社会派映画の傑作『素晴らしき世界』を只管褒めちぎる
2021年3月9日 映画 コメント (4)
粗筋 殺人罪で13年服役した元ヤクザ、三上正夫は幼い頃に離別した母を探すべく、テレビ局に「身分帳」(服役囚の生い立ち、罪状を詳細に記した記録)を送る。雇われディレクターの津乃田は仕事のインスピレーションを得るべく三上の取材を開始。だが三上は周りとの衝突を繰り返し、次第に社会から孤立していく…。
はい、今年ベスト来ました。観に行きましょう(結論)
…で終わらせるのもアレなんで、絶賛評をつらつら書いていきます。一つもケチつけないから、酷評期待しないでね?
①作品概説
ルポや社会派小説で知られる佐木隆三のノンフィクション小説『身分帳』を原作に、西川美和監督が映画化。西川女史はオリジナル脚本の作品を監督・脚本兼任してきたが、本作が初の原作ものとなる。
師匠の是枝裕和に似て抜群の演出で知られ、デビュー作から一貫して国内外で評価されてきた監督。今作もまた海外の賞を獲得している。
②脚本面
話の作りがものっそい上手い!!先ずはこれ。
全編凡そ120分、大きく分けて3幕構成と呼べる作りになっています。出所後の三上が社会復帰しようとする第一幕、生来の直情径行で周囲と衝突し転落していく第二幕、改心し社会復帰を果たす第三幕ですね。
粗筋だけ見ると堅苦しい意識高い系に思えるじゃないですか?全くそんなことはないんです!!作品のトーンがひと幕ごとに推移していくため、飽きが来ることがない。第一幕は貧困問題が主ですが、三上と津乃田の交流が進むうちドキュメンタリースリラーの様相を呈してくる。これが第二幕ではアウトロー逃避行ものに変わり、第三幕ではヒューマンドラマに着地するといった具合に。
実は第三幕のその先に、観客の反応も真っ二つになっている展開があります。これについてはストーリー解説が必須のため、後述します。
③演技演出面
これも文句なし。是枝組だけあって、無粋な説明台詞は出てこない。津乃田が上司に抱く恋情、庄司夫妻の身元引受に対する微妙な温度差、三上が逃げ込む先の下稲葉組が漂わす虚勢と疲れ…そして何より役所広司演じる三上の存在感。語り切らず、だが端々まで手が込んでいる御蔭で世界の広がりが感じられる。
論理的な伏線回収ではないが、僕が映画に求める要素「反復と変化」が随所にみられるのも大変良い。主治医の態度、教習所、朝餉とカップ麺、出稼ぎ外国人、三上宅の集い…。何気なく流れていくエピソードの対比の中に、三上の転落や成長が活写されています。
④第一幕:脱貧困
それでは話を追いながら、各特長を見ていきましょう。
第一幕は、出所後の三上が社会復帰に挑むも挫けていく姿が描かれます。ここが面白いのは、「前科者?怖いじゃん」という類の安易な差別悲劇ではなく「社会システム上貧困から抜け出せない」と提示できているところ。
三上は少年院・刑務所で縫製・木工の技能を取得したが今時そんな仕事はない。心臓病で重い肉体労働も出来ないため運送業に活路を見出すが、免許は服役中に失効。警察署に届け出に向かうも、一度失効したからには技能試験を経ての再取得が必要になり多額の研修費用が必要になる。蓄財などある筈もなく、おまけにケースワーカーには「元反社」ということから生活保護に難色を示され…とケチが付き続けていく。
ネアリズモの古典『自転車泥棒』の時代から見える通り、貧困を抜け出すには先ず元手が必要なのです。『自転車泥棒』では自転車、今作では免許証であるように。免許を得るには研修費用が要り、研修費用を得るための短期バイトが、短期バイトには携帯電話や住居が、それには経歴や身元引受が…と前提が無限に積み重なる。
貧困を抜け出す、その最初の足掛かりすら見えないからこそ再犯社会になるのではないか。劇映画ならではの感情移入で、前科者の貧困ぶりが提示されます。
⑤第二幕:自己責任と環境の狭間で
前節では社会システムとしての貧困を上げました。しかし、今作はそれだけに話を落ち着けない。西川監督はインタビューの中で
と語っている。僕個人もこれには全面同意です。犯罪者の貧困を描いた邦画で近年評価の高いものと言えば、パルムドールを取った是枝監督の『万引き家族』しかり、或いは今年初頭の大作『ヤクザと家族』しかり、どうにもセンチメンタルが過ぎる。社会の被害者なのだという意識で止まっている(ぶっちゃけイデオロギー臭が…)。
対照的な作品として、以前も紹介した『フロリダプロジェクト』という映画があります。
https://magiclazy.diarynote.jp/201812312240049169/
この映画もそして今作も、社会と個人両面をフラットに描いています。『フロリダプロジェクト』では、安モーテルの住民は懸命に足掻いていました。何とか蓄財し転居していく者、女給職とフードバンクで最低限は満ち足りた者…。行動の違いが、最終的には明暗を分けていった。
翻って今作はどうか。三上には常に選択肢が与えられていたんですね。周囲の助言という形で。ケースワーカー、スーパーの店長、身元引受人…しかし三上は彼らの言葉を拒絶し、極道者の生き方を意固地に貫くがままに九州まで流れ着く。しかし最後には兄弟分のご内儀が残した言葉によって改心し、東京へと舞い戻っていきます。
⑥第三幕:再出発
過去への未練を断ち切った三上は、新しい暮らしを営み始めます。当面の生活費を工面するために、特別採用枠のある介護施設で働き出す。三上が定収入を得たことに感じ入ったスーパー店長、松本は出世払いの形で祝儀を出す。それを身元引受人に電話すると、「手元に金を置いておくと生活保護要件から外れる。さっさと免許センターに払い込め」と運用の助言を受ける。これならいずれ正業の運転手に…と全てが好転していきます。
社会参加を阻んでいた幾重の障害を、今度は一つづつ解決していく。主体性を持って働きかければ、周りもそれに応えてくれる。社会を変えることは出来なくとも、手の届く範囲の居心地は良く出来る…冷酷な自己責任論にも、無力感と憎悪に満ちた環境論にも走らない見事な着地ではないでしょうか。
…と、これで終わるなら綺麗なんですよ。でも、第3幕の続きがあるんすよ意地悪だなー!!!!
⑦再出発のその先
三上の更生祝いの席、身元引受人の庄司は語ります。「これはゴールではなく出発なんだ。社会に出たら受け流していけ。そうやって自衛しなければ身が持たない」。果たしてその言葉通りに、介護施設では過酷な現実が待ち受けていました。
ある日、三上は同僚二人が知的障害を持つ施設職員を虐めている姿を見ました。これまでの三上なら、突発的な義憤に駆られ叩きのめしていたところ。しかし失職を恐れる今の彼は、歯を食いしばり観て見ぬふりをします。(ここが憎いのは、虐められる側があわや死亡事故という業務上の過失を犯していたこと。虐めを正当化するつもりはないが、100%の善人とも言えない)。
適度にガス抜きし周りに合わせられる「まともな人」を演じるべく、その場をやり過ごす三上。しかし彼はその晩に息を引き取り、残された人間は茫然と立ち尽くす。カメラがゆっくり上がり晴天に「素晴らしき世界」と映り終幕を迎えます。
⑧ラストの意図
この「蛇足」部分はなかなかに難解です。一つには、原作小説のモデルとなった現実と重ねる部分があったのではないでしょうか。原作『身分帳』では主人公山川は希望を持って福岡に向かうところで話が終わります。しかし補遺となる続編『行路病死人』では、モデルとなった実在の犯罪者田村義明と原作者佐木隆三のその後の交流が描かれます。田村は結局、転居後半年で病死。映像化を待たずしての最期だったそうです。
もう一つは僕の妄想ですが、三上は自殺したという説です。介護施設からの帰り道、三上に元妻からの電話が来ます。「また貴方に会いたいわ。娘と3人で」と。しかしそこの音質が歪なこと、会話の流れが余りに不自然なこと(自分は兎も角無関係の我が子を殺人犯と同席させるか?)、そして何より耳に充てたスマホの画面がブラックアウトしていること…から、これは三上の妄想だったのでしょう。振り切った筈の過去に、また縋ろうとしてしまった。
三上は主体的に貧困から脱出していける。しかしその主体性を(知的・精神障害など生得的に)持てない人も居る。「まとも」で居続けるには、自分の更に下に居る人を踏みつけ続けなければいけない。それに彼の心は耐え切れなくなり、嵐吹き込む窓を閉めることなく眠りについた…。
前科者に限定せず、より広い範囲(インタビューで監督が言うところの”loser”)の問題提起を、監督はこのラストに込めているのではないでしょうか。
⑨結びに
『素晴らしき世界』は原作からお話を現代に移し替え、各エピソードも改変・脚色されています。しかし原作のエッセンスは残し、また上述してきたように映画的な魅力に溢れた傑作です。
原作『身分帳』は長らく絶版でしたが、このたびの映画化に合わせ再版。新装版には西川監督も文章を寄せています。
観てから読むか、読んでから観るか。どちらも媒体特性に合った傑作なので、ぜひこの機会に触れてみてね!!!
はい、4千字評でした。シャバ明け(意味深)1発目の映画だったのであんまり論理的な文章にできませんでしたが、とにかく良い映画よ!ユーモアありフェラあり感動あり!!プ〇ルだの〇滅だのリピートしてる暇があったらこれ行け!!
はい、今年ベスト来ました。観に行きましょう(結論)
…で終わらせるのもアレなんで、絶賛評をつらつら書いていきます。一つもケチつけないから、酷評期待しないでね?
①作品概説
ルポや社会派小説で知られる佐木隆三のノンフィクション小説『身分帳』を原作に、西川美和監督が映画化。西川女史はオリジナル脚本の作品を監督・脚本兼任してきたが、本作が初の原作ものとなる。
師匠の是枝裕和に似て抜群の演出で知られ、デビュー作から一貫して国内外で評価されてきた監督。今作もまた海外の賞を獲得している。
②脚本面
話の作りがものっそい上手い!!先ずはこれ。
全編凡そ120分、大きく分けて3幕構成と呼べる作りになっています。出所後の三上が社会復帰しようとする第一幕、生来の直情径行で周囲と衝突し転落していく第二幕、改心し社会復帰を果たす第三幕ですね。
粗筋だけ見ると堅苦しい意識高い系に思えるじゃないですか?全くそんなことはないんです!!作品のトーンがひと幕ごとに推移していくため、飽きが来ることがない。第一幕は貧困問題が主ですが、三上と津乃田の交流が進むうちドキュメンタリースリラーの様相を呈してくる。これが第二幕ではアウトロー逃避行ものに変わり、第三幕ではヒューマンドラマに着地するといった具合に。
実は第三幕のその先に、観客の反応も真っ二つになっている展開があります。これについてはストーリー解説が必須のため、後述します。
③演技演出面
これも文句なし。是枝組だけあって、無粋な説明台詞は出てこない。津乃田が上司に抱く恋情、庄司夫妻の身元引受に対する微妙な温度差、三上が逃げ込む先の下稲葉組が漂わす虚勢と疲れ…そして何より役所広司演じる三上の存在感。語り切らず、だが端々まで手が込んでいる御蔭で世界の広がりが感じられる。
論理的な伏線回収ではないが、僕が映画に求める要素「反復と変化」が随所にみられるのも大変良い。主治医の態度、教習所、朝餉とカップ麺、出稼ぎ外国人、三上宅の集い…。何気なく流れていくエピソードの対比の中に、三上の転落や成長が活写されています。
④第一幕:脱貧困
それでは話を追いながら、各特長を見ていきましょう。
第一幕は、出所後の三上が社会復帰に挑むも挫けていく姿が描かれます。ここが面白いのは、「前科者?怖いじゃん」という類の安易な差別悲劇ではなく「社会システム上貧困から抜け出せない」と提示できているところ。
三上は少年院・刑務所で縫製・木工の技能を取得したが今時そんな仕事はない。心臓病で重い肉体労働も出来ないため運送業に活路を見出すが、免許は服役中に失効。警察署に届け出に向かうも、一度失効したからには技能試験を経ての再取得が必要になり多額の研修費用が必要になる。蓄財などある筈もなく、おまけにケースワーカーには「元反社」ということから生活保護に難色を示され…とケチが付き続けていく。
ネアリズモの古典『自転車泥棒』の時代から見える通り、貧困を抜け出すには先ず元手が必要なのです。『自転車泥棒』では自転車、今作では免許証であるように。免許を得るには研修費用が要り、研修費用を得るための短期バイトが、短期バイトには携帯電話や住居が、それには経歴や身元引受が…と前提が無限に積み重なる。
貧困を抜け出す、その最初の足掛かりすら見えないからこそ再犯社会になるのではないか。劇映画ならではの感情移入で、前科者の貧困ぶりが提示されます。
⑤第二幕:自己責任と環境の狭間で
前節では社会システムとしての貧困を上げました。しかし、今作はそれだけに話を落ち着けない。西川監督はインタビューの中で
「…このお話の面白さは主人公が罪もないのに酷い目にばかり遭う、というものではなく、酷い目に遭うのはそれだけこの人にも問題があるし、社会や周囲の人々も残酷なばかりではなく、時に手を差し伸べてくれて捨てたもんじゃない、ということを両面描いているところだと思うんです。そこが佐木さんのフェアなところですよね…」
と語っている。僕個人もこれには全面同意です。犯罪者の貧困を描いた邦画で近年評価の高いものと言えば、パルムドールを取った是枝監督の『万引き家族』しかり、或いは今年初頭の大作『ヤクザと家族』しかり、どうにもセンチメンタルが過ぎる。社会の被害者なのだという意識で止まっている(ぶっちゃけイデオロギー臭が…)。
対照的な作品として、以前も紹介した『フロリダプロジェクト』という映画があります。
https://magiclazy.diarynote.jp/201812312240049169/
この映画もそして今作も、社会と個人両面をフラットに描いています。『フロリダプロジェクト』では、安モーテルの住民は懸命に足掻いていました。何とか蓄財し転居していく者、女給職とフードバンクで最低限は満ち足りた者…。行動の違いが、最終的には明暗を分けていった。
翻って今作はどうか。三上には常に選択肢が与えられていたんですね。周囲の助言という形で。ケースワーカー、スーパーの店長、身元引受人…しかし三上は彼らの言葉を拒絶し、極道者の生き方を意固地に貫くがままに九州まで流れ着く。しかし最後には兄弟分のご内儀が残した言葉によって改心し、東京へと舞い戻っていきます。
⑥第三幕:再出発
過去への未練を断ち切った三上は、新しい暮らしを営み始めます。当面の生活費を工面するために、特別採用枠のある介護施設で働き出す。三上が定収入を得たことに感じ入ったスーパー店長、松本は出世払いの形で祝儀を出す。それを身元引受人に電話すると、「手元に金を置いておくと生活保護要件から外れる。さっさと免許センターに払い込め」と運用の助言を受ける。これならいずれ正業の運転手に…と全てが好転していきます。
社会参加を阻んでいた幾重の障害を、今度は一つづつ解決していく。主体性を持って働きかければ、周りもそれに応えてくれる。社会を変えることは出来なくとも、手の届く範囲の居心地は良く出来る…冷酷な自己責任論にも、無力感と憎悪に満ちた環境論にも走らない見事な着地ではないでしょうか。
…と、これで終わるなら綺麗なんですよ。でも、第3幕の続きがあるんすよ意地悪だなー!!!!
⑦再出発のその先
三上の更生祝いの席、身元引受人の庄司は語ります。「これはゴールではなく出発なんだ。社会に出たら受け流していけ。そうやって自衛しなければ身が持たない」。果たしてその言葉通りに、介護施設では過酷な現実が待ち受けていました。
ある日、三上は同僚二人が知的障害を持つ施設職員を虐めている姿を見ました。これまでの三上なら、突発的な義憤に駆られ叩きのめしていたところ。しかし失職を恐れる今の彼は、歯を食いしばり観て見ぬふりをします。(ここが憎いのは、虐められる側があわや死亡事故という業務上の過失を犯していたこと。虐めを正当化するつもりはないが、100%の善人とも言えない)。
適度にガス抜きし周りに合わせられる「まともな人」を演じるべく、その場をやり過ごす三上。しかし彼はその晩に息を引き取り、残された人間は茫然と立ち尽くす。カメラがゆっくり上がり晴天に「素晴らしき世界」と映り終幕を迎えます。
⑧ラストの意図
この「蛇足」部分はなかなかに難解です。一つには、原作小説のモデルとなった現実と重ねる部分があったのではないでしょうか。原作『身分帳』では主人公山川は希望を持って福岡に向かうところで話が終わります。しかし補遺となる続編『行路病死人』では、モデルとなった実在の犯罪者田村義明と原作者佐木隆三のその後の交流が描かれます。田村は結局、転居後半年で病死。映像化を待たずしての最期だったそうです。
もう一つは僕の妄想ですが、三上は自殺したという説です。介護施設からの帰り道、三上に元妻からの電話が来ます。「また貴方に会いたいわ。娘と3人で」と。しかしそこの音質が歪なこと、会話の流れが余りに不自然なこと(自分は兎も角無関係の我が子を殺人犯と同席させるか?)、そして何より耳に充てたスマホの画面がブラックアウトしていること…から、これは三上の妄想だったのでしょう。振り切った筈の過去に、また縋ろうとしてしまった。
三上は主体的に貧困から脱出していける。しかしその主体性を(知的・精神障害など生得的に)持てない人も居る。「まとも」で居続けるには、自分の更に下に居る人を踏みつけ続けなければいけない。それに彼の心は耐え切れなくなり、嵐吹き込む窓を閉めることなく眠りについた…。
前科者に限定せず、より広い範囲(インタビューで監督が言うところの”loser”)の問題提起を、監督はこのラストに込めているのではないでしょうか。
⑨結びに
『素晴らしき世界』は原作からお話を現代に移し替え、各エピソードも改変・脚色されています。しかし原作のエッセンスは残し、また上述してきたように映画的な魅力に溢れた傑作です。
原作『身分帳』は長らく絶版でしたが、このたびの映画化に合わせ再版。新装版には西川監督も文章を寄せています。
観てから読むか、読んでから観るか。どちらも媒体特性に合った傑作なので、ぜひこの機会に触れてみてね!!!
はい、4千字評でした。シャバ明け(意味深)1発目の映画だったのであんまり論理的な文章にできませんでしたが、とにかく良い映画よ!ユーモアありフェラあり感動あり!!プ〇ルだの〇滅だのリピートしてる暇があったらこれ行け!!
コメント
私も見ましたが、あまりに心を揺さぶられて感想が書けないでいました。
ラストの解釈についても、言われてみれば・・・と思います。彼は薬を常備していましたものね。でも最後に手を伸ばしたのはあのコスモスだった。その意味を考えていました。
ひみつに書かれていることにも、おっしゃる通り!と思います。
DNから遠ざかると聞いて寂しいところですが、サービス終了が確定するまでは偶にこちらも覗かれては?僕は変わらず映画駄文を書いていく予定です。
M中さんの映画レビュー、これからも楽しみにしています。