【アニメ考察】今期アニメ『Vivy -Fluorite Eye’s Song-』が…【長文】
 ちょいモヤる、という話をします。具体的にはキャラの行動原理、ジャンル性からの逸脱の2点。
 
 簡単な粗筋説明を先にしておきます。
 AIが発展した近未来、AIは効率化のため各人にひとつづつ「使命」が与えられている。テーマパークで働くAI、ヴィヴィの使命は「歌で人々を幸せにする」こと。ある日、彼女の許に謎のAI、マツモトが現れる。彼は電子ハック技術の高さを証拠に自分は未来から来た、と主張。
 彼によると100年後、AIは人間に対して戦争を起こす。自分の使命はAIを滅ぼすことにあり、100年を掛けAIを滅ぼす「シンギュラリティ計画」に従事するようヴィヴィに求めてくる…といったお話です。


 それでは、モヤる点についての話に戻ります。
 一つ目がキャラ(マツモト)の行動原理について。ヴィヴィと行動を共にする理由がないんですよ。ヴィヴィは物語のスタート時点では、初の自律思考型AIというだけあって超高性能。しかしそんなヴィヴィの電脳防壁をあっさり破るほど、マツモトはチート性能のキャラなんです。ハッキングで施設の機械系統をまるごと乗っ取ったり、世界の記録を改竄したり。テディベアやキューブ型ロボット、大型工作機械などに入り込んで操縦すら出来る。
 片方が非人間型のバディ作品っていうのは、基本的に「相即不離」が原則です。沖方先生の「マルドゥック」シリーズや、寄生バディもの、憑依ものに至るまで、単純な戦闘力では勝る側も「主人公=人間の側を離れられない」。だからこその分業・協力でバディとして盛り上がる…というのが王道です。でも、今作においてマツモトはヴィヴィの完全上位互換なんですよ。こんな足手まといを連れていく必要がない。
 一応、マツモトは計画の相棒にヴィヴィを選んだ理由として「100年後もボディが完璧な形で残っているのが博物館で死蔵されていたヴィヴィしかなかった」からと説明。ただ、これも冷静に考えればおかしくて。100年前へのタイムトラベルの「依り代」としてヴィヴィの価値があるとしても、それ以後行動を共にする必然性はない。作中描写されるチートハッキングで操り人形にすれば良いので、「自由意志を持った」相棒である意味がない。


 次にモヤポイントの2点目、ジャンル性からの逸脱について。
 メタレベルの話になるんですが、時間SFの醍醐味は「事象の俯瞰性」にあると思っています。SFの概念以前の「予言の成就・家系因縁譚」から、ウェルズの輝かしき「タイムマシン」。歴史改変と歴史不変・時間逆行などの派生パターンや、最近のライトノベル界で人気の死に戻り・生き直し系に至るまで…。様々なパターンがありますが、概ね「物語序盤で日常を描き、時間跳躍によって出来た差異を戻すor改善する」過程に面白さがあると思います。

 Vivyに話を戻すと、マツモト曰く「100年の間にAI史を巡る重大な転換点がいくつかあった」。そして、概ね2話に1エピソードの形で特定の時代を舞台に、転換点を担う歴史の要人とヴィヴィ・マツモトの交流が描かれます。
 なればこそ、作劇上、(ヴィヴィに対してではなく)我々視聴者に対して「この時代にこんな出来事があり(人物が居て)、それが後のAI史にどういう影響を与えた」というのを示さないのは上手くないんですよ。事前情報との落差がなく、エピソード毎にポッと出のキャラが出て、次の回では解決を繰り返していくので、シンギュラリティ計画のロードマップがまるで見えない。
 そんな視聴者の不満を代弁するかのように、第二話でヴィヴィが「情報を小出しにしないで、全て開示して」とマツモトに言います。すると彼は「あなたを信用しない内は明かせない」と応えます。しかしその後、要人警護成功を受け「あなたを信用しましょう」と言っているにも関わらず、3話・5話目になっても情報を明かす気配がない。


 こうしたモヤポイントについて、解釈は二つあります。
 一つ目、好意的に解釈するなら「マツモト黒幕説の伏線」ってことです。
 マツモトがヴィヴィに(そして観客に)見せるのは常にカメラフッテージ・新聞記事などの記録であって、神の視点での「現実」ではない。また、マツモトは使命を「AIを滅ぼす」「戦争を回避する」などと口にするが、一度たりとも「人類を救う」という表現をしていない(というかAIが人類を征服したとも言っていない)。
 それと穿った見方ですが、「シンギュラリティ計画」という呼称にも引っ掛かりがあります。シンギュラリティとは、AIの成長が人類のレベルを超え、文明の主役になる「技術特異点」のこと。だとしたら、「シンギュラリティ阻止計画」などの名称にすべきでは…?
 以上の理由から、マツモトの目的は歴史改変によるディストピア回避!といった単純なものではないとの推測が立ちます。先述したように、ヴィヴィは史上初の自律思考型AIです。マツモトの狙いは、敢えて情報を小出しにしてその都度ヴィヴィに考えさせ自己フィードバックを促すことではないか。
 最終的な目的として考えられるのは、悪く考えるなら100年かけヴィヴィを人類に対する革命の旗頭に仕立て上げること。逆に良く考えるなら、ヴィヴィを改変前の歴史でAIが辿った論理的結論から抜け出せるスーパーAIに成長させる、なんてこともありそうです。


 …ここからが今回の日記の本題です。Vivyの構成をひじょーーーーに悪く解釈すると、書き手がマジでこれが最善だと思ってる説が浮上します。だって、脚本が長月先生だから。
 「Re:ゼロから始まる異世界転生」の作者として有名な長月先生ですが、あの悪名高き爆死アニメ「戦翼のシグルドリーヴァ」の脚本家でもあります。通称シグルリの世間的な酷評ポイントは「要素を詰め込み過ぎ」「設定が後付け且つ作品の外部で行われる」の2点。…なんですが、これ今作Vivy~にも当てはまりつつあるのが気がかりです。

 要素詰め込み問題について。シグルリは「ミリタリー」「ファンタジー」「美少女」「おっさん」「コメディ」「シリアス」と複数の要素(しかも対立事項まで)をぶち込んだ結果まとまりのないアニメになりました。
 Vivyも正直言って、大分散らかってる感あります。クール系包容力お姉さん×ウザがらみお喋りマスコットの掛け合いはラノベ作家の本領発揮なのでまだ良いにしても、アイドル(歌唱)要素もあるかと思えば、時間SF描写に至っては(現段階では)手抜きも良いところ。
 加え、2話1エピソードによる「未来科学社会における人間の非喜劇」要素も、全ッ然上手くない(「攻殻」「プラネテス」「電脳コイル」辺りの傑作のように科学技術のディティールが秀逸か否かのレベルにすらない。人間模様の前振りが薄すぎるせいで、どういう結末になろうとも感動に繋がらない)。

 次に設定後付けについて。シグルリは「漫画スピンオフ」「前日譚の小説」「脚本の補足ツイート」「公式Q&A」「おじさんコメンタリー」を予習して、漸くついていけるという有様だったそうです。…いや、派生作品って魅力的な世界観・キャラクターの幅を広げるものだよね?主軸作の粗を観客側に補完してもらう手段じゃないよね?それって主軸(シグルリで言えばアニメ)を愚弄してない?
 …で、これもVivyに該当するんですよね…。制作委員会方式のお家芸とはいえ、アニメ放映と同じタイミングで原案小説本・コミカライズ発売が転がされ、おまけに公式サイト・Twitter上では脚本両氏のQ&Aが繰り広げられる始末…(長月先生は批判コメント好き勢らしく、ツッコミに普通に反応してるのがまた…)。

 僕はね、別に長月先生の創作能力を貶すつもりはないです。でも、小説とアニメは違うんですよ。長編小説シリーズや連載漫画、(DLや配信が定着して以降の)ゲームはどれだけでも後付けで容量を増やしていける「足し算」のコンテンツなんです。一方、1クールアニメや映画は予算や尺が最初に決まっていて素材を削っていく「引き算」のコンテンツなんですよ。だから詰め込んじゃいけないし、アニメらしさの中で面白さを伝え切らなければいけない。
 



 
 そんなこんなでまあ、『Vivy -Fluorite Eye’s Song』に対し期待半分不安半分を抱いている現状です。(違和感抱かせる時点で伏線として下手なのでは?という疑問をさておくにしても)モヤモヤポイントはきちんと伏線として回収されるのを願うばかり。
 タイムリーなことを言えば、昨日4/30から原案小説本が発売され、本日5/1にGyao!、ニコ生で1~5話の無料一挙振り返り配信が行われるそうです。これを機に(?)皆さんもVivyの魅力に触れてみよう!

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