『ドクター・スリープ』
2019年12月8日 映画
粗筋 ホテルでの惨劇から30年。凶行を起こした父に似て酒浸りの生活を送るダニーは、同じ「かがやき」を持つ少女アブラと交信し、立ち直る決意をする。
時は流れ、アブラは13歳に。他者の「かがやき」を吸い取って長命を保つ真結族を夢の中に見た彼女はダンに協力を求める。始めは乗り気ではなかったダンだが、相手を撃退してやったと息巻く彼女に危機感を覚え、親友のビリーと共に彼女の許へと向かう。
①小説と映画
キングの原作小説、キューブリックの映画共にホラー史に残る傑作だが、趣を異にしている。
小説版を言い表すなら、「縁の呪縛と超常」。管理人の男ジャックが、ホテルに営々と染み込んだ死によって心を乗っ取られていく。決して悪人ではなかったが、3代に渡る精神的な弱さをホテルの怨念に付け込まれたのだ。またタイトルにもなっている「シャイニング」=超能力も重要な要素になっており、少年ダニーの持つ力を奪おうとホテルは牙を剥く。
一方映画版は「狂気」だ。ホテルの来歴や、一家の複雑な事情はカットされた。雪に閉ざされた山奥での生活を楽しむ妻子を前にジャックは徐々に狂気を募らせ、遂には斧を手に取るのだが、その理由ははっきりしない。また映画の中で一度たりとも超常現象が起きないのも特徴。小説のように、説明の付かない千里眼をダニーが発揮したり、植え込みが物理的に襲いかかることはない。
②確執(或いはキングの嫉妬)
一見原作の面白さをスポイルしたかに思える映画版は、モダンホラーの泰斗となった。シンメトリーな構図、鮮やかな色彩、遠景や移動を滑るように撮るステディカム…。キューブリックの映像美と難解さは映画ファンを虜にし、年を経るごとに映画シャイニングは神格化されていった。
キングはキューブリックの映画に納得がいかず、自身が制作を主導して4時間半に及ぶドラマ版シャイニングも生み出した。が、どちらが優れているかは時代が証明している。(キングはたびたび自作の映像化に手をつけるが、成功した例を聞かない。近年でも携帯×ゾンビものの「セル」の脚本を手掛けたがその出来は首をかしげたくなるものだった。)
③ドクタースリープ:オマージュ
原作は当然自作の続編であるからして、超能力要素の濃いものとなっている。「ファイヤースターター」や「ダークタワー」を既読の人は兎も角、キューブリック版から入った人はかなり面食らう筈。前巻は「呪われた町」のように謎の捕食者にまつわるホラーとなっているが、下巻に入ってからはサイキックバトルが始まる。
映画はキングの原作を大きく逸脱はしない。だがこの映画は一貫してホラーなのだ。何故ならキューブリックのオマージュがそこかしこに満ちているから。道路、部屋、廊下をシンメトリックに移す、白を基調とした中に鮮やかな対比色を配置する画面が先ず目に飛び込む。
音楽も特徴的だ。シャイニングでは緊迫したシーンでは耳鳴りのような高音が響いていたが、ドクタースリープでは拍動音が長く続き、場面の緊張度に合わせ緩急が変わる。ショックシーンでは弦をひっかく音が入るのは健在だし、ラジオからかすれた音質の『真夜中、星々と君』が流れるのにはニヤリとさせられる。
④ドクタースリープ:改変
一番大きな改変は、ラストバトルの場所だろう。小説では展望ホテルの跡地=真結族の根城に乗り込んだが、映画はキューブリック版を踏襲して「焼け落ちることなく残っている展望ホテルに敵を誘い込む」。紛れもなく、これは映画版の方が圧倒的に上だ。湖上を、山道を空撮が続く中でDies Iraeの重低音がかかり、雪に沈んだ廃ホテルが姿を現す。ダニーとアブラ両方に危険と分かりつつも、真結族の首領ローズを倒すためにホテルの廊下と部屋を一つづつ巡り命を(死を)呼び戻していく。
因縁の地で待ち受け、因縁の力で敵を倒す。某映画の「バケモンにはバケモンをぶつけんだよ!」ではないが、毒を以て毒を制す展開は熱い。小説では霊を使役し、あまつさえ父ジャックの霊と和解さえしていたが、映画では諸刃の剣の自爆技だ。満を持して解放された霊はローズを葬ったあとダンとアブラにも襲い掛かり、ダンは30年越しにこの地で命を失うことになる。
⑤ドクタースリープ:キングに捧げて
こう書いてくると、今回の映画もまたキングの意向に背いたものに思われるかもしれない。だが、キング本人は今作の出来に大変満足しているという。
一つには、人情味溢れるタッチがあろう。キングはキューブリックのシャイニングを「魂がない」と貶していた。キューブリックはキング小説の醍醐味たる人物の背景情報を悉くそぎ落とし、ロングショットによって突き放した目線で映した。一方今作は表情を近くでよく見せる。首領ローズはバートン映画のジョニデのようなお帽子+髪型のおかげで、非人間的なバケモノどころかキュートな悪役に見えるほどだ。
そしてもう一つが展望ホテルの顛末だ。ダンは霊を解放する前に、ホテルのボイラーを点火した。「オーナーのハンロンはケチで旧式のものを使ったままだから、ここのボイラーはじりじり圧力が上がり続ける」。これは原作シャイニングでダニーが打った逆転の一手だ。限界に達したボイラーは火を噴き、ホテルは中に巣くう霊共々浄化される。キューブリックの改変のおかげで残っていた展望ホテルが、ドクタースリープの中で原点と同じ最期を迎える。見事な和解ではないだろうか。
⑥結びに:フラナガン監督の独自性
キングとも、キューブリックとも違う要素を挙げるなら、この映画は「継承の物語」と呼べる点だ。先に述べたように、小説シャイニングは(血)縁の呪縛が一家を繋ぐ。続編のドクタースリープでも、ダンとアブラは実は血縁関係にあったことが示され、二人が強い「かがやき」を持つことの説明になっている。
一方、映画版ではそのくだりはなくなり、代わりに示されるのが魂の継承だ。ダンは「かがやき」の師であるディックの教えに従い、「行動が人生を変える」と悪霊となった父の誘惑を撥ねつける。ボイラー室の爆発により命を失った後も、教訓を与えにアブラの許を訪れる。
(映画では)ディックーダンーアブラに血の繋がりはない。しかしアブラもダンと同じように、217号室の悪霊に対処する。バスタブから起き上がる霊を尻目に、バスルームの戸をそっと後ろ手で閉めて…。全く同じ構図で物語を締めくくるのは、継承と成長が感じられ喩えようもなく美しい。
キング作品を読んだ世代が能力者・吸血鬼をテーマにした作品を書く側に転じた際、その多くが血統によって力を説明した。少年漫画での一潮流では「覚醒系」とも評されたが、生まれで全てが決まる才能論ではその先に希望はない。気持ち行動で人生を変えられる、その方が穏当で、健全なものの見方ではなかろうか。
時は流れ、アブラは13歳に。他者の「かがやき」を吸い取って長命を保つ真結族を夢の中に見た彼女はダンに協力を求める。始めは乗り気ではなかったダンだが、相手を撃退してやったと息巻く彼女に危機感を覚え、親友のビリーと共に彼女の許へと向かう。
①小説と映画
キングの原作小説、キューブリックの映画共にホラー史に残る傑作だが、趣を異にしている。
小説版を言い表すなら、「縁の呪縛と超常」。管理人の男ジャックが、ホテルに営々と染み込んだ死によって心を乗っ取られていく。決して悪人ではなかったが、3代に渡る精神的な弱さをホテルの怨念に付け込まれたのだ。またタイトルにもなっている「シャイニング」=超能力も重要な要素になっており、少年ダニーの持つ力を奪おうとホテルは牙を剥く。
一方映画版は「狂気」だ。ホテルの来歴や、一家の複雑な事情はカットされた。雪に閉ざされた山奥での生活を楽しむ妻子を前にジャックは徐々に狂気を募らせ、遂には斧を手に取るのだが、その理由ははっきりしない。また映画の中で一度たりとも超常現象が起きないのも特徴。小説のように、説明の付かない千里眼をダニーが発揮したり、植え込みが物理的に襲いかかることはない。
②確執(或いはキングの嫉妬)
一見原作の面白さをスポイルしたかに思える映画版は、モダンホラーの泰斗となった。シンメトリーな構図、鮮やかな色彩、遠景や移動を滑るように撮るステディカム…。キューブリックの映像美と難解さは映画ファンを虜にし、年を経るごとに映画シャイニングは神格化されていった。
キングはキューブリックの映画に納得がいかず、自身が制作を主導して4時間半に及ぶドラマ版シャイニングも生み出した。が、どちらが優れているかは時代が証明している。(キングはたびたび自作の映像化に手をつけるが、成功した例を聞かない。近年でも携帯×ゾンビものの「セル」の脚本を手掛けたがその出来は首をかしげたくなるものだった。)
③ドクタースリープ:オマージュ
原作は当然自作の続編であるからして、超能力要素の濃いものとなっている。「ファイヤースターター」や「ダークタワー」を既読の人は兎も角、キューブリック版から入った人はかなり面食らう筈。前巻は「呪われた町」のように謎の捕食者にまつわるホラーとなっているが、下巻に入ってからはサイキックバトルが始まる。
映画はキングの原作を大きく逸脱はしない。だがこの映画は一貫してホラーなのだ。何故ならキューブリックのオマージュがそこかしこに満ちているから。道路、部屋、廊下をシンメトリックに移す、白を基調とした中に鮮やかな対比色を配置する画面が先ず目に飛び込む。
音楽も特徴的だ。シャイニングでは緊迫したシーンでは耳鳴りのような高音が響いていたが、ドクタースリープでは拍動音が長く続き、場面の緊張度に合わせ緩急が変わる。ショックシーンでは弦をひっかく音が入るのは健在だし、ラジオからかすれた音質の『真夜中、星々と君』が流れるのにはニヤリとさせられる。
④ドクタースリープ:改変
一番大きな改変は、ラストバトルの場所だろう。小説では展望ホテルの跡地=真結族の根城に乗り込んだが、映画はキューブリック版を踏襲して「焼け落ちることなく残っている展望ホテルに敵を誘い込む」。紛れもなく、これは映画版の方が圧倒的に上だ。湖上を、山道を空撮が続く中でDies Iraeの重低音がかかり、雪に沈んだ廃ホテルが姿を現す。ダニーとアブラ両方に危険と分かりつつも、真結族の首領ローズを倒すためにホテルの廊下と部屋を一つづつ巡り命を(死を)呼び戻していく。
因縁の地で待ち受け、因縁の力で敵を倒す。某映画の「バケモンにはバケモンをぶつけんだよ!」ではないが、毒を以て毒を制す展開は熱い。小説では霊を使役し、あまつさえ父ジャックの霊と和解さえしていたが、映画では諸刃の剣の自爆技だ。満を持して解放された霊はローズを葬ったあとダンとアブラにも襲い掛かり、ダンは30年越しにこの地で命を失うことになる。
⑤ドクタースリープ:キングに捧げて
こう書いてくると、今回の映画もまたキングの意向に背いたものに思われるかもしれない。だが、キング本人は今作の出来に大変満足しているという。
一つには、人情味溢れるタッチがあろう。キングはキューブリックのシャイニングを「魂がない」と貶していた。キューブリックはキング小説の醍醐味たる人物の背景情報を悉くそぎ落とし、ロングショットによって突き放した目線で映した。一方今作は表情を近くでよく見せる。首領ローズはバートン映画のジョニデのようなお帽子+髪型のおかげで、非人間的なバケモノどころかキュートな悪役に見えるほどだ。
そしてもう一つが展望ホテルの顛末だ。ダンは霊を解放する前に、ホテルのボイラーを点火した。「オーナーのハンロンはケチで旧式のものを使ったままだから、ここのボイラーはじりじり圧力が上がり続ける」。これは原作シャイニングでダニーが打った逆転の一手だ。限界に達したボイラーは火を噴き、ホテルは中に巣くう霊共々浄化される。キューブリックの改変のおかげで残っていた展望ホテルが、ドクタースリープの中で原点と同じ最期を迎える。見事な和解ではないだろうか。
⑥結びに:フラナガン監督の独自性
キングとも、キューブリックとも違う要素を挙げるなら、この映画は「継承の物語」と呼べる点だ。先に述べたように、小説シャイニングは(血)縁の呪縛が一家を繋ぐ。続編のドクタースリープでも、ダンとアブラは実は血縁関係にあったことが示され、二人が強い「かがやき」を持つことの説明になっている。
一方、映画版ではそのくだりはなくなり、代わりに示されるのが魂の継承だ。ダンは「かがやき」の師であるディックの教えに従い、「行動が人生を変える」と悪霊となった父の誘惑を撥ねつける。ボイラー室の爆発により命を失った後も、教訓を与えにアブラの許を訪れる。
(映画では)ディックーダンーアブラに血の繋がりはない。しかしアブラもダンと同じように、217号室の悪霊に対処する。バスタブから起き上がる霊を尻目に、バスルームの戸をそっと後ろ手で閉めて…。全く同じ構図で物語を締めくくるのは、継承と成長が感じられ喩えようもなく美しい。
キング作品を読んだ世代が能力者・吸血鬼をテーマにした作品を書く側に転じた際、その多くが血統によって力を説明した。少年漫画での一潮流では「覚醒系」とも評されたが、生まれで全てが決まる才能論ではその先に希望はない。気持ち行動で人生を変えられる、その方が穏当で、健全なものの見方ではなかろうか。
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