普段は新作映画の話しかしないけど、余りに興奮した青春映画があったので
『Summer of 84』を紹介します。日本では2019年公開作。


 僕は青春映画の傑作たる要件は、「変質」にあると思っています。映画の最初と最後では、少年少女たちは短期間ながら心揺さぶられる経験を通じて変わっていなければならない。
 変質を描く名手と言えばやはりスティーヴン・キングでしょう。「スタンドバイミー(原題the body)」では家庭環境の受容とやがて来る親友との別離を、「IT」前編では性への目覚めで幼児期が切断される様を描いている。普遍的なればこそ、彼の作品は80年代から現代に至るまで映像化され続けていると思うのです。(その意味で、「チュードの儀式」を丸ごと削除したリメイク版ITのchapter1は凡作、商業的成功に胡坐をかいて縮小再生産するだけだったchapter2は駄作です)。

 冒険→成長をポジティブな変質と捉えるならば、ネガティブな変質もあります。それは「好奇心・軽率さが引き起こした事態に対する報い」。
 個人的な青春映画の生涯ワースト作として、「僕たちと駐在さんの700日戦争」という映画があります。このカス映画が許せないのは、駐在を始め周囲の人間にかけた迷惑に対し、主人公たちは何のしっぺ返しも受けないんですよ。
https://magiclazy.diarynote.jp/201903252143401179/
↑過去日記でも詳しく書きましたが、無垢だから、幼いからという理由で全てを免罪する姿勢は僕は不道徳だと思います。
 このネガティブな変質を捉えた青春映画としては、近作では「アメリカンアニマルズ」などがありました。(当ブログでベストの映画評だと思ってるので、読んでみてね!)
https://magiclazy.diarynote.jp/201905202135076454/


… … …


 さて、ようやくサマーオブ84の紹介に入ります。

粗筋 田舎町に住む少年デイビーは、TVレポーターの父に憧れ詮索好き。近隣地域で子供の失踪が多発する中で、近所に住む警察官マッキーが犯人ではないかと疑い始める。親友のウッディ、イーツ、ファラディらと共に、4人でマッキーへの張り込み作戦を開始するが…。

 タイトルずばりの通り、出だしは昨今流行りのエイティーズノスタルジーの雰囲気がビンビンです。「不穏な隣人を見張る少年少女」で言えば「フライトナイト」がまさにそうですし、個性豊かな面々のスリルに満ちた冒険なら「グーニーズ」。彼らの抱えた複雑な家庭事情をそれとなく提示する手つきはキングの小説やスピルバーグの諸作品を思い起こさせます。この辺りを見てありきたりと評する人が出るのも分かる。
 ただ、この作品が決定的にフレッシュなのは「主人公が実は優越的な立場に居る」点にあると思います。「グーニーズ」ならまぬけ集団、「IT」ならルーザーズクラブと、主人公たちは作り手や観客を投影した負け組に設定されるものです。周りにはジョックスやいじめっ子が居て、日陰者の立場だけれど想像力(或いはオタク的気質)で難題をクリアし、自己の尊厳を取り戻す…。これがジュブナイルものの類型。
 一方、今作の主人公グループはそれぞれに複雑な家庭環境を抱えているものの、主人公デイビーはどうやら例外だと徐々に見え始める。周りは親の離婚、浮気、シングルマザー家庭なのに対し、デイビーの両親は子供が15になっても夜にデートに出かける円満ぶり。年上美人のニッキーともほのかな恋仲にまで発展したりもする。デイビーは始めは陰謀論・オタトークを振りまき周りに呆れられるキャラだっただけに、徐々に恵まれたやつだと明らかにしていく手つきは見事。
 劇中、マッキーへの張り込みを仲間が一旦は諦め出す下りが出ます。これに主人公は「でも本当にヤツが犯人だったら、犠牲者が出続けるのを許せないだろ!」と諭す。御説御尤も…でも裏を返せば、彼だけは無邪気ゆえに残酷な冒険を続ける精神的余裕があったんですね。だからこそ、あの凄絶なラストが待っている。

↓↓ネタバレ含みます↓↓
 
 少年探偵団の捜査は二転三転します。証拠を手に親に相談しに行ったら、逆に自分たちの違法行為を咎められ強制的に止めさせられる。マッキーがうっかり出したボロで捜査再開しようとした矢先、警察が連続殺人鬼を逮捕したり。でも粘り続けた彼らは、夏祭りの日にマッキー宅に忍び込み、ビデオカメラに決定的な証拠を撮影し警察に出頭する。しかし間一髪マッキーは逃亡、深夜にデイビーとウッディーの二人を襲撃し最終対決になだれ込む…。ここまでは真っ当な展開なだけに、期待を裏切られた時の衝撃は凄まじい。
 デイビーの囮作戦も空しく、マッキーはウッディーの喉を切り裂く。そのままデイビーにのしかかった彼は、耳元でこう囁きかける。

「お前は殺してやりたいほど憎い。お前だけはしつこく俺を付け回し、平穏な人生を奪ったからだ。でもだからこそ、ここでお前は殺さない。これから先の人生、俺の影におびえ続けろ。いつか俺が殺しに来るその時まで。」

 告げ終わるとマッキーはデイビーを解放します。通りがかりの車に助けを求め、保護されるデイビー。けれどその顔にもう笑みが宿ることはない。ラストシーンでは、冒頭と同じように自転車で町を巡ります。離婚した片親に連れられ町を出ていくニッキー、ウッディー宅は売り家に出され、イーツとファラディは子供時代の象徴だったツリーハウスを涙ながらに破壊している。この苦さでプロローグと寸分違わぬ台詞「連続殺人鬼だって、誰かの隣人だ」を呟くラストショット。でもそこに込められた思いは、好奇心から後悔へと変わっている…。


 今作は批評家受けは高めなんですが、観客ウケ微妙だったらしいんですよね。ノスタルジー×ジュブナイル×ホラーの作品と言えば今年日本で公開された「スケアリーストーリーズ 怖い本」もありました。主人公の好奇心から少女の呪いが解き放たれ、行方不明者が3人出てしまう。でも、主人公は物書きになる自己実現を叶えたうえに、「いなくなった彼らを私が見つけるわ」とポジティブなタッチで終わる。正直微妙だなあと思うエンディングなんですが、こっちは売れて続編が進行中とのこと。ハッピーエンドも良いけれど、トラウマこそが人を自覚的に成長させるものだよ。

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