚本家の手腕は相当なものに思えます。
現実にあったら即労基・人事部に駆け込むようなパワハラ・舐めプオーバーアクトも、却って良い。ぐうの音も出ない畜生に逆転を仕掛ける時には爽快感とした返ってくるし、高圧的な態度の裏に正義の炎を持っていたことが判明した際は心中お察ししますと男泣きに咽ぶ。
④改変によって社会派「エンターテイメント」になりえた
原作からの大きな改変が2つあります。一つは7人の視点ではなく、第一営業課長と女子社員の二人の視点を中心にしたこと。先述したように、小説は陰惨な空気の作品でした。ところが映画では小心翼々とした課長を、可憐なようでいて芯の強い女性部下が相談しながら励ます。二人の掛け合いとBGMのお陰で、要所要所で和やかな雰囲気が生まれる。
もう一つは影の主役、八角係長のキャラクター像でしょう。原作ではもっと泥臭く野暮ったい男でしたが、野村萬斎が演じることで生まれ変わりました。細身で長髪、顔には冷笑が浮かび、粘っこいのに声は朗々と響き渡る。剽悍、もっと言えば超然とした雰囲気を讃えているからこそ、唯一彼こそが組織の論理に属さないトリックスターになりえた。エンドロールでサラリーマンを侍に喩え、日本人の気質こそが隠蔽体質を作り上げた(作り上げていく)と滔々と述べるシーンにも、一片の不自然さもない。
個人的に、伊丹作品の美質を受け継いだ映画に思えます。ナヨナヨ上司としっかり部下のコンビと言えば「スーパーの女」「ミンボーの女」が挙がるし、ラストにしっかり台詞で社会的メッセージを打ち出すのは、女シリーズの特徴ですからね。ドラマで笑い、社会性もある。だからこその社会派エンターテイメントなのです。
⑤結びに
今作は出足も良く、原作者も高評価しているとのこと。映画単品としても面白く、池井戸というジャンル映画として見れば文句なし100点でしょう。一つ難を上げれば、池井戸映画としての出来が良すぎます。今後作られる池井戸作品の映画・ドラマが見劣りしてしまうのだから。
苦労人の営業課長。下請けネジ工場。退社寸前の女子社員。傲慢な経理課員。再帰を狙う窓際族。何故か首にならないグータラ係長。グループ企業の長。七様の社員の仕事から浮かび上がる不祥事の正体とは…。
②池井戸小説おさらい
https://magiclazy.diarynote.jp/201806180014188395/
詳しくは「空飛ぶタイヤ」評の日記を見て欲しいんですが、池井戸小説ははっきりとした癖があります。今作「七つの会議」を、上では「泥水系」と類型しました。主演の野村萬斎・香川照之もインタビューで「スーツを来た侍の時代劇」と語っている通り、個人の思惑に組織の論理が優先され、各々の人生は流転していく。
③テレビ屋映画の悪癖と免罪符
感情思考を全部台詞で説明する、大声で泣き叫ぶ、回想で丁寧に2度説明する…。これらをテレビ屋映画の悪癖として貶す流れはあります。でもそれは青春ドラマや恋愛劇といった、登場人物が少なく心の機微をこそ本来楽しむべきジャンルでだからです。
池井戸先生の企業小説はロシア文学のように登場人物一覧表が長い。おまけに企業・部署・役職と肩書が複数ある上、映画なので小説のように振り返ることが出来ない。加え、原作小説は章ごとに視点が峻別されており、その時々の話者の考動が分かり易かった。それを2時間映画に落とし込むには同時進行の群像劇にせざるを得なかったため、説明による簡略化は妥当な方法でしょう。寧ろ一本化させた脚本家の手腕は相当なものに思えます。
現実にあったら即労基・人事部に駆け込むようなパワハラ・舐めプオーバーアクトも、却って良い。ぐうの音も出ない畜生に逆転を仕掛ける時には爽快感とした返ってくるし、高圧的な態度の裏に正義の炎を持っていたことが判明した際は心中お察ししますと男泣きに咽ぶ。
④改変によって社会派「エンターテイメント」になりえた
原作からの大きな改変が2つあります。一つは7人の視点ではなく、第一営業課長と女子社員の二人の視点を中心にしたこと。先述したように、小説は陰惨な空気の作品でした。ところが映画では小心翼々とした課長を、可憐なようでいて芯の強い女性部下が相談しながら励ます。二人の掛け合いとBGMのお陰で、要所要所で和やかな雰囲気が生まれる。
もう一つは影の主役、八角係長のキャラクター像でしょう。原作ではもっと泥臭く野暮ったい男でしたが、野村萬斎が演じることで生まれ変わりました。細身で長髪、顔には冷笑が浮かび、粘っこいのに声は朗々と響き渡る。剽悍、もっと言えば超然とした雰囲気を讃えているからこそ、唯一彼こそが組織の論理に属さないトリックスターになりえた。エンドロールでサラリーマンを侍に喩え、日本人の気質こそが隠蔽体質を作り上げた(作り上げていく)と滔々と述べるシーンにも、一片の不自然さもない。
個人的に、伊丹作品の美質を受け継いだ映画に思えます。ナヨナヨ上司としっかり部下のコンビと言えば「スーパーの女」「ミンボーの女」が挙がるし、ラストにしっかり台詞で社会的メッセージを打ち出すのは、女シリーズの特徴ですからね。ドラマで笑い、社会性もある。だからこその社会派エンターテイメントなのです。
⑤結びに
今作は出足も良く、原作者も高評価しているとのこと。映画単品としても面白く、池井戸というジャンル映画として見れば文句なし100点でしょう。一つ難を上げれば、池井戸映画としての出来が良すぎます。今後作られる池井戸作品の映画・ドラマが見劣りしてしまうのだから。
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