まだ書けるじゃない!(エア本)
2022年4月1日 最後の日記 diarynote運営が手作業の可能性が微レ存…?(失われたネット用語)
閉鎖=エイプリルフールってこたぁないでしょうが、4/1/00:00以降の更新がTwitterのタイムラインみたく一斉に並んでるのは何か楽しい気分になりました。
最後に良い光景が見れて、本当に良かった。管理人さんユーザーの方々ありがとうございました。
移行先です!(しつこい
https://note.com/brave_nerine509/n/ne765b80066e4
閉鎖=エイプリルフールってこたぁないでしょうが、4/1/00:00以降の更新がTwitterのタイムラインみたく一斉に並んでるのは何か楽しい気分になりました。
最後に良い光景が見れて、本当に良かった。管理人さんユーザーの方々ありがとうございました。
移行先です!(しつこい
https://note.com/brave_nerine509/n/ne765b80066e4
2022/3/31 最期のDiaryNote更新
2022年3月31日 最後の日記 コメント (3)
明日以降の移行先です。映画を観る毎週末~月曜には更新していく所存。
https://note.com/brave_nerine509/n/ne765b80066e4
最後なんで、殆ど書いて来なかった自分語りで〆ようかな。とはいえNoteで日記は続けて行くので、詳しいことは書きませんが。
良識ある皆さんのように、管理人とDNユーザへの感謝で〆るべきなんでしょうが、そういう気にはならないんですよね。まあ、健常な人間ではなかったので。
そんなイカれた人間でも、いやだからこそブログという場は心の慰めになりました。
メンタル壊れかけのときに翻訳をし、
メンタルぶっ壊れたときにも映画の話をし、
手術入院したときも映画の話をして、
今日まで露命を繋げられました。
ここ数日は、不謹慎な話ですが楽しかったです。年単位で更新していなかった人たちが、次々に最後の日記を挙げていく。「Diarynoteトップ」のリンクに飛んで、どんなお別れ日記があるのかを見るのが寝る前の楽しみでした。
正直、DNが終わる実感も未だ掴めていません。それこそ今晩は最終更新のラッシュでしょうし、投稿・コメント共に最後の賑わいを見せるでしょうから。
けれど、明日以降はもう書き込めない。
のみならず
と表示されるようになる。そこで漸く、DiaryNoteが終わってしまったと実感出来るのでしょう。
最後の日記なのに、まとまりのない内容で済みません。けれど、世界の片隅で生き喘ぐ人間にも居場所が持てた。独りよがりな日記でしたが、この6年間を耐え抜くよすがとして、お世話になりました。
https://www.youtube.com/watch?v=Y5jt_HRbUXs&ab_channel=oricon
はい、『シャドウ・イン・クラウド』観てきました。
クロエモレッツ空挺兵がグレムリンとスデゴロで殴り合う!粗筋の時点でB級確定!
グレムリンと言えばジョー・ダンテ監督の撮ったファービーもどきが有名ですが、元々は飛行機乗りの間で広がった都市伝説。日本のオカルトファンにとっては、洒落怖の『重要な記録』が馴染み深いんじゃないかな!
…と来週以降は何食わぬ顔でNoteを更新していることでしょう。けれどこの場では、しんみりした感じでお別れしたいと思います。
皆さんさようなら。Noteユーザーの方は、いつかどこかでお会いしましょう。
DNが「Forbidden 403」になるまでは月一ぐらいで覗きに来るので、皆も(一方向)同窓会更新、しよう!
https://note.com/brave_nerine509/n/ne765b80066e4
最後なんで、殆ど書いて来なかった自分語りで〆ようかな。とはいえNoteで日記は続けて行くので、詳しいことは書きませんが。
良識ある皆さんのように、管理人とDNユーザへの感謝で〆るべきなんでしょうが、そういう気にはならないんですよね。まあ、健常な人間ではなかったので。
そんなイカれた人間でも、いやだからこそブログという場は心の慰めになりました。
メンタル壊れかけのときに翻訳をし、
メンタルぶっ壊れたときにも映画の話をし、
手術入院したときも映画の話をして、
今日まで露命を繋げられました。
ここ数日は、不謹慎な話ですが楽しかったです。年単位で更新していなかった人たちが、次々に最後の日記を挙げていく。「Diarynoteトップ」のリンクに飛んで、どんなお別れ日記があるのかを見るのが寝る前の楽しみでした。
正直、DNが終わる実感も未だ掴めていません。それこそ今晩は最終更新のラッシュでしょうし、投稿・コメント共に最後の賑わいを見せるでしょうから。
けれど、明日以降はもう書き込めない。
新規登録は、現在受け付けておりません。
のみならず
日記の新規登録は、現在受け付けておりません。
コメントの投稿は、現在受け付けておりません。
と表示されるようになる。そこで漸く、DiaryNoteが終わってしまったと実感出来るのでしょう。
最後の日記なのに、まとまりのない内容で済みません。けれど、世界の片隅で生き喘ぐ人間にも居場所が持てた。独りよがりな日記でしたが、この6年間を耐え抜くよすがとして、お世話になりました。
https://www.youtube.com/watch?v=Y5jt_HRbUXs&ab_channel=oricon
はい、『シャドウ・イン・クラウド』観てきました。
クロエモレッツ空挺兵がグレムリンとスデゴロで殴り合う!粗筋の時点でB級確定!
グレムリンと言えばジョー・ダンテ監督の撮ったファービーもどきが有名ですが、元々は飛行機乗りの間で広がった都市伝説。日本のオカルトファンにとっては、洒落怖の『重要な記録』が馴染み深いんじゃないかな!
…と来週以降は何食わぬ顔でNoteを更新していることでしょう。けれどこの場では、しんみりした感じでお別れしたいと思います。
皆さんさようなら。Noteユーザーの方は、いつかどこかでお会いしましょう。
DNが「Forbidden 403」になるまでは月一ぐらいで覗きに来るので、皆も(一方向)同窓会更新、しよう!
僕の(映画)Diary Note振り返り
2022年3月29日 映画 DiaryNoteを6年続けて来ましたが
①Mtg
②翻訳
③映画
のうち、最後まで続けられたのが映画日記だけ。そういう訳(?)で、10本の振り返り(自画自賛)をして行きます。
・アメリカンアニマルズ
https://magiclazy.diarynote.jp/201905202135076454/
ひみつ日記ではぼちぼち始めていたが、おもて日記で映画評をしたのがこの時期。振り返ってみても一番思い入れがある。
・ジョーカー
https://magiclazy.diarynote.jp/201910070203107225/
他の人の日記で結構褒められていて、(後から知り)嬉しくなった。
https://dadadaisland.diarynote.jp/201910132104176808/
でも、コメントある方がモチベ高まるんで、書き込みに来て欲しかったなあ(なおサ終
あと、KOCの主人公はパンプキンじゃなくて「パプキン」でした。頭ドテカボチャかな?
・ドクタースリープ
https://magiclazy.diarynote.jp/201912090030226922/
・透明人間
https://magiclazy.diarynote.jp/202007232210449599/
長文傾向が始まった頃。国内では大して話題にならなかった映画ゆえ「俺だけは評価するぞ!」って意気込みがあった。
・新聞記者
https://magiclazy.diarynote.jp/202004070128144710/
・FateHF3章
https://magiclazy.diarynote.jp/202008202313364863/
・ヤクザと家族
https://magiclazy.diarynote.jp/202102090110087200/
これは逆に「世評高すぎへんか?」ってもの申したい作品群。Fateはファンムービーでしゃあないが、藤井監督を「社会派!無条件で凄い!」って持ち上げる連中が多いのは…どうもね…。
・ドクターデスの遺産
https://magiclazy.diarynote.jp/202011300000375360/
粗探し系。クソ映画には笑って許せるタイプと無理なタイプがあるが、こちらは前者。
・すばらしき世界
https://magiclazy.diarynote.jp/202103100151575242/
掛け値なしの絶賛評。すばらしき映画。
・映画大好きポンポさん
https://magiclazy.diarynote.jp/202106110252029046/
原作付き映画の宿命とも言える、改変についての論。殊「映画で映画を語る」うえにおいて、「一人の才能で成り立っている」っていうのは絶対に言っちゃいけない言葉だと思う。この改変は、正解。
・ベルファスト/ナイトメア・アリ―
https://magiclazy.diarynote.jp/202203272035166073/
ラスト。人生を描いた映画で〆るというのも、乙な味。
↓移転先です。4月以降書いていけるかは未定。
https://note.com/brave_nerine509/n/ne765b80066e4
①Mtg
②翻訳
③映画
のうち、最後まで続けられたのが映画日記だけ。そういう訳(?)で、10本の振り返り(自画自賛)をして行きます。
・アメリカンアニマルズ
https://magiclazy.diarynote.jp/201905202135076454/
ひみつ日記ではぼちぼち始めていたが、おもて日記で映画評をしたのがこの時期。振り返ってみても一番思い入れがある。
・ジョーカー
https://magiclazy.diarynote.jp/201910070203107225/
他の人の日記で結構褒められていて、(後から知り)嬉しくなった。
https://dadadaisland.diarynote.jp/201910132104176808/
でも、コメントある方がモチベ高まるんで、書き込みに来て欲しかったなあ(なおサ終
あと、KOCの主人公はパンプキンじゃなくて「パプキン」でした。頭ドテカボチャかな?
・ドクタースリープ
https://magiclazy.diarynote.jp/201912090030226922/
・透明人間
https://magiclazy.diarynote.jp/202007232210449599/
長文傾向が始まった頃。国内では大して話題にならなかった映画ゆえ「俺だけは評価するぞ!」って意気込みがあった。
・新聞記者
https://magiclazy.diarynote.jp/202004070128144710/
・FateHF3章
https://magiclazy.diarynote.jp/202008202313364863/
・ヤクザと家族
https://magiclazy.diarynote.jp/202102090110087200/
これは逆に「世評高すぎへんか?」ってもの申したい作品群。Fateはファンムービーでしゃあないが、藤井監督を「社会派!無条件で凄い!」って持ち上げる連中が多いのは…どうもね…。
・ドクターデスの遺産
https://magiclazy.diarynote.jp/202011300000375360/
粗探し系。クソ映画には笑って許せるタイプと無理なタイプがあるが、こちらは前者。
・すばらしき世界
https://magiclazy.diarynote.jp/202103100151575242/
掛け値なしの絶賛評。すばらしき映画。
・映画大好きポンポさん
https://magiclazy.diarynote.jp/202106110252029046/
原作付き映画の宿命とも言える、改変についての論。殊「映画で映画を語る」うえにおいて、「一人の才能で成り立っている」っていうのは絶対に言っちゃいけない言葉だと思う。この改変は、正解。
・ベルファスト/ナイトメア・アリ―
https://magiclazy.diarynote.jp/202203272035166073/
ラスト。人生を描いた映画で〆るというのも、乙な味。
↓移転先です。4月以降書いていけるかは未定。
https://note.com/brave_nerine509/n/ne765b80066e4
『ベルファスト』『ナイトメア・アリ―』
2022年3月27日 映画
とりま移転先。後4日間はDNで書きますが。
https://note.com/brave_nerine509/n/ne765b80066e4
・ベルファスト
粗筋 69年北アイルランド、ベルファスト。プロテスタントがカトリック少数派を迫害する暴動が起きた。少年バディは忘れられない日々を過ごし、やがて町を出ていく。
数々の賞を受賞し今年度アカデミー賞でも注目される、ケネスブラナ―最新作。
現代において、敢えてのモノクロ映画。
https://www.youtube.com/watch?v=LKYqz-hhxAE&ab_channel=%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%B3%E6%B4%8B%E7%94%BB%E9%A4%A8ORICONNEWS
A24的なアート映画ではないかと、身構えてしまう。しかし実際は、心温まるユーモアドラマだった。
全編「こども目線」で貫かれており、瑞々しい。類似作と違い、アイルランド・イギリスの政治闘争を主眼にはおいていない。飽くまで9歳の少年バディが捉えられる、日常風景として描かれるのだ。それは家族であり、恋であり、野に摘むシロツメクサであった。
では何故、モノクロなのか?それはごく僅か映される、極彩色の舞台/映画を際立たせるためだ。ブラナ―はインタビューに
と語る。バディが目を輝かせ喜ぶのは、格調高いクリスマスキャロル劇や、対照的に俗猥でスリルのある「恐竜100万年」「チキチキバンバン」…。
この映画はブラナ―の半自伝映画(オートフィクション)だ。過酷な時代を生き、ベルファストを抜け出しロンドンに行った少年は、やがてイギリス屈指の映画人となる。辛い現実も、フィクションへの逃避も芸術へと昇華して見せるブラナ―の手腕。『ナイル~』で舐めてて正直すまんかった。いや駄作評価は変わらんけども。
https://magiclazy.diarynote.jp/202202282052026062/
・ナイトメア・アリー
粗筋 流れ者の青年スタンは、見世物小屋の旅一座にふとしたことで加わる。老いた手品師からは読心術を、座長からはエゲツなさを吸収し、持ち前の華やかさでもってショービズ界をのし上がる。
2年後、高級ナイトクラブには透視ショーで金を稼ぐスタンの姿があった。彼は更なる栄達を求めて、権力者に付け入る霊視ビジネスに手を出すのだが…。
前作『シェイプオブウォーター』で遂にアカデミー賞を勝ち取ったギレルモ・デルトロ監督。最新作は『悪夢の行く町』をリメイクした、傑作ノワールサスペンスだった。
3幕構成のお手本と言える映画だ。1幕目は、スタンの出発点となるクレム一座で展開される。47年のオリジナル版は端正さのあるモノクロ犯罪劇だが、今作はもっと淫靡で、闇の濃い雰囲気を放っている。私は寧ろ、ブラッドベリ原作の『何かがこの道をやってくる』を思い出す。
デルトロ映画と言えば、「異形のファンタジー」だ。奇形児のホルマリン、鶏を引き裂く獣人芸”ギーク”、夜空に浮かぶ観覧車…。妖しく輝く移動遊園地の世界で、スタンは才知と根性でのし上がる。
2幕目は、彼の栄達物語だ。クレム一座と同じように、彼は大都会でも他人を犠牲にしてアメリカンドリームを追求する。愛した筈のモリ―も道具にし、新たに出会う女性リリスをも手玉に取った(気でいる)。判事の伝手で大富豪とも繋がり、巨万の富を築く。
だが、転落もまたアメリカンドリームの常だ。3幕目では、タロットに運命づけられた破滅が彼を襲う。モリ―に見限られ、リリスに裏切られ、彼はどこまでも堕ちていく。成り上がりを誓ったあの時計を、負け犬の象徴だった酒の代金へと替えるに至ってしまう。
最後に辿り着くのは、初まりの地である旅一座。クレム座は解散しているが、別の座長に仕事を持ちかけられる。「これはちょっとした一時仕事なんだが…」。そう、それは獣人”ギーク”として、人間性を捨て檻で飼われることを意味していた。向こうの手口は百も承知…だが、スタンは阿片入りの酒杯を煽るのだった。
本作は、47年版とラストが決定的に違う。私はそこに、デルトロ作品に通底する「異形の救い」を見た。『パンズラビリンス』において死の間際におとぎ話の世界で永遠の生を受けた少女のように、或いは『シェイプオブウォーター』において地上を捨て海に還った人魚姫のように…。哀れな末路かもしれないが、当人の魂は救われるラストだ。
47年版では、獣人になったスタンはモリ―に救われる。正気と共に愛を取り戻し、座長の赦しも得る。一方の『ナイトメア・アリー』では、獣人へと堕ちる決断で幕が閉じる。だが、父を殺して始めた成り上がりの地獄行が、漸くここで終わってくれる。もう「気を張る」必要はない…たとえ貧救院に投げ捨てられる未来が待とうとも、余生は気楽に過ごせるのだ。
涙ながらにごちるその顔には、何処か安らぎが浮かんでいる。
はい!新作レビューも今回で終わりっす!両作とも素晴らしい映画なんで、皆も観ようね!!
https://note.com/brave_nerine509/n/ne765b80066e4
・ベルファスト
粗筋 69年北アイルランド、ベルファスト。プロテスタントがカトリック少数派を迫害する暴動が起きた。少年バディは忘れられない日々を過ごし、やがて町を出ていく。
数々の賞を受賞し今年度アカデミー賞でも注目される、ケネスブラナ―最新作。
現代において、敢えてのモノクロ映画。
https://www.youtube.com/watch?v=LKYqz-hhxAE&ab_channel=%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%B3%E6%B4%8B%E7%94%BB%E9%A4%A8ORICONNEWS
A24的なアート映画ではないかと、身構えてしまう。しかし実際は、心温まるユーモアドラマだった。
全編「こども目線」で貫かれており、瑞々しい。類似作と違い、アイルランド・イギリスの政治闘争を主眼にはおいていない。飽くまで9歳の少年バディが捉えられる、日常風景として描かれるのだ。それは家族であり、恋であり、野に摘むシロツメクサであった。
では何故、モノクロなのか?それはごく僅か映される、極彩色の舞台/映画を際立たせるためだ。ブラナ―はインタビューに
当時のベルファストは白黒の世界に見えたので、シネマはカラフルな想像の世界への逃避だった
と語る。バディが目を輝かせ喜ぶのは、格調高いクリスマスキャロル劇や、対照的に俗猥でスリルのある「恐竜100万年」「チキチキバンバン」…。
この映画はブラナ―の半自伝映画(オートフィクション)だ。過酷な時代を生き、ベルファストを抜け出しロンドンに行った少年は、やがてイギリス屈指の映画人となる。辛い現実も、フィクションへの逃避も芸術へと昇華して見せるブラナ―の手腕。『ナイル~』で舐めてて正直すまんかった。いや駄作評価は変わらんけども。
https://magiclazy.diarynote.jp/202202282052026062/
・ナイトメア・アリー
粗筋 流れ者の青年スタンは、見世物小屋の旅一座にふとしたことで加わる。老いた手品師からは読心術を、座長からはエゲツなさを吸収し、持ち前の華やかさでもってショービズ界をのし上がる。
2年後、高級ナイトクラブには透視ショーで金を稼ぐスタンの姿があった。彼は更なる栄達を求めて、権力者に付け入る霊視ビジネスに手を出すのだが…。
前作『シェイプオブウォーター』で遂にアカデミー賞を勝ち取ったギレルモ・デルトロ監督。最新作は『悪夢の行く町』をリメイクした、傑作ノワールサスペンスだった。
3幕構成のお手本と言える映画だ。1幕目は、スタンの出発点となるクレム一座で展開される。47年のオリジナル版は端正さのあるモノクロ犯罪劇だが、今作はもっと淫靡で、闇の濃い雰囲気を放っている。私は寧ろ、ブラッドベリ原作の『何かがこの道をやってくる』を思い出す。
デルトロ映画と言えば、「異形のファンタジー」だ。奇形児のホルマリン、鶏を引き裂く獣人芸”ギーク”、夜空に浮かぶ観覧車…。妖しく輝く移動遊園地の世界で、スタンは才知と根性でのし上がる。
2幕目は、彼の栄達物語だ。クレム一座と同じように、彼は大都会でも他人を犠牲にしてアメリカンドリームを追求する。愛した筈のモリ―も道具にし、新たに出会う女性リリスをも手玉に取った(気でいる)。判事の伝手で大富豪とも繋がり、巨万の富を築く。
だが、転落もまたアメリカンドリームの常だ。3幕目では、タロットに運命づけられた破滅が彼を襲う。モリ―に見限られ、リリスに裏切られ、彼はどこまでも堕ちていく。成り上がりを誓ったあの時計を、負け犬の象徴だった酒の代金へと替えるに至ってしまう。
最後に辿り着くのは、初まりの地である旅一座。クレム座は解散しているが、別の座長に仕事を持ちかけられる。「これはちょっとした一時仕事なんだが…」。そう、それは獣人”ギーク”として、人間性を捨て檻で飼われることを意味していた。向こうの手口は百も承知…だが、スタンは阿片入りの酒杯を煽るのだった。
本作は、47年版とラストが決定的に違う。私はそこに、デルトロ作品に通底する「異形の救い」を見た。『パンズラビリンス』において死の間際におとぎ話の世界で永遠の生を受けた少女のように、或いは『シェイプオブウォーター』において地上を捨て海に還った人魚姫のように…。哀れな末路かもしれないが、当人の魂は救われるラストだ。
47年版では、獣人になったスタンはモリ―に救われる。正気と共に愛を取り戻し、座長の赦しも得る。一方の『ナイトメア・アリー』では、獣人へと堕ちる決断で幕が閉じる。だが、父を殺して始めた成り上がりの地獄行が、漸くここで終わってくれる。もう「気を張る」必要はない…たとえ貧救院に投げ捨てられる未来が待とうとも、余生は気楽に過ごせるのだ。
これが宿命だったんだ。
涙ながらにごちるその顔には、何処か安らぎが浮かんでいる。
はい!新作レビューも今回で終わりっす!両作とも素晴らしい映画なんで、皆も観ようね!!
2021年度下半期 印象に残った本その4(漫画編)
2022年3月24日 読書
新しく追い始めた単行本を中心に。
ビジャの女王
モンゴル帝国が版図を広げる時代に、独立を保つ小国があった。城下を守る姫は、伝承に聞く「墨家」に最後の望みを託す…。
作者が画業40年を超える人であり、劇画タッチは流石に古臭い。…けれど、それが伝奇系歴史作品の外連味、「ハッタリ感」とマッチしている。類似ジャンルの近作では「天竺熱風録」もあったけど、あれと違って「個人の凄い戦闘力で何とか頑張る」って話ではないのが好き。
SANDA
超少子化の未来で、サンタの末裔が悪い校長と戦う話。
板垣パル先生は、良くも悪くも週刊向きの作家だと思う。『BEASTERS』は後半失速したんだけど、風呂敷の畳み方が雑だったんだよね。「肉食/草食の過去の戦争」「壮年ビースターの選出」「海と陸の価値観」などは回収されず終いだった。それを思えば、今作の「超少子化」「学校の外部世界」などの大きな物語は、うやむやに終わるのだろう。
けれど、やっぱ板垣先生はネームの切り方が抜群に上手い。自由闊達なコマ割り、影を活かした凄みのある感情表現、ダイナミックで外連味のあるアクション一枚画、びっしりした書き込まれた小ネタや小物のディティール…。これを週刊ペースで読めるのは、ただただ幸せ。
ジーニーアース
頭のネジ飛んだ超人VSヒャッハー管理社会、勝手に戦え!
押切先生の最新作。暴力超人が拳で語るってのはお決まりだが、「能力はないが泰然とした主人公」って作りは初めてかも。キャラの幅がある分、そこそこ長く続けられそう。
超人X
超能力の出現で歴史がズレた現代日本で、ヒーローと悪人が戦う話。
石田スイ先生の新作。1巻前半までは「『ヒーローアカデミア』を悪趣味にした」ような演出で若干嫌味だったが、後は『東京喰種』のテンションに戻った。編集がコントロールして何より。
よくあるバトルものだが、「死んで蘇ってパワーアップする」って設定は『家庭教師REBORN』や西尾維新くらいでしか見たことがない。バトルシーンでどう生かすか楽しみ。
虎鶫
異界化した未来の日本を舞台に、犯罪者たちが軍事機密をサルベージする旅物語。
ケモ娘のつぐみが本当に可愛い。…だけではなく、画力がとんでもない。『メイドインアビス』のように、書き込まれた背景の中にちっぽけなキャラを配する作品って、読者を世界へと没入させてくれるよね。世界が殺伐としているからこそ、ころころ表情の変わるキャラが愛おしくなる。
光が死んだ夏
山から帰って来た親友が、バケモノに乗っ取られてた。
やおい系から1本。「莫逆の友が、バケモノに食われた。しかしバケモノは記憶や感情を引き継いでいるため、これまでと変わらず親愛の情を寄せてくる」…。いやー業が深い!!!しかも片田舎の夏という舞台立て、関西方言でのじゃれ合いも手伝って、僕のやおいマインド♂にビンビン響いてくる。
漫画的表現も卓越している。蝉のすだく音・環境音をまるでアミカケのように使う表現、魚眼レンズを覗くような構図、陰影の濃い背景…。土俗ホラーとしてきっちり作り込んでいるからこそ、光(のようなもの)との交流に緊張感が生まれる。
ワールドイズダンシング
能の大成者、世阿弥の生涯。
歴史漫画って、単行本末尾の解説も大きな魅力じゃない?重厚な政治劇なら本編だけで理解出来るが、『逃げ上手の若君』や『乙女戦争』のような、アクション漫画は解説があるからこそ補完出来る。その点、本作は身体芸術を感覚的に描くのだから、言語的解説がしっかりしているのは矢張り嬉しい。
話は…まだ序盤なので何とも。
任侠転生ー異世界のヤクザ姫ー
老任侠が姫に転生して、暴力説教。
性別反転する異世界転生って、美貌を武器にしたり、後宮などの女性の園で(男ならではの気風で)惚れ♀させるものが多いじゃない?(特になろうは)。その点、今作は主人公が女性アバターになる物語的必然性がないんよな。可愛いイケメンってだけで、割と美少年とかでも成り立ちうる。
その意味で言えば、視覚芸術である漫画だからこそ、なのかな。この話ノベライズされても、魅力は引き立たないだろうね。
ぷにるはかわいいスライム
https://www.corocoro.jp/episode/3269754496804969156
ああ^~っ。(ぷにる)
各所の変態オタクが大いに沸いた、コロコロ初のラブコメ。
コロコロは購読層がガキンチョなのに、性癖クラッシャー要素がこれでもかと詰め込まれている。「パーカー/厚底スニーカー/スパッツ/ポシェットのキャラデザ」「丁寧語のスライムぼくっ娘と同棲」「一途に可愛いアピールするのに、恋愛感情はない距離感」…。
大人ぷにるに変身すると、「はだけパーカー/ボウタイトップス/プリ―ツスカート/ニーハイ/ローファー」姿でぐっと色っぽくなる辺りも、ああ^~っ(絶頂)。
一口にスライム娘と言っても色々ある。例えばみぞね先生なら「半透明・表面もちもち」ぐらいでほぼ人間だが、ぷにるはもっとバケモン寄り。水道管を通る/コーヒーカップに潜むように変形するうえ、切断・胎内取り込みのような(若干猟奇じみた)描写もある。無論これらはギャグ演出ありきだけれど、エロ方面の妄想が捗る設定ですね、はい(もん娘マイスター感)。
さて、それにしてもコンテンツのヒットには「フック」が重要だとつくづく思う。「100ワニ」が過大評価されたように、今作も第一話末尾の
という抜群の引きでバズりが運命づけられた。この一言があるだけで、もう妄想や考察が掻き立てられるよね。
①本命:恋仲でハッピーエンド
②対抗馬:大親友のような半歩進展
③NTR/BSS/絶交で疎遠ビターエンド
のどれになるか。僕は③が推しです(鬼畜派
負けヒロインは2話で出たので、ぷにるに惚れる男子をレギュラーで出せば2on2の四角関係ラブコメが期待出来ますね。
ぷにるは単行本出たら絶対買う、皆も買え(命令
ビジャの女王
モンゴル帝国が版図を広げる時代に、独立を保つ小国があった。城下を守る姫は、伝承に聞く「墨家」に最後の望みを託す…。
作者が画業40年を超える人であり、劇画タッチは流石に古臭い。…けれど、それが伝奇系歴史作品の外連味、「ハッタリ感」とマッチしている。類似ジャンルの近作では「天竺熱風録」もあったけど、あれと違って「個人の凄い戦闘力で何とか頑張る」って話ではないのが好き。
SANDA
超少子化の未来で、サンタの末裔が悪い校長と戦う話。
板垣パル先生は、良くも悪くも週刊向きの作家だと思う。『BEASTERS』は後半失速したんだけど、風呂敷の畳み方が雑だったんだよね。「肉食/草食の過去の戦争」「壮年ビースターの選出」「海と陸の価値観」などは回収されず終いだった。それを思えば、今作の「超少子化」「学校の外部世界」などの大きな物語は、うやむやに終わるのだろう。
けれど、やっぱ板垣先生はネームの切り方が抜群に上手い。自由闊達なコマ割り、影を活かした凄みのある感情表現、ダイナミックで外連味のあるアクション一枚画、びっしりした書き込まれた小ネタや小物のディティール…。これを週刊ペースで読めるのは、ただただ幸せ。
ジーニーアース
頭のネジ飛んだ超人VSヒャッハー管理社会、勝手に戦え!
押切先生の最新作。暴力超人が拳で語るってのはお決まりだが、「能力はないが泰然とした主人公」って作りは初めてかも。キャラの幅がある分、そこそこ長く続けられそう。
超人X
超能力の出現で歴史がズレた現代日本で、ヒーローと悪人が戦う話。
石田スイ先生の新作。1巻前半までは「『ヒーローアカデミア』を悪趣味にした」ような演出で若干嫌味だったが、後は『東京喰種』のテンションに戻った。編集がコントロールして何より。
よくあるバトルものだが、「死んで蘇ってパワーアップする」って設定は『家庭教師REBORN』や西尾維新くらいでしか見たことがない。バトルシーンでどう生かすか楽しみ。
虎鶫
異界化した未来の日本を舞台に、犯罪者たちが軍事機密をサルベージする旅物語。
ケモ娘のつぐみが本当に可愛い。…だけではなく、画力がとんでもない。『メイドインアビス』のように、書き込まれた背景の中にちっぽけなキャラを配する作品って、読者を世界へと没入させてくれるよね。世界が殺伐としているからこそ、ころころ表情の変わるキャラが愛おしくなる。
光が死んだ夏
山から帰って来た親友が、バケモノに乗っ取られてた。
やおい系から1本。「莫逆の友が、バケモノに食われた。しかしバケモノは記憶や感情を引き継いでいるため、これまでと変わらず親愛の情を寄せてくる」…。いやー業が深い!!!しかも片田舎の夏という舞台立て、関西方言でのじゃれ合いも手伝って、僕のやおいマインド♂にビンビン響いてくる。
漫画的表現も卓越している。蝉のすだく音・環境音をまるでアミカケのように使う表現、魚眼レンズを覗くような構図、陰影の濃い背景…。土俗ホラーとしてきっちり作り込んでいるからこそ、光(のようなもの)との交流に緊張感が生まれる。
ワールドイズダンシング
能の大成者、世阿弥の生涯。
歴史漫画って、単行本末尾の解説も大きな魅力じゃない?重厚な政治劇なら本編だけで理解出来るが、『逃げ上手の若君』や『乙女戦争』のような、アクション漫画は解説があるからこそ補完出来る。その点、本作は身体芸術を感覚的に描くのだから、言語的解説がしっかりしているのは矢張り嬉しい。
話は…まだ序盤なので何とも。
任侠転生ー異世界のヤクザ姫ー
老任侠が姫に転生して、暴力説教。
性別反転する異世界転生って、美貌を武器にしたり、後宮などの女性の園で(男ならではの気風で)惚れ♀させるものが多いじゃない?(特になろうは)。その点、今作は主人公が女性アバターになる物語的必然性がないんよな。可愛いイケメンってだけで、割と美少年とかでも成り立ちうる。
その意味で言えば、視覚芸術である漫画だからこそ、なのかな。この話ノベライズされても、魅力は引き立たないだろうね。
ぷにるはかわいいスライム
https://www.corocoro.jp/episode/3269754496804969156
ああ^~っ。(ぷにる)
各所
コロコロは購読層がガキンチョなのに、性癖クラッシャー要素がこれでもかと詰め込まれている。「パーカー/厚底スニーカー/スパッツ/ポシェットのキャラデザ」「丁寧語のスライムぼくっ娘と同棲」「一途に可愛いアピールするのに、恋愛感情はない距離感」…。
大人ぷにるに変身すると、「はだけパーカー/ボウタイトップス/プリ―ツスカート/ニーハイ/ローファー」姿でぐっと色っぽくなる辺りも、ああ^~っ(絶頂)。
一口にスライム娘と言っても色々ある。例えばみぞね先生なら「半透明・表面もちもち」ぐらいでほぼ人間だが、ぷにるはもっとバケモン寄り。水道管を通る/コーヒーカップに潜むように変形するうえ、切断・胎内取り込みのような(若干猟奇じみた)描写もある。無論これらはギャグ演出ありきだけれど、エロ方面の妄想が捗る設定ですね、はい(もん娘マイスター感)。
さて、それにしてもコンテンツのヒットには「フック」が重要だとつくづく思う。
これはスライムのぷにると中学生コタローが
ともだちじゃなくなるまでのお話…。
という抜群の引きでバズりが運命づけられた。この一言があるだけで、もう妄想や考察が掻き立てられるよね。
①本命:恋仲でハッピーエンド
②対抗馬:大親友のような半歩進展
③NTR/BSS/絶交で疎遠ビターエンド
のどれになるか。僕は③が推しです(鬼畜派
負けヒロインは2話で出たので、ぷにるに惚れる男子をレギュラーで出せば2on2の四角関係ラブコメが期待出来ますね。
ぷにるは単行本出たら絶対買う、皆も買え(命令
2021年度下半期 印象に残った本その3
2022年3月21日 読書
まだ続きそう。
鹿の王/鹿の王・水底の橋 上橋菜穂子 角川文庫
軍事大国ツオルと、属領アカファ。微妙な緊張関係にある2国で、古の病が復活した。天才医師ホッサルは抗体を作るべく、奇跡的に生き延びた男ヴァンを追うのだが…。本格的医療ファンタジー。
https://magiclazy.diarynote.jp/202202012133559752/
映画はこの前激クソ貶しましたが、原作はくっちゃ面白かったです。上橋先生のヒキダシがすげーの!
近代医療をファンタジー語に咀嚼・定義したメディカルサスペンス、歴史・地政学・外交の席での肚の探り合いが絡み合ったポリティカルドラマ、非常民文化の造詣豊かな狩猟民族の生活風景…。それら3つの異なる空気が、一つの世界観に織り込まれ物語を成していく。医療分野の描写だけでも医学小説の賞獲ってるのに、3倍だぞ!3倍!
それを思えば、キャラ大幅に削って、医療ドラマ・政治劇をゴッソリ削ったのに詰まらなかった映画版っていったい…。あの映画、案の定大爆死したらしいね。300館公開で4億はつれぇわ…。100ワニの5倍ぽっちやぞ…。
関西ヤクザの赤裸々日記 元暴力団員てつ 彩図社
部屋住み、会長宅住み、組み抜けと服役、武闘派組織でのノシ上がり…。波乱続きのヤクザ人生をディティールたっぷりに綴った実録小説。
ヤクザ実録もの。ヤー公と言えば高倉健/鶴田浩二のような映画任侠か、パンチパーマに白スーツでゴロまくヤンキーMk.2としてフィクションで描かれるもの。
ところが実際のヤクザは気配り・根回し・機先の3本柱が必要だと説いた、一種のお仕事ものになっている。
殺しも恐喝もカチコミもない、けれど刺激と心労に富んだヤクザ人生の内容は確かに良い。けれど、もっと面白いのは話の描き方。「過去に起こした行動」「その時の意図」「後からの評価」をきちんと描き分けて記述している。PDCA回せる人だから、そりゃ(裏街道ながら)出世するわなーと納得させられる力がある。こういう本って大概ゴーストライターが書いてるんだけど、これに限っては本人の筆による部分が多いんじゃねーかな。
汚辱の世界史 JLボルヘス中村健二訳 岩波文庫
古今悪党の隆盛と破滅を、詩情と皮肉の利いた文体で綴る。南米屈指の文豪ボルヘスの最初期作品。
ボルヘス作品と言えば、「続審問」や「伝奇集」のように高踏で形而上的なファンタジーが思い浮かぶ。しかし今作は寧ろ、(翻訳が素晴らしいのもあるが)詩のように美しく、それでいて簡潔な文体が魅力。「はちみつ色の月が登り…」「裏路地にはギターとナイフが閃く」…カッケー文章表現なんだよなあ!!
スピリチュアリズム 苫米地英人 にんげん出版
江原の説く「アートマンの永続/輪廻転生/魂の階層性」は、論理的にはオウムに行きつく!(執筆当時)日本を席捲していたスピリチュアルブームを、脱洗脳の専門家が鋭く切る。
某K林M耶の電波離婚劇に触れ、思い出し購入。
宗教批判の本は数あれ、氏の著書には類書にない魅力が2点ある。第一に、ロジック構成の巧みさ。激烈な無神論者で言えばドーキンスが居るが、彼は強力な論理を「ぶつけに行く」。科学的に、或いは社会効用的に宗教の有害さを説く。これは確かに、「周縁や外部」に居る層には届く。けれど、どっぷり浸かった人間には効かないんですよ。何故なら人間は、むき出しの物理宇宙ではなく「脳のフィルターを通した」記憶と意識の世界でしか生きられないから。
それに対し、専門家ゆえ氏は「彼ら側のロジック」に則って脱洗脳に取り掛かる。宗教は敷衍するためには抽象度の高い説明原理が必要。権威付けのために借りた先行理論・教義内の齟齬を付き、内側から解体して「何だ、馬鹿らしいじゃん」と自分から気づけるようにする。
もう一点は、抜群の比喩能力。高度に抽象的な理屈を取り上げる際にも、キャッチ―なフレーズや、具体的・体感的な表現に置き換えて説明出来る。仮観・空観・中観を「映画館」の喩えで説明したり、カルマと輪廻転生を「データベース」になぞらえたり…。それでいて誤謬がないのだから、説明力が異常に高い。
矢鱈に本を書く人でもあって、教育・軍事分野の本に至っては「与太こいてんなァ!」と思わされることも多い。けれど、殊ご専門の脳機能・宗教方面の本はやっぱ凄いね。「洗脳原論」とこの「スピリチュアリズム」は手放しで人に勧められる。
鹿の王/鹿の王・水底の橋 上橋菜穂子 角川文庫
軍事大国ツオルと、属領アカファ。微妙な緊張関係にある2国で、古の病が復活した。天才医師ホッサルは抗体を作るべく、奇跡的に生き延びた男ヴァンを追うのだが…。本格的医療ファンタジー。
https://magiclazy.diarynote.jp/202202012133559752/
映画はこの前激クソ貶しましたが、原作はくっちゃ面白かったです。上橋先生のヒキダシがすげーの!
近代医療をファンタジー語に咀嚼・定義したメディカルサスペンス、歴史・地政学・外交の席での肚の探り合いが絡み合ったポリティカルドラマ、非常民文化の造詣豊かな狩猟民族の生活風景…。それら3つの異なる空気が、一つの世界観に織り込まれ物語を成していく。医療分野の描写だけでも医学小説の賞獲ってるのに、3倍だぞ!3倍!
それを思えば、キャラ大幅に削って、医療ドラマ・政治劇をゴッソリ削ったのに詰まらなかった映画版っていったい…。あの映画、案の定大爆死したらしいね。300館公開で4億はつれぇわ…。100ワニの5倍ぽっちやぞ…。
関西ヤクザの赤裸々日記 元暴力団員てつ 彩図社
部屋住み、会長宅住み、組み抜けと服役、武闘派組織でのノシ上がり…。波乱続きのヤクザ人生をディティールたっぷりに綴った実録小説。
ヤクザ実録もの。ヤー公と言えば高倉健/鶴田浩二のような映画任侠か、パンチパーマに白スーツでゴロまくヤンキーMk.2としてフィクションで描かれるもの。
ところが実際のヤクザは気配り・根回し・機先の3本柱が必要だと説いた、一種のお仕事ものになっている。
殺しも恐喝もカチコミもない、けれど刺激と心労に富んだヤクザ人生の内容は確かに良い。けれど、もっと面白いのは話の描き方。「過去に起こした行動」「その時の意図」「後からの評価」をきちんと描き分けて記述している。PDCA回せる人だから、そりゃ(裏街道ながら)出世するわなーと納得させられる力がある。こういう本って大概ゴーストライターが書いてるんだけど、これに限っては本人の筆による部分が多いんじゃねーかな。
汚辱の世界史 JLボルヘス中村健二訳 岩波文庫
古今悪党の隆盛と破滅を、詩情と皮肉の利いた文体で綴る。南米屈指の文豪ボルヘスの最初期作品。
ボルヘス作品と言えば、「続審問」や「伝奇集」のように高踏で形而上的なファンタジーが思い浮かぶ。しかし今作は寧ろ、(翻訳が素晴らしいのもあるが)詩のように美しく、それでいて簡潔な文体が魅力。「はちみつ色の月が登り…」「裏路地にはギターとナイフが閃く」…カッケー文章表現なんだよなあ!!
スピリチュアリズム 苫米地英人 にんげん出版
江原の説く「アートマンの永続/輪廻転生/魂の階層性」は、論理的にはオウムに行きつく!(執筆当時)日本を席捲していたスピリチュアルブームを、脱洗脳の専門家が鋭く切る。
某K林M耶の電波離婚劇に触れ、思い出し購入。
宗教批判の本は数あれ、氏の著書には類書にない魅力が2点ある。第一に、ロジック構成の巧みさ。激烈な無神論者で言えばドーキンスが居るが、彼は強力な論理を「ぶつけに行く」。科学的に、或いは社会効用的に宗教の有害さを説く。これは確かに、「周縁や外部」に居る層には届く。けれど、どっぷり浸かった人間には効かないんですよ。何故なら人間は、むき出しの物理宇宙ではなく「脳のフィルターを通した」記憶と意識の世界でしか生きられないから。
それに対し、専門家ゆえ氏は「彼ら側のロジック」に則って脱洗脳に取り掛かる。宗教は敷衍するためには抽象度の高い説明原理が必要。権威付けのために借りた先行理論・教義内の齟齬を付き、内側から解体して「何だ、馬鹿らしいじゃん」と自分から気づけるようにする。
もう一点は、抜群の比喩能力。高度に抽象的な理屈を取り上げる際にも、キャッチ―なフレーズや、具体的・体感的な表現に置き換えて説明出来る。仮観・空観・中観を「映画館」の喩えで説明したり、カルマと輪廻転生を「データベース」になぞらえたり…。それでいて誤謬がないのだから、説明力が異常に高い。
矢鱈に本を書く人でもあって、教育・軍事分野の本に至っては「与太こいてんなァ!」と思わされることも多い。けれど、殊ご専門の脳機能・宗教方面の本はやっぱ凄いね。「洗脳原論」とこの「スピリチュアリズム」は手放しで人に勧められる。
『シング:ネクストステージ』
2022年3月20日 映画
粗筋 ニュー・ムーン劇場は、連日の大入り満員。だが、ショービズの本場から来た評論家に酷評されてしまう。ムーンは躍起になり、一座を連れレッドショア・シティへ向かう。
一流劇場のクリスタルタワーに忍び込んだ彼らは、意気揚々とオーディションを受けるも落選。だが、何の気なしに口にした言葉がクリスタル社長の耳に止まる。「伝説のロックスター、クレイの復帰作にする」…出まかせの安請け合いから、次なるステージは始まった。
ショーの規模を小劇場からドームに変えたせいで、フィクション性が大幅に上がってしまった。別個の作品として観るならまだしも、続きものとして考えるとムーン一座が身勝手に見えてしまう。…ってのが正直な感想です。
『シング』1作目は、イルミネーション作品にしては世知辛い話でした。物件の差し押さえ、賞金、強盗、賭博と金にまつわる出来事が全編に散りばめられている。
一方の『シング2』はどうか。ムーン側は誰一人、金の心配をしないんですよ。正規の契約ならまだ良い。けれど不法侵入+騙り詐欺でこの仕事にありついているんです。その結果、客が1万人は入るような巨大ステージを使い、大勢の裏方スタッフに指図して、高級ホテルでの宿泊も出来るようになった。
この映画、ムーンを事ある毎に恫喝してくるクリスタル社長が悪役になるんですが…それって当然の権利じゃない?騙されて都会に連れて来られただとか、権力を嵩に着て横槍入れるなら分かる。でも、騙して仕事受注したうえ、莫大な費用は全部社長持ちですよ?そりゃ「娘を配役しろ」だの、「ご破算にしたらぶっ殺すぞ」だの言うのも分かる。
クライマックスに向けての展開も、現実に即して考えるならムーン側が明らかに横暴です。「クレイを連れてくる」約束を果たせず、社長はムーンをとっちめようとする。するとムーンは逆に、クリスタルをやり込める作戦に打って出る。クリスタル・ステージを占拠し、1夜限りのショーを開催するのだ…。
もちろん、これはコメディータッチのファミリーアニメなのはわかってます。でも、ムーンのやり口は悪どいにも程がある。巨大ステージを占拠し、客を全員入場無料にして、警備員を足止めすべくレストランフロアで暴動を起こす…。更には、ショーが無事成功したのちにはクリスタル社長を逮捕させる。
挙句の果てには、クリスタル社ではなく「別の一流興行主」に乗り換えてこのショーをロングランさせる…。いやーーーーーーー信義則の欠片もねえじゃんか!
確かに、ミュージカルシーンの出来は素晴らしいですよ?前作は「歌」一本に感動が絞られていたが、今作では衣装・踊り・照明・舞台装置などが一体となった「舞台芸術」へと進化していた。でもそれってつまり、裏方さんの比重が大きいってことだよね。なのにこの映画では、裏方はギャグ要員/賑やかしでしかない。
ショーの規模は遥かに大きくなったのに、1と同じく「舞台上のパフォーマーだけでショービズは成り立ってる」かのように描く。『シング2』として観ると…独善的で理想主義過ぎるかな。
一流劇場のクリスタルタワーに忍び込んだ彼らは、意気揚々とオーディションを受けるも落選。だが、何の気なしに口にした言葉がクリスタル社長の耳に止まる。「伝説のロックスター、クレイの復帰作にする」…出まかせの安請け合いから、次なるステージは始まった。
ショーの規模を小劇場からドームに変えたせいで、フィクション性が大幅に上がってしまった。別個の作品として観るならまだしも、続きものとして考えるとムーン一座が身勝手に見えてしまう。…ってのが正直な感想です。
『シング』1作目は、イルミネーション作品にしては世知辛い話でした。物件の差し押さえ、賞金、強盗、賭博と金にまつわる出来事が全編に散りばめられている。
一方の『シング2』はどうか。ムーン側は誰一人、金の心配をしないんですよ。正規の契約ならまだ良い。けれど不法侵入+騙り詐欺でこの仕事にありついているんです。その結果、客が1万人は入るような巨大ステージを使い、大勢の裏方スタッフに指図して、高級ホテルでの宿泊も出来るようになった。
この映画、ムーンを事ある毎に恫喝してくるクリスタル社長が悪役になるんですが…それって当然の権利じゃない?騙されて都会に連れて来られただとか、権力を嵩に着て横槍入れるなら分かる。でも、騙して仕事受注したうえ、莫大な費用は全部社長持ちですよ?そりゃ「娘を配役しろ」だの、「ご破算にしたらぶっ殺すぞ」だの言うのも分かる。
クライマックスに向けての展開も、現実に即して考えるならムーン側が明らかに横暴です。「クレイを連れてくる」約束を果たせず、社長はムーンをとっちめようとする。するとムーンは逆に、クリスタルをやり込める作戦に打って出る。クリスタル・ステージを占拠し、1夜限りのショーを開催するのだ…。
もちろん、これはコメディータッチのファミリーアニメなのはわかってます。でも、ムーンのやり口は悪どいにも程がある。巨大ステージを占拠し、客を全員入場無料にして、警備員を足止めすべくレストランフロアで暴動を起こす…。更には、ショーが無事成功したのちにはクリスタル社長を逮捕させる。
挙句の果てには、クリスタル社ではなく「別の一流興行主」に乗り換えてこのショーをロングランさせる…。いやーーーーーーー信義則の欠片もねえじゃんか!
確かに、ミュージカルシーンの出来は素晴らしいですよ?前作は「歌」一本に感動が絞られていたが、今作では衣装・踊り・照明・舞台装置などが一体となった「舞台芸術」へと進化していた。でもそれってつまり、裏方さんの比重が大きいってことだよね。なのにこの映画では、裏方はギャグ要員/賑やかしでしかない。
ショーの規模は遥かに大きくなったのに、1と同じく「舞台上のパフォーマーだけでショービズは成り立ってる」かのように描く。『シング2』として観ると…独善的で理想主義過ぎるかな。
裏サン連載作で読み逃したものがあったので、今更アプリ登録。裏サンは超初期(黒背景に黄色枠線、縦読み構成、jpeg直貼り)の時代から毎日読んでたけど、マンガワンに手出したのは初めて。
1日8回復するライフ、Spライフ、有料チケット、1日1話無料…。何でこんな煩雑なシステムなのかなー…と使い始めは思ったけど、運営目線ならこうなるんかな。
①連載漫画は無料ライフでは読めない(単行本買わせるため)
②完結済作品は(単行本売上がそこまで動かないため)無料ライフで読める
③ただし1日1話限定にすることで、毎日開く習慣を付けさせる
④8ライフ=旧作を複数ブクマさせることで、競合他社アプリに乗り換えさせない
どこの出版社が始めたか知らんけど、なかなか上手い遣り口だよね。spライフの無料入手法も用意してあるけれど、中華ゲーのインスコ/カード・サイト登録をさせて、手数料をペイバックしてもらえる。一件幾らいくらで設定してるだろうから、運営側は採算が立つ。
月額サブスク系と違って、基本無料/登録時sp配布があるからユーザ登録のハードル低いし。
…んだけど、昔から相当改悪したんだってね。登録時spライフを100→50、spライフ毎日1個獲得を廃止、裏サン以外の完結作ストックを減らし、おまけに連載作品の最新1話無料まで無くした。
最新作追えなくなるのは、流石にWeb漫画サービスにおいて最悪手でしょ。アプリとブラウザ、使い分けせにゃならんのはお粗末極まる。最新作読みたい派はその内アプリ消すじゃん。
それと、スマホ画面だとやっぱ文字読みにくいわ。ウェブ裏サンと違って拡大出来るのはマシだけど(ブラウザで拡大した場合、ページ送りさせない仕様は最高にクソ)、細かい文字は辛い。悪役令嬢/後宮ジャンルは文字が多いから、いちいち拡大せにゃいかん。
漫画アプリは電書リーダー/タブレットで読むのが普通なのかな。
そんなわけで、SPライフが尽きたら僕もアンスコします。年寄りにとっては、漫画読みは紙媒体が安定。
1日8回復するライフ、Spライフ、有料チケット、1日1話無料…。何でこんな煩雑なシステムなのかなー…と使い始めは思ったけど、運営目線ならこうなるんかな。
①連載漫画は無料ライフでは読めない(単行本買わせるため)
②完結済作品は(単行本売上がそこまで動かないため)無料ライフで読める
③ただし1日1話限定にすることで、毎日開く習慣を付けさせる
④8ライフ=旧作を複数ブクマさせることで、競合他社アプリに乗り換えさせない
どこの出版社が始めたか知らんけど、なかなか上手い遣り口だよね。spライフの無料入手法も用意してあるけれど、中華ゲーのインスコ/カード・サイト登録をさせて、手数料をペイバックしてもらえる。一件幾らいくらで設定してるだろうから、運営側は採算が立つ。
月額サブスク系と違って、基本無料/登録時sp配布があるからユーザ登録のハードル低いし。
…んだけど、昔から相当改悪したんだってね。登録時spライフを100→50、spライフ毎日1個獲得を廃止、裏サン以外の完結作ストックを減らし、おまけに連載作品の最新1話無料まで無くした。
最新作追えなくなるのは、流石にWeb漫画サービスにおいて最悪手でしょ。アプリとブラウザ、使い分けせにゃならんのはお粗末極まる。最新作読みたい派はその内アプリ消すじゃん。
それと、スマホ画面だとやっぱ文字読みにくいわ。ウェブ裏サンと違って拡大出来るのはマシだけど(ブラウザで拡大した場合、ページ送りさせない仕様は最高にクソ)、細かい文字は辛い。悪役令嬢/後宮ジャンルは文字が多いから、いちいち拡大せにゃいかん。
漫画アプリは電書リーダー/タブレットで読むのが普通なのかな。
そんなわけで、SPライフが尽きたら僕もアンスコします。年寄りにとっては、漫画読みは紙媒体が安定。
2021年度下半期 印象に残った本その2
2022年3月15日 読書
長め。第三弾に続きます。
・読書について ショーペンハウアー 鈴木芳子訳 光文社古典新訳文庫
頭が良くなる、教養が付く、人格を涵養する…。一般的には奨励される読書を、ペシミズム哲学者が苛烈辛辣に批評した箴言集。
とはいえさ、読書しない人よりする人の方が、立派じゃん?
…ああ、この理屈聴いたことあるね。外山滋比古の『思考の整理学』で、受動人間を「グライダー型」、能動発明人間を「飛行機型」って説明しててね…
あ!そういや能動的読書で言えば『理系読書』って本も…
いうてショーペンハウエルって19世紀の人間でしょ?彼の時代より科学技術や娯楽は遥かに分化専門化していった訳だし、時代に付いていくためにも…
…でも読書経験をこうして文章化・アウトプットすれば有益に…
………ブログなんて一般人の息抜きの場だから、どう書いたって…
ぐうの音もねえな。
寸鉄人を殺す珠玉のアフォリズムを、簡明な名訳で味わおう。
・1万人の脳を見た名医が教える「すごい左利き」 加藤俊徳 ダイヤモンド社
右利き=左脳派と左利き=右脳派は、世界の認知から思考様式まで違う!左利き本来の特性を活かすことが、「選ばれた10%」に生まれた者の幸福である、と謳った本。
「競うな 持ち味をイカせッッ」(地上最強の男)。
HSPなり発達障害なりギフテッドなり、「この手」の本でよく見るワードですよね。でも個人的に、その特性の(社会的)デメリットを矮小化する姿勢って不健全だと思うんですよね。
この本の購読層は若年層・子育て世代だろうから、彼らの不安を取り除き肯定感を持たせるのはもちろん大事だ。それに、筆者は脳内科医ゆえ、脳機序の観点から書くのは尤もではある。でも、社会一般からして「ふつうではない」からこそ区別されるワケでしょ?
「この手」のジャンルでベストセラーになった本で、「ケーキを切れない非行少年」がある。あれが類書より優れていたのは、ここを直視していたからなんですよ。境界知能層は統計的に非行に走りやすい、非行は加害者被害者共に不便益だからこそ彼らを「ほどほどに」導くことが社会効用を上げる…。個人と社会の間ですり合わせを行い、妥協点を探す。こういう姿勢こそ、現実的じゃないですか。
僕は中道左派(左寄りの両手利き)なんですが、少なくとも筆記する手は右手に矯正すべきだと思います。理由として
①漢字の運筆法は右上に上げ、下に降ろすを基本とするため右手の方が書きやすい
②画数の多い文字を書く場合、右手なら指先を固定して「腕・手首を引く」ようにして書く。左手の場合、ペンを持つ「指先で押す」形になるため、手首や指が疲れやすい。
③横書きノートの場合、板書した直前の文字列(図形)を筆記した手が覆い隠す格好になる。スムーズな書き写しにならない
④鉛筆書きだと小指球部がノートに擦れて、掌・ノート共にきちゃなくなる
などが挙げられます。左で書いてた頃はミニ下敷きを左手下に当てる、ノートを斜め15度傾けるなどの工夫はした。でも結局不便を感じるようになり、矯正しました。タブレット教育が進化するまでは、右手書きの方が効率的じゃねーかなー。
確かに、「観察と推測を繰り返す」「右脳的イメージを言語化、見える化する」など、ライフハックの項目はついてます。でも、左利きに対してこれほど肯定感があるのは、筆者加藤氏の価値観を反映してるように思えて仕方ないです。スポーツ万能、ふと思い立って医学部に行き、斯界の第一人者となり、研究著述共に成功を収めた。そりゃ人生に肯定感満ちてるよな…。
最後に一つ。「この手」の本で、「アインシュタイン・エジソン・モーツァルトなどの歴史的偉人も左利きだった(○○だった)!」って書くの、マジ醜悪だから止めましょ。
沙漠で拾える、砂粒一つの例外です。肯定感を得たい読者の認知を歪めます。
・読書について ショーペンハウアー 鈴木芳子訳 光文社古典新訳文庫
頭が良くなる、教養が付く、人格を涵養する…。一般的には奨励される読書を、ペシミズム哲学者が苛烈辛辣に批評した箴言集。
とはいえさ、読書しない人よりする人の方が、立派じゃん?
人生を読書についやし、本から知識をくみとった人は、たくさんの旅行案内書をながめて、その土地に詳しくなった人のようなものだ。こうした人は雑多な情報を提供できるが、結局のところ、土地の実情についての知識はバラバラで、明確でも綿密でもない。
これに対して、人生を考えることについやした人は、その土地に実際に住んでいたことある人のようなものだ。そういう人だけがそもそも語るべきポイントを心得、関連ある事柄に通じ、真に我が家にいるように精通している。
…ああ、この理屈聴いたことあるね。外山滋比古の『思考の整理学』で、受動人間を「グライダー型」、能動発明人間を「飛行機型」って説明しててね…
できるかぎり核心のみ、重要事項のみを語り、読者が自分で考え付きそうなことは避けるべきである。わずかな思想を伝えるのに、多くの言葉をついやすのは、まぎれもなく凡庸のしるしだ。これに対して多くの思想を少ない言葉におさめるのは、卓越した頭脳のあかしだ。
あ!そういや能動的読書で言えば『理系読書』って本も…
こうした努力は全て、つまるところたえず、あの手この手で思想に変わって言葉を売りつけようとする熱心な企てにほかならない。痛ましいまでに脳みそが足りないのを埋め合わせようと、新語、新手の意味合いの語、あらゆる種類の言い回しや合成語を用いて、懸命に知者を装おうとする。
いうてショーペンハウエルって19世紀の人間でしょ?彼の時代より科学技術や娯楽は遥かに分化専門化していった訳だし、時代に付いていくためにも…
いちばん最近語られた言葉はつねに正しく、後から書かれたものはみな、以前書かれたものを改良したものであり、いかなる変更も進歩であると信じることほど、大きな過ちはない。
真の思索家タイプや正しい判断の持ち主、あるテーマに真剣に取り組む人々はみな例外にすぎず、世界中いたるところで人間のクズどもがのさばる。クズどもは待ってましたとばかりに、例外的人物の十分に熟考した言説をいじくり回して、せっせと自己流に改悪する。
…でも読書経験をこうして文章化・アウトプットすれば有益に…
少なくとも読書のために、現実世界から目をそらすことがあってはならない。読書よりもずっと頻繁に、現実世界では、自分の頭で考えるきっかけが生まれ、そうした気分になれるからである。もっと詳しく言うと、具体的なもの、リアルなものは、本来の原初的な力で迫って来るため、ごく自然に思索の対象となり、思索する精神の奥底を刺激しやすい。
………ブログなんて一般人の息抜きの場だから、どう書いたって…
陰でこそこそ言う人間は、臆病な卑劣漢で、自分の判断を公言する勇気すらない。自分がどう考えたかはどうでもよく、匿名のまま見とがめられずに、うっぷんを晴らし、ほくそ笑むことだけが大事なのだ。
ぐうの音もねえな。
寸鉄人を殺す珠玉のアフォリズムを、簡明な名訳で味わおう。
・1万人の脳を見た名医が教える「すごい左利き」 加藤俊徳 ダイヤモンド社
右利き=左脳派と左利き=右脳派は、世界の認知から思考様式まで違う!左利き本来の特性を活かすことが、「選ばれた10%」に生まれた者の幸福である、と謳った本。
「競うな 持ち味をイカせッッ」(地上最強の男)。
HSPなり発達障害なりギフテッドなり、「この手」の本でよく見るワードですよね。でも個人的に、その特性の(社会的)デメリットを矮小化する姿勢って不健全だと思うんですよね。
この本の購読層は若年層・子育て世代だろうから、彼らの不安を取り除き肯定感を持たせるのはもちろん大事だ。それに、筆者は脳内科医ゆえ、脳機序の観点から書くのは尤もではある。でも、社会一般からして「ふつうではない」からこそ区別されるワケでしょ?
「この手」のジャンルでベストセラーになった本で、「ケーキを切れない非行少年」がある。あれが類書より優れていたのは、ここを直視していたからなんですよ。境界知能層は統計的に非行に走りやすい、非行は加害者被害者共に不便益だからこそ彼らを「ほどほどに」導くことが社会効用を上げる…。個人と社会の間ですり合わせを行い、妥協点を探す。こういう姿勢こそ、現実的じゃないですか。
僕は中道左派(左寄りの両手利き)なんですが、少なくとも筆記する手は右手に矯正すべきだと思います。理由として
①漢字の運筆法は右上に上げ、下に降ろすを基本とするため右手の方が書きやすい
②画数の多い文字を書く場合、右手なら指先を固定して「腕・手首を引く」ようにして書く。左手の場合、ペンを持つ「指先で押す」形になるため、手首や指が疲れやすい。
③横書きノートの場合、板書した直前の文字列(図形)を筆記した手が覆い隠す格好になる。スムーズな書き写しにならない
④鉛筆書きだと小指球部がノートに擦れて、掌・ノート共にきちゃなくなる
などが挙げられます。左で書いてた頃はミニ下敷きを左手下に当てる、ノートを斜め15度傾けるなどの工夫はした。でも結局不便を感じるようになり、矯正しました。タブレット教育が進化するまでは、右手書きの方が効率的じゃねーかなー。
確かに、「観察と推測を繰り返す」「右脳的イメージを言語化、見える化する」など、ライフハックの項目はついてます。でも、左利きに対してこれほど肯定感があるのは、筆者加藤氏の価値観を反映してるように思えて仕方ないです。スポーツ万能、ふと思い立って医学部に行き、斯界の第一人者となり、研究著述共に成功を収めた。そりゃ人生に肯定感満ちてるよな…。
最後に一つ。「この手」の本で、「アインシュタイン・エジソン・モーツァルトなどの歴史的偉人も左利きだった(○○だった)!」って書くの、マジ醜悪だから止めましょ。
沙漠で拾える、砂粒一つの例外です。肯定感を得たい読者の認知を歪めます。
粗筋 ブルース・ウェイン=バットマンが裏稼業を初めて2年。ゴッサム支配層ばかりを狙った猟奇殺人事件が連続する。リドラーと名乗る犯人はバットマンを名指しして手がかりを残し、自分の後を追わせる。「嘘は沢山だ」という言葉が示す通り、現れてきたのはゴッサムが抱える巨大な欺瞞だった…。
バットマン映画って、抽象度が高いものばかりだと思うんですよ。90年頃からコンスタントに作られるようになったバッツ映画は、大別すればアクション/シリアスの2タイプ。ジョエル・シュマッカーのゲイチックコメディ、ザック・スナイダー主導のDCUはアクション型。一方、ティムバートンやノーランはシリアス型に分類出来るでしょう。
ノーランはリアルだろ?と思われるかもしれない。でも、「シリアス」であって、「リアル」とは別なんですよ。善悪の有りようを説いてはみるが、犯罪実行とその対抗法が現実的かには頓着しない。それが上手く行ったのが、究極の2択で人間の善性を試す『ダークナイト』。そして大失敗したのが、『ダークナイトライジング』でしょう。ピットからの脱出劇、ベイン体制への革命は「記号」として置いてあるだけであって、生きた人間が実際にやることかと言うと…。
では、本作『ザ・バットマン』はどうか。何と、リアルな犯罪劇になってるんですよ。キャットウーマン・ペンギンらお馴染みのキャラは出るが、コスチューム劇にはなっていない。探偵が陰惨な事件に立ち向かい、物証を一つづつ拾って繋げ、真相を暴き出す。
今作はフィルムノワールと呼ばれるジャンルの要素がふんだんに盛り込まれています。都市型犯罪、ハードボイルドな探偵と謎めいた女性、陰影の濃いナイトシーン、過去の傷との対峙…。小道具に至っては、あざといぐらい寄せてましたね。証拠画像をわざわざA4サイズにプリントアウトして「写真」の形で共有する、廃墟となったウェイン孤児院でリドラーが見せる映像は8ミリ映写機、全ての証拠を結びつけるときには写真と白線を結び付けたマインドマップを描く…など。
基本はノワール調ながら、細かな変化を付けているところも特徴的です。本作、アメコミ映画では史上最長の3時間なんですが飽きが来ないよう調整がされている。
例えば、アメコミ映画的な外連味。上述したタッチの映画のため、超能力や怪力は勿論出せない。けれどリアルなタッチだからこそ、前後のシーンとの落差で印象付けられる。ペンギンとのカーチェイスシーンでは、闇の中から先ずジェットエンジンの高音が鳴り響き、次いで青白いバーナー炎を噴き出してバットモービルが迫り出す。
或いは警察署からの脱出では、それまでの密室乱闘から一転しバットグライダーで夜景の砂粒へと堕ちていく。ノーラン版バットマンは華麗に飛んで、穏やかに着地するんですが、今作は墜落に近い形だったのも対照的でしたね(パラシュートを開くも、架道橋に引っかかって地面に叩きつけられる着地に終わるのも良き)。
何と、ユーモア要素すらあります。現場検証のシーンでは鑑識に「…ちょっと、半歩下がって」と窘められたり、立ち入り禁止テープを切ったバットラングを胸にガシャコ!と嵌め直すシーンがあったり。マットリーヴス監督は過去作『猿の惑星:聖戦記』でもユーモアを見せましたが、今作でもシリアスの中にそっと忍ばせる手腕は健在でしたね。
スコセッシ調の『ジョーカー』、トロマ映画の『ザ・スーサイドスクワッド』、そしてフィルムノワールの『ザ・バットマン』。最近のDC映画は異色揃いで良いね!
バットマン映画って、抽象度が高いものばかりだと思うんですよ。90年頃からコンスタントに作られるようになったバッツ映画は、大別すればアクション/シリアスの2タイプ。ジョエル・シュマッカーのゲイチックコメディ、ザック・スナイダー主導のDCUはアクション型。一方、ティムバートンやノーランはシリアス型に分類出来るでしょう。
ノーランはリアルだろ?と思われるかもしれない。でも、「シリアス」であって、「リアル」とは別なんですよ。善悪の有りようを説いてはみるが、犯罪実行とその対抗法が現実的かには頓着しない。それが上手く行ったのが、究極の2択で人間の善性を試す『ダークナイト』。そして大失敗したのが、『ダークナイトライジング』でしょう。ピットからの脱出劇、ベイン体制への革命は「記号」として置いてあるだけであって、生きた人間が実際にやることかと言うと…。
では、本作『ザ・バットマン』はどうか。何と、リアルな犯罪劇になってるんですよ。キャットウーマン・ペンギンらお馴染みのキャラは出るが、コスチューム劇にはなっていない。探偵が陰惨な事件に立ち向かい、物証を一つづつ拾って繋げ、真相を暴き出す。
今作はフィルムノワールと呼ばれるジャンルの要素がふんだんに盛り込まれています。都市型犯罪、ハードボイルドな探偵と謎めいた女性、陰影の濃いナイトシーン、過去の傷との対峙…。小道具に至っては、あざといぐらい寄せてましたね。証拠画像をわざわざA4サイズにプリントアウトして「写真」の形で共有する、廃墟となったウェイン孤児院でリドラーが見せる映像は8ミリ映写機、全ての証拠を結びつけるときには写真と白線を結び付けたマインドマップを描く…など。
基本はノワール調ながら、細かな変化を付けているところも特徴的です。本作、アメコミ映画では史上最長の3時間なんですが飽きが来ないよう調整がされている。
例えば、アメコミ映画的な外連味。上述したタッチの映画のため、超能力や怪力は勿論出せない。けれどリアルなタッチだからこそ、前後のシーンとの落差で印象付けられる。ペンギンとのカーチェイスシーンでは、闇の中から先ずジェットエンジンの高音が鳴り響き、次いで青白いバーナー炎を噴き出してバットモービルが迫り出す。
或いは警察署からの脱出では、それまでの密室乱闘から一転しバットグライダーで夜景の砂粒へと堕ちていく。ノーラン版バットマンは華麗に飛んで、穏やかに着地するんですが、今作は墜落に近い形だったのも対照的でしたね(パラシュートを開くも、架道橋に引っかかって地面に叩きつけられる着地に終わるのも良き)。
何と、ユーモア要素すらあります。現場検証のシーンでは鑑識に「…ちょっと、半歩下がって」と窘められたり、立ち入り禁止テープを切ったバットラングを胸にガシャコ!と嵌め直すシーンがあったり。マットリーヴス監督は過去作『猿の惑星:聖戦記』でもユーモアを見せましたが、今作でもシリアスの中にそっと忍ばせる手腕は健在でしたね。
スコセッシ調の『ジョーカー』、トロマ映画の『ザ・スーサイドスクワッド』、そしてフィルムノワールの『ザ・バットマン』。最近のDC映画は異色揃いで良いね!
『コーダ あいのうた』
2022年3月12日 映画
粗筋 全聾一家の中で唯一の健聴者、ルビーには密かな楽しみがあった。それは歌。彼女は合唱のクラスで才能を見出され、音楽教師に「バークレー音大を受けないか?」と推薦される。
漸く動き出した彼女の人生。だが、父・兄が漁師仲間を救うべく立ち上げた漁業組合の仕事にも、通訳として彼女が不可欠だった。夢と現実の板挟みで苦しむ中で、彼女の下した決断は…。
大傑作。見るの遅れてたけど、余裕で今年ナンバーワンです。
先ず、青春音楽ものとしてレベルが途轍もない。ミュージカル映画で場面と歌詞がシンクロするってのは王道ですが、この映画はそれまでの積み上げが丁寧。働けど楽にならざる漁師業、聾家族への引け目と愛、漸く訪れた青春への昂揚感…。それらがあるからこそ、"I fought the law", ”Star man”, "Both sides Now"などの名曲が胸に迫って来る。
それに、類似作品の中で親の扱いがきちんとしているのも素晴らしいね。才能のある子供、それに反対するブルーカラーの親を描いた映画で言うと、『リトルダンサー』『フラガール』などが挙がる。でも、それらの映画では大人は間違った人間なんですよ。炭鉱仕事にも昔は栄光はあった、でも時代遅れになって、新しい価値を受け入れられない…。そんな頑固者でも、子供の一途な心に打たれ改心して送り出してやる…そういう話運びだった。
一方の『コーダ』は、対立軸が聴覚障害を巡って置かれているため糾弾出来るものではない。それどころか、彼らへ激烈に感情移入するシーンが一つ置かれている。
家族経営の漁業仲介業を手助けするため、音楽を諦めることにしたルビー。最後の晴れ舞台として臨むオータムフェスティバルで、彼女はデュエット曲を歌う。そこで、ふっ………と全ての音が消えていく。周りの観客は皆沸き立っている。涙ぐんでる人さえ居る。でも、父親には何も聞こえない。健聴者のような感動を、我が子に対してさえ抱くことが出来ない無力感が示される。
だからこそ、ラスト10分には怒涛の感動が訪れる。オーディション会場で、上から見守る家族に向けてルビーは歌詞を「手話」に乗せて歌い始める。音楽が世界に対する孤独ではなく、想いを届ける調べとして初めて理解できるようになる…。設定が、ストーリーが全て必然性を持っているだけに、このシーンの感動は凄まじい。
原作と違いコメディ要素はインキン金玉/コンドーム戦士の2点しかないですが、兎に角情感の厚みに圧倒されっぱなし!掛け値なしでお勧めの1作です。
漸く動き出した彼女の人生。だが、父・兄が漁師仲間を救うべく立ち上げた漁業組合の仕事にも、通訳として彼女が不可欠だった。夢と現実の板挟みで苦しむ中で、彼女の下した決断は…。
大傑作。見るの遅れてたけど、余裕で今年ナンバーワンです。
先ず、青春音楽ものとしてレベルが途轍もない。ミュージカル映画で場面と歌詞がシンクロするってのは王道ですが、この映画はそれまでの積み上げが丁寧。働けど楽にならざる漁師業、聾家族への引け目と愛、漸く訪れた青春への昂揚感…。それらがあるからこそ、"I fought the law", ”Star man”, "Both sides Now"などの名曲が胸に迫って来る。
それに、類似作品の中で親の扱いがきちんとしているのも素晴らしいね。才能のある子供、それに反対するブルーカラーの親を描いた映画で言うと、『リトルダンサー』『フラガール』などが挙がる。でも、それらの映画では大人は間違った人間なんですよ。炭鉱仕事にも昔は栄光はあった、でも時代遅れになって、新しい価値を受け入れられない…。そんな頑固者でも、子供の一途な心に打たれ改心して送り出してやる…そういう話運びだった。
一方の『コーダ』は、対立軸が聴覚障害を巡って置かれているため糾弾出来るものではない。それどころか、彼らへ激烈に感情移入するシーンが一つ置かれている。
家族経営の漁業仲介業を手助けするため、音楽を諦めることにしたルビー。最後の晴れ舞台として臨むオータムフェスティバルで、彼女はデュエット曲を歌う。そこで、ふっ………と全ての音が消えていく。周りの観客は皆沸き立っている。涙ぐんでる人さえ居る。でも、父親には何も聞こえない。健聴者のような感動を、我が子に対してさえ抱くことが出来ない無力感が示される。
だからこそ、ラスト10分には怒涛の感動が訪れる。オーディション会場で、上から見守る家族に向けてルビーは歌詞を「手話」に乗せて歌い始める。音楽が世界に対する孤独ではなく、想いを届ける調べとして初めて理解できるようになる…。設定が、ストーリーが全て必然性を持っているだけに、このシーンの感動は凄まじい。
原作と違いコメディ要素はインキン金玉/コンドーム戦士の2点しかないですが、兎に角情感の厚みに圧倒されっぱなし!掛け値なしでお勧めの1作です。
2021年度下半期 印象に残った本その1
2022年3月9日 読書
読書録書くのも今回で最後か。今日はホラー紹介。
・角川ホラー文庫ベストコレクション 再生
・角川ホラー文庫ベストコレクション 恐怖 朝宮運河編 角川ホラー文庫
名作ホラーのアンソロジー。『再生』側は新しい作品が多いが、『恐怖』側は著名作家のホラー選集を再集録した形になるので、作品は古いものが多い。この作品チョイスに触れて、胸が熱くなるのを覚えた。
ホラーオタクの昔語りになるが、創刊30年目を迎える角川ホラー文庫にも歴史がある。最初期は鈴木光司『リング』瀬名秀明『パラサイトイヴ』に代表される、角川お家芸の小説×映画の連動期。
最盛期は日本ホラー小説大賞が隆盛だった時期で、貴志祐介、岩井志麻子ら強烈な作家を世に送った。またこの時期、小松左京、高橋克彦、赤川次郎ら大御所作家の傑作選を編むことも活発な時期だった。
低迷期を迎えるのがゼロ年代中頃から。Jホラーブームが去り、本屋での扱いも目に見えてパッとしなくなった。だが、この頃の同大賞で出てきた恒川光太郎、朱川湊人、田辺青蛙らの「優しく切ないキャラクター小説」造形は、後の門戸を広げた。
ルネサンス期は10年代から。ライト文芸に則ったホラーがレーベルから出されるようになり、「ホーンテッドキャンパス」「バチカン奇蹟調査官」など、長期シリーズ化していった。これらが文庫レーベルを救ったのは事実だが、「1本凄い小説を出す!」といった賞発足当時の流れとは全く異なる方向を向くこととなり、日本ホラー小説大賞は終わりを迎える。
前置きむっちゃ長くなりましたが、『恐怖』側は勃興期~最盛期の頃の角川ホラー文庫の匂いが感じられるんですよ。「くだんのはは」とか「緋い記憶」とかあったな、赤江瀑の純文学ホラー、森真沙子の少女幻想譚また読みたいな…とか。小学生の頃に背伸びして黒背表紙を繰った読書体験が蘇ってきて、何とも言えない気持ちになりました。
・異形コレクション 狩りの季節 井上雅彦監修 光文社文庫
書下ろしホラーのみで構成された幻想怪奇アンソロジー。復刻後も、定期的に刊行されていて何より。
勝手な持論だが、ホラー短編の主人公は従来「無個性」だったように思う。訪れた村の因習、降りかかる災厄を観察し体験して読者に届ける「眼鏡」の役割を果たすためだ。
それが(上述したライト文芸潮流にも関係するが)「キャラクター小説」化するようになった。異形コレクションシリーズでも、これほどキャラクター小説の多い巻はなかったように思う。
無論、キャラクター小説にも強みはある。人物同士の遣り取りや、伝奇小説的なアクション・退魔展開が作れるからだ。だが、「彼らは果たして生き残れるのか?」というハラハラ感は(シリーズ既読勢からすれば)ないのだ。そりゃだって、死んだらここで終わっちゃうから。
だが、キャラクター小説にも「ハラハラ感」の抜け道があるのがこれまた面白い。牧野修、平山夢明といったバイオレンス作家は、小粋な台詞をカマすアウトロー達がフツーに首や手足を引っこ抜かれて死ぬ話を書く。
或いは澤村伊智の場合は、(比嘉姉妹)シリーズ主要人物を短編では端役に置き、語り手を初出のキャラにすることで緊迫感を失わせない。語り手の正体は不明だが、読み進めるうちに「実は死んでいた」「呪いの道具だった」などの非劇的な結末を迎えさせるのだ。
斯様にして、ホラー短編も日々進化を続けていく。異形コレクションは、どうかどうかこのまま続いて欲しい。
・瞬殺怪談 死地
・瞬殺怪談 罰 平山夢明ほか 竹書房怪談文庫
最長2ページ見開きまで!1話30秒で読めるサックリ怪談シリーズ。10人による競作。
これまた勝手な持論で始めるが、実話怪談というのは、(僕が本を手に取り始めた90年代後半では)「誰かの恐怖体験を、そのまま聞き書きした」というオーソドックスなものが多かったように思う。ところが、上記2冊は、バリエーションに富んでいる。
例えば「呪いの石」というテーマがあるとしよう。これはフツーに書けば
となる。瞬殺怪談ではどう違うか?例えば、オチに捻りを加えるのだ。
こういった具合に。幽霊話だった筈が、語り手が逆襲する/呪いを転嫁させるといった「ヒトコワ」ネタに持っていくのだ。
或いは複数の無関係な事件を繋げ、都市伝説風に仕立てるものもある。
といった具合に。
他にも、(従来透明であるべき語り手が)多分に解釈を施して一種の説話譚にしたり、或いはラストの感想1文でオチをつけたり。
所詮は、人間が体験出来る恐怖なんて似たり寄ったりだ。それをいかに膨らませ、まとまりのある「お話」として提供できるか…怪談実話がつくづく「語りの文芸」であることを思い知らされた。読み捨て本ながら、いろいろ考えられる良い読書体験になった(ホラーオタク限定の思考回路
・角川ホラー文庫ベストコレクション 再生
・角川ホラー文庫ベストコレクション 恐怖 朝宮運河編 角川ホラー文庫
名作ホラーのアンソロジー。『再生』側は新しい作品が多いが、『恐怖』側は著名作家のホラー選集を再集録した形になるので、作品は古いものが多い。この作品チョイスに触れて、胸が熱くなるのを覚えた。
ホラーオタクの昔語りになるが、創刊30年目を迎える角川ホラー文庫にも歴史がある。最初期は鈴木光司『リング』瀬名秀明『パラサイトイヴ』に代表される、角川お家芸の小説×映画の連動期。
最盛期は日本ホラー小説大賞が隆盛だった時期で、貴志祐介、岩井志麻子ら強烈な作家を世に送った。またこの時期、小松左京、高橋克彦、赤川次郎ら大御所作家の傑作選を編むことも活発な時期だった。
低迷期を迎えるのがゼロ年代中頃から。Jホラーブームが去り、本屋での扱いも目に見えてパッとしなくなった。だが、この頃の同大賞で出てきた恒川光太郎、朱川湊人、田辺青蛙らの「優しく切ないキャラクター小説」造形は、後の門戸を広げた。
ルネサンス期は10年代から。ライト文芸に則ったホラーがレーベルから出されるようになり、「ホーンテッドキャンパス」「バチカン奇蹟調査官」など、長期シリーズ化していった。これらが文庫レーベルを救ったのは事実だが、「1本凄い小説を出す!」といった賞発足当時の流れとは全く異なる方向を向くこととなり、日本ホラー小説大賞は終わりを迎える。
前置きむっちゃ長くなりましたが、『恐怖』側は勃興期~最盛期の頃の角川ホラー文庫の匂いが感じられるんですよ。「くだんのはは」とか「緋い記憶」とかあったな、赤江瀑の純文学ホラー、森真沙子の少女幻想譚また読みたいな…とか。小学生の頃に背伸びして黒背表紙を繰った読書体験が蘇ってきて、何とも言えない気持ちになりました。
・異形コレクション 狩りの季節 井上雅彦監修 光文社文庫
書下ろしホラーのみで構成された幻想怪奇アンソロジー。復刻後も、定期的に刊行されていて何より。
勝手な持論だが、ホラー短編の主人公は従来「無個性」だったように思う。訪れた村の因習、降りかかる災厄を観察し体験して読者に届ける「眼鏡」の役割を果たすためだ。
それが(上述したライト文芸潮流にも関係するが)「キャラクター小説」化するようになった。異形コレクションシリーズでも、これほどキャラクター小説の多い巻はなかったように思う。
無論、キャラクター小説にも強みはある。人物同士の遣り取りや、伝奇小説的なアクション・退魔展開が作れるからだ。だが、「彼らは果たして生き残れるのか?」というハラハラ感は(シリーズ既読勢からすれば)ないのだ。そりゃだって、死んだらここで終わっちゃうから。
だが、キャラクター小説にも「ハラハラ感」の抜け道があるのがこれまた面白い。牧野修、平山夢明といったバイオレンス作家は、小粋な台詞をカマすアウトロー達がフツーに首や手足を引っこ抜かれて死ぬ話を書く。
或いは澤村伊智の場合は、(比嘉姉妹)シリーズ主要人物を短編では端役に置き、語り手を初出のキャラにすることで緊迫感を失わせない。語り手の正体は不明だが、読み進めるうちに「実は死んでいた」「呪いの道具だった」などの非劇的な結末を迎えさせるのだ。
斯様にして、ホラー短編も日々進化を続けていく。異形コレクションは、どうかどうかこのまま続いて欲しい。
・瞬殺怪談 死地
・瞬殺怪談 罰 平山夢明ほか 竹書房怪談文庫
最長2ページ見開きまで!1話30秒で読めるサックリ怪談シリーズ。10人による競作。
これまた勝手な持論で始めるが、実話怪談というのは、(僕が本を手に取り始めた90年代後半では)「誰かの恐怖体験を、そのまま聞き書きした」というオーソドックスなものが多かったように思う。ところが、上記2冊は、バリエーションに富んでいる。
例えば「呪いの石」というテーマがあるとしよう。これはフツーに書けば
Aさんは河原で綺麗な石を拾った。ところがその日から、夜ごと魘されるようになった。遂にはざんばら髪の幽霊に襲われ、寺で供養して貰った。聞くところによれば、その河原は戦国時代に合戦場であったと云う。
となる。瞬殺怪談ではどう違うか?例えば、オチに捻りを加えるのだ。
「あの石ですか?近所の武田さん家に投げ込んでおきました。だってあの人、会うたびダンナ自慢するんだから」
そういって席を立つAさん。この後の予定を聴くと、「念のため」追加で石を拾いに行くという。
こういった具合に。幽霊話だった筈が、語り手が逆襲する/呪いを転嫁させるといった「ヒトコワ」ネタに持っていくのだ。
或いは複数の無関係な事件を繋げ、都市伝説風に仕立てるものもある。
古来、雷に関わる不思議は後を絶たない。2003年5月、オレゴン州に住むバーナビー氏は帰宅途中で落雷に打たれた。直撃は避けたものの、右腕に重度の火傷を負った。ところが不思議はこれで終わらない。彼は6年後の09年4月2日、再度落雷に遭うこととなる。今度は直撃だった。
また、こんな事件もある。2019年ニューデリー在住のミシュマ氏は、悪天候の中マイカーに乗車した。その瞬間、紫電が閃き彼の車を直撃。思わず身を屈めるミシュマ氏。だが幸いなことに、彼は無傷だった。その幸運を電話で家族に伝え、彼は下車した。ところが嵐に煽られた枝が彼を強打し、その場に叩きつけた。彼は突っ伏す形となり、水たまりで溺死を迎えた。
といった具合に。
他にも、(従来透明であるべき語り手が)多分に解釈を施して一種の説話譚にしたり、或いはラストの感想1文でオチをつけたり。
所詮は、人間が体験出来る恐怖なんて似たり寄ったりだ。それをいかに膨らませ、まとまりのある「お話」として提供できるか…怪談実話がつくづく「語りの文芸」であることを思い知らされた。読み捨て本ながら、いろいろ考えられる良い読書体験になった(ホラーオタク限定の思考回路
野心的なグロ邦画『真・事故物件 本当に怖い住民たち』を語る
2022年3月7日 映画
粗筋 駆け出しアイドルの佐久間は、マネージャーの安藤から新たな仕事を持ちかけられた。同じ事務所に所属する諏訪部・百瀬と共に事故物件へ住み込み、「幽霊撮るまで帰れません!」企画に参加しろと言うのだ。そのボロアパートは30年前、悪魔教信者がバラバラ殺人を起こした曰くつきの物件だった。
木更津某所へ赴き、貧乏長屋暮らしを始めた3人。身の回りで起きる数々の異変、霊能Youtuber樋之口のバックレなどから憤懣を募らせ安藤に中止を求めるも、彼はのらりくらりと躱し取り合わない。そうこうする内、佐久間は空き部屋のスクラップブックで真実を知る。だが彼女は部屋で突如襲われ…。
①作品概説
監督はスプラッターホラーで知られ、ゆうばり映画祭で物議を醸した佐々木勝己。「この手の」映画を配給するTOCANAが、製作映画第一弾として製作・配給を担当した。公開館は僅か7館ながら、ボンクラオタク共コアな映画ファンの評判は高い。
僕、TOCANAって配給会社『シークレットマツシタ』ってゴミ映画しか知らず調べたんですが、サイゾー傘下で陰謀論・オカルト・猟奇事件の3本柱を発信するニュースサイトなんですね。…期待させてくれるねぇ!(クソ映画ハンター感
②ホラー要素:杜撰の極み
貶し文句で初めて済まないが、前半1時間がもーーー退屈極まる。何故なら、心霊ホラーの勘所を全く心得ていないからだ。
バックステージもの、内幕ものと呼ばれるジャンルがある。演芸、映画、ラジオ、テレビ番組などの製作の裏側を見せるジャンルだ。さて、ホラーに寄せて語るならば「肝試し企画を撮影/配信中に怪事に遭う」というのはPOVが流行った頃に腐るほど作られた。本作の設定もこれに則っている。
在り来たりだから駄目?そんなことはない。だが、ベタにはベタの工夫と面白さがある。それは「ディティール」のフレッシュさと詰めようにある。
3人のYoutuberアイドルは入居後、事ある毎にマネージャー安藤を「段取りの出来ないダメ野郎だ」と愚痴る。だが映画を観る限りでは、彼女らも仕事をしているようには凡そ見えない。
弱小芸能プロ所属ゆえ、出演以外の仕事もアイドル自身がやらねばならない筈だ。生活費を稼ぐためにバイトする、小銭稼ぎと固定ファン獲得のためスパチャリク待ちでライブ配信をする、コラボ案件でトークやパーティーゲーム動画を撮る、Adobeの編集画面を開いてカチカチ作業をするなど…。そうした描写が一切ない。
お仕事要素がないと何故ダメか?(安藤が非協力的なのはワケがあるとはいえ、)彼女らが怠慢に見え、心情的に応援し辛くなるだけではない。心霊ホラーには、「日常風景」が必要なのだ。
③小中理論
屈指のホラー脚本家小中千昭が『恐怖の作法』で語るには、ホラー映画の導入部には「ダラダラ感」が必要だ。何の変哲もない日常、下らない会話やり取りがあるからこそ、後に来るホラー展開が引き立つ。そのため、導入ではなるべく真に迫った生活感が求められるのだ。この映画にはそーゆーのが、まーーーったくない。
これはカメラ一つ取り上げても分かる。「事故物件住みます企画」なのに、定点カメラや三脚を用意してないのが先ずあり得ない(撮影者は常にカメラを構え続けるのだろうか?)。それに、撮影機材の中には望遠レンズを付けた一眼レフが普通に混ざっている。…廃墟や野外ロケなら兎も角、ワンルームでそれ、要ります?
同じく心霊撮影映画で言えば、中田秀夫監督の『貞子』『事故物件 怖い間取り』(←本作がタイトル丸パクリした先)などは、どうしようもないホラー映画だった。だが、どちらも内幕ものとして見るなら、今作とは比較にならない程ディティールはしっかりしている。
低予算映画だから、手が回らないという話ではない。白石晃士監督のホラービデオはこれよりもっと低予算だが、心霊企画の楽屋風景/撮影クルーのディティールは凝っていた。この映画、Youtuber心霊企画という設定が何も活きてこない。上京したての苦学生でも、ブラック企業の借り上げ社宅でも、冬場を越すべく忍び込んだホームレスでも、話は成り立ってしまうのだ。
前半部で唯一良かったのは、心霊Youtuber樋之口が出る5分間だけだ。本職がYoutuberな島田修平が演じることもありトークは流麗で、しかも「手相ネタ」弄りまであるのには正直笑った。とはいえそれ以外は、ディティールを詰める気も、心霊ホラーへの愛もまるで見えない。
④この映画の見所:ゴア表現
佐々木監督がパンフに寄せた言葉だ。こうまで断言されるといっそ清々しい。作り手に心霊ホラーを作る気なんてサラサラ無いんだよ!
では、見所たるゴア表現はどうだろう。「映倫が脚本を審査拒否!」なんてステマを、配給側も打ち出している。…確かに、大手配給の打ち出す「問題作」とやらよりは楽しい。ハーシェルゴードンルイスのように目玉が☆PON☆と飛び出し、ブルーノマッティのように舌ぶち抜いて内臓一本釣りする下りには愛嬌がある。
…とはいえゴア表現のレベルは、2000年代にイーライロスやニコラス・ヴィンディング・レフンが一段階引き上げてしまっている。いまどき、足ぶった切られてる被害者が「わーーーきゃーーー!」と元気良く悲鳴上げられるのは…ちょっとな。
では、この映画の見所はゴアだけなのだろうか?私は寧ろ、後半の展開こそが見所だと思う。今作には、2度急展開が用意されているのだ。
⑤急展開その1:スイッチ
佐久間の部屋に入り込んだのは、幽霊ではなかった。隣室の青年、片桐だったのだ。押し入れから急襲し脱出を試みるも、悪霊が立ちふさがり叶わず。彼女は内臓をズルるん!と引っこ抜かれ死ぬ。不審に思った百瀬が確かめに行くが、彼女は更なる敵に逃亡を阻まれる。マネージャーの安藤もまた、悪霊/殺人鬼の味方だった!
ここから何と、映画の目線が殺人鬼コンビにシフトする。片桐の動機は(30年前に事件を起こした祖父の)「儀式を完成させる」こと。対する安藤は「人為的な心霊スポットの創造」。『空の境界』や『さんかく窓の外側は夜』のように、もうちっと高尚な理想を掲げるなら分かる、だが安藤は
とガキみたいな言い分を口にするのだから堪らない。
おまけに、二人が駄弁るシーンがまた良いのだ。序盤は気弱キャラだった安藤は一転してワイルドに熱弁を奮い、片桐は紫煙を燻らせながら気だるげに相槌を打つ。会話の内容は物騒で猟奇的だが、まるで文化系サークルの部室のようなアンニュイな空気が流れる。世評ではラスト5分ばかりが取り沙汰されるが、僕はここのシーンが堪らなく好きだ。
⑥急展開その2:『グラインドハウス』節
百瀬は監禁され、残る諏訪部も心臓を抉り出され死んだ。ここで、更なる急展開を迎える。死体置き場から百瀬は脱出し、片桐ともみ合いになる。すると霊除けの指輪が手を離れ、片桐は無防備となる。佐久間、諏訪部ら殺された女性が彼を囲み、拳や頭突きでタコ殴りを始める。最後は祭壇に彼を置き、四肢とド頭を「いっせーの」でぶち抜き"The End"の文字がデカデカと画面を飾る。
クソ男を女性達がフルボッコにする姿をフラッシュカット、景気よくぶっ殺す一枚画で終わる手つきしかり、このラストは『グラインドハウス:デスプルーフ』オマージュなのは明らかだろう。
だが僕は寧ろ、押切蓮介の漫画を思い出した。序盤は怪異に怖い目に遭わされた側が、ブチ切れてハイテンションな反撃に出る。霊能バトルではなく実力行使でブチ殺す、霊も人間も一緒になって逆襲に出る辺りが『ゆうやみ特攻隊』『サユリ』を彷彿とさせる。
では良作なのか?…とも言い切れないのが惜しい。何故なら、回収されない謎が余りにも多いからだ。
⑦投げっぱなしエンド
本作は未回収の要素が多すぎる。先ず3人を死に追いやった安藤はどうなったのか?助っ人で来る筈だった樋之口もグルなのか?我が子を求める狂女は誰だったのか?悪党チームだった筈の片桐祖父は、何でちゃっかり寝返ったのか?全部が投げっぱで終わる。
これが『デスプルーフ』オマージュと言うのなら、それは違う。デスプルーフは女性3人の関係性、悪党カートラッセルの殺人嗜好などドラマ要素を全て描き切った上で逆襲劇が開幕する。だからこそ、ラストには爽快感が残る。転じて今作は、Youtuber3人以外の描写はなおざりなため、モヤモヤを抱えたまま帰途に付くことになる。
⑧結びに
だが、それすらも織り込み済なのかもしれない。今作は早くも続編製作が決定し、佐久間役(こいつ既に死んでるキャラだぞ?)、安藤役は続投となるとのこと。
なので、きっと次回作では謎が回収されるに違いない。更には、佐久間&諏訪部&百瀬VS安藤&片桐&ジジイの幽明入り乱れての乱闘戦が観られるかもしれない。悪霊が人を殺す映画は数多あれど、劇中死んだ者が改めて悪霊スプラッターバトルをする映画ってのは…『サーティーンゴースト』くらいしか無いんじゃないのか?
そもそもこれ、低予算のクソ映画枠だからね?それなのにこれ程語り代があるのは、嬉しい拾い物だ。続編を座して待ちたい。
はい、4千字評でした。良いタイプのクソ映画。
木更津某所へ赴き、貧乏長屋暮らしを始めた3人。身の回りで起きる数々の異変、霊能Youtuber樋之口のバックレなどから憤懣を募らせ安藤に中止を求めるも、彼はのらりくらりと躱し取り合わない。そうこうする内、佐久間は空き部屋のスクラップブックで真実を知る。だが彼女は部屋で突如襲われ…。
①作品概説
監督はスプラッターホラーで知られ、ゆうばり映画祭で物議を醸した佐々木勝己。「この手の」映画を配給するTOCANAが、製作映画第一弾として製作・配給を担当した。公開館は僅か7館ながら、
僕、TOCANAって配給会社『シークレットマツシタ』
②ホラー要素:杜撰の極み
貶し文句で初めて済まないが、前半1時間がもーーー退屈極まる。何故なら、心霊ホラーの勘所を全く心得ていないからだ。
バックステージもの、内幕ものと呼ばれるジャンルがある。演芸、映画、ラジオ、テレビ番組などの製作の裏側を見せるジャンルだ。さて、ホラーに寄せて語るならば「肝試し企画を撮影/配信中に怪事に遭う」というのはPOVが流行った頃に腐るほど作られた。本作の設定もこれに則っている。
在り来たりだから駄目?そんなことはない。だが、ベタにはベタの工夫と面白さがある。それは「ディティール」のフレッシュさと詰めようにある。
3人のYoutuberアイドルは入居後、事ある毎にマネージャー安藤を「段取りの出来ないダメ野郎だ」と愚痴る。だが映画を観る限りでは、彼女らも仕事をしているようには凡そ見えない。
弱小芸能プロ所属ゆえ、出演以外の仕事もアイドル自身がやらねばならない筈だ。生活費を稼ぐためにバイトする、小銭稼ぎと固定ファン獲得のためスパチャリク待ちでライブ配信をする、コラボ案件でトークやパーティーゲーム動画を撮る、Adobeの編集画面を開いてカチカチ作業をするなど…。そうした描写が一切ない。
お仕事要素がないと何故ダメか?(安藤が非協力的なのはワケがあるとはいえ、)彼女らが怠慢に見え、心情的に応援し辛くなるだけではない。心霊ホラーには、「日常風景」が必要なのだ。
③小中理論
屈指のホラー脚本家小中千昭が『恐怖の作法』で語るには、ホラー映画の導入部には「ダラダラ感」が必要だ。何の変哲もない日常、下らない会話やり取りがあるからこそ、後に来るホラー展開が引き立つ。そのため、導入ではなるべく真に迫った生活感が求められるのだ。この映画にはそーゆーのが、まーーーったくない。
これはカメラ一つ取り上げても分かる。「事故物件住みます企画」なのに、定点カメラや三脚を用意してないのが先ずあり得ない(撮影者は常にカメラを構え続けるのだろうか?)。それに、撮影機材の中には望遠レンズを付けた一眼レフが普通に混ざっている。…廃墟や野外ロケなら兎も角、ワンルームでそれ、要ります?
同じく心霊撮影映画で言えば、中田秀夫監督の『貞子』『事故物件 怖い間取り』(←本作がタイトル丸パクリした先)などは、どうしようもないホラー映画だった。だが、どちらも内幕ものとして見るなら、今作とは比較にならない程ディティールはしっかりしている。
低予算映画だから、手が回らないという話ではない。白石晃士監督のホラービデオはこれよりもっと低予算だが、心霊企画の楽屋風景/撮影クルーのディティールは凝っていた。この映画、Youtuber心霊企画という設定が何も活きてこない。上京したての苦学生でも、ブラック企業の借り上げ社宅でも、冬場を越すべく忍び込んだホームレスでも、話は成り立ってしまうのだ。
前半部で唯一良かったのは、心霊Youtuber樋之口が出る5分間だけだ。本職がYoutuberな島田修平が演じることもありトークは流麗で、しかも「手相ネタ」弄りまであるのには正直笑った。とはいえそれ以外は、ディティールを詰める気も、心霊ホラーへの愛もまるで見えない。
④この映画の見所:ゴア表現
ジャーロ的に言うなれば、僕は”いかに殺すか”にしか興味がなく、ストーリーやキャラクターといった物にはぶっちゃけ興味が無いんです。…(中略)…だから、パッチワークの様に昔見た残酷映画の一場面を毎限してコラージュして、自分のスクラップブックを作る、ただそれだけ。
佐々木監督がパンフに寄せた言葉だ。こうまで断言されるといっそ清々しい。作り手に心霊ホラーを作る気なんてサラサラ無いんだよ!
では、見所たるゴア表現はどうだろう。「映倫が脚本を審査拒否!」なんてステマを、配給側も打ち出している。…確かに、大手配給の打ち出す「問題作」とやらよりは楽しい。ハーシェルゴードンルイスのように目玉が☆PON☆と飛び出し、ブルーノマッティのように舌ぶち抜いて内臓一本釣りする下りには愛嬌がある。
…とはいえゴア表現のレベルは、2000年代にイーライロスやニコラス・ヴィンディング・レフンが一段階引き上げてしまっている。いまどき、足ぶった切られてる被害者が「わーーーきゃーーー!」と元気良く悲鳴上げられるのは…ちょっとな。
では、この映画の見所はゴアだけなのだろうか?私は寧ろ、後半の展開こそが見所だと思う。今作には、2度急展開が用意されているのだ。
⑤急展開その1:スイッチ
佐久間の部屋に入り込んだのは、幽霊ではなかった。隣室の青年、片桐だったのだ。押し入れから急襲し脱出を試みるも、悪霊が立ちふさがり叶わず。彼女は内臓をズルるん!と引っこ抜かれ死ぬ。不審に思った百瀬が確かめに行くが、彼女は更なる敵に逃亡を阻まれる。マネージャーの安藤もまた、悪霊/殺人鬼の味方だった!
ここから何と、映画の目線が殺人鬼コンビにシフトする。片桐の動機は(30年前に事件を起こした祖父の)「儀式を完成させる」こと。対する安藤は「人為的な心霊スポットの創造」。『空の境界』や『さんかく窓の外側は夜』のように、もうちっと高尚な理想を掲げるなら分かる、だが安藤は
どんな心霊スポットも、肝試しだのカップルだのが来るせいで、皆幽霊逃げちまうんだよ!これじゃ聖地が絶滅しちゃうじゃないか!
とガキみたいな言い分を口にするのだから堪らない。
おまけに、二人が駄弁るシーンがまた良いのだ。序盤は気弱キャラだった安藤は一転してワイルドに熱弁を奮い、片桐は紫煙を燻らせながら気だるげに相槌を打つ。会話の内容は物騒で猟奇的だが、まるで文化系サークルの部室のようなアンニュイな空気が流れる。世評ではラスト5分ばかりが取り沙汰されるが、僕はここのシーンが堪らなく好きだ。
⑥急展開その2:『グラインドハウス』節
百瀬は監禁され、残る諏訪部も心臓を抉り出され死んだ。ここで、更なる急展開を迎える。死体置き場から百瀬は脱出し、片桐ともみ合いになる。すると霊除けの指輪が手を離れ、片桐は無防備となる。佐久間、諏訪部ら殺された女性が彼を囲み、拳や頭突きでタコ殴りを始める。最後は祭壇に彼を置き、四肢とド頭を「いっせーの」でぶち抜き"The End"の文字がデカデカと画面を飾る。
クソ男を女性達がフルボッコにする姿をフラッシュカット、景気よくぶっ殺す一枚画で終わる手つきしかり、このラストは『グラインドハウス:デスプルーフ』オマージュなのは明らかだろう。
だが僕は寧ろ、押切蓮介の漫画を思い出した。序盤は怪異に怖い目に遭わされた側が、ブチ切れてハイテンションな反撃に出る。霊能バトルではなく実力行使でブチ殺す、霊も人間も一緒になって逆襲に出る辺りが『ゆうやみ特攻隊』『サユリ』を彷彿とさせる。
では良作なのか?…とも言い切れないのが惜しい。何故なら、回収されない謎が余りにも多いからだ。
⑦投げっぱなしエンド
本作は未回収の要素が多すぎる。先ず3人を死に追いやった安藤はどうなったのか?助っ人で来る筈だった樋之口もグルなのか?我が子を求める狂女は誰だったのか?悪党チームだった筈の片桐祖父は、何でちゃっかり寝返ったのか?全部が投げっぱで終わる。
これが『デスプルーフ』オマージュと言うのなら、それは違う。デスプルーフは女性3人の関係性、悪党カートラッセルの殺人嗜好などドラマ要素を全て描き切った上で逆襲劇が開幕する。だからこそ、ラストには爽快感が残る。転じて今作は、Youtuber3人以外の描写はなおざりなため、モヤモヤを抱えたまま帰途に付くことになる。
⑧結びに
だが、それすらも織り込み済なのかもしれない。今作は早くも続編製作が決定し、佐久間役(こいつ既に死んでるキャラだぞ?)、安藤役は続投となるとのこと。
なので、きっと次回作では謎が回収されるに違いない。更には、佐久間&諏訪部&百瀬VS安藤&片桐&ジジイの幽明入り乱れての乱闘戦が観られるかもしれない。悪霊が人を殺す映画は数多あれど、劇中死んだ者が改めて悪霊スプラッターバトルをする映画ってのは…『サーティーンゴースト』くらいしか無いんじゃないのか?
そもそもこれ、低予算のクソ映画枠だからね?それなのにこれ程語り代があるのは、嬉しい拾い物だ。続編を座して待ちたい。
はい、4千字評でした。良いタイプのクソ映画。
マトモとゴミのせめぎ合い!(シリーズでは)良作ホラーの『牛首村』を長文評
2022年3月4日 映画
粗筋 雨宮奏音は友人の蓮から、とある心霊動画を見せられる。廃墟<坪野鉱泉>で肝試しを行った少女が神隠しに遭ったのだが、その顔は奏音と瓜二つ。二人は夏休みを利用し北陸を訪れる。
その地で出会った少年、将太に案内された三澄家で奏音は驚愕の真実を知る。奏音には双子の妹詩音が居り、その詩音こそ坪野鉱泉で失踪した少女だった。二人の家系は、双子の片割れを必ず間引きする集落「牛首村」の出だった…。
①前置き
ホラー映画監督、清水崇が手掛ける「村」シリーズの第三弾。
https://magiclazy.diarynote.jp/202102061759561963/
https://magiclazy.diarynote.jp/202103180016269478/
僕は過去2作は散々に論難しました。…けれど、今作は「ふつう」のホラー映画になってて驚きましたよ。以下、過去作との対比を中心として、本作の面白さを(1時間半地点まで)語って行きます。
②話が理解出来る
ストーリーが筋道立ってる!!脚本はシリーズ通して保坂・清水監督タッグなんですけど、今作は何故か分かりやすくなってます。
第一に、話の軸がブレない。上記レビューで言ったように、話の推進力を複数設ける映画は(余程上手い監督ではない限り)失敗します。その点、本作は一貫している。「奏音には双子の妹が居た」「遡れば牛首村の出生である」など、情報は後から付加されるものの、当初の目的たる「失踪した少女を探す」という軸は最後までキープされる。土俗要素が、心霊ホラーの邪魔になっていないんですね。
この点について、一つ推測できます。監督はインタビューで
と語っています。前作『樹海村』でも、初稿は「江の島は樹海と地底洞窟を通じ繋がっている」という『竜神伝説』を絡める予定だったと語っています。想像なんですが、今作は製作サイドがクソ脚本を上手くコントロールしたんじゃないですかね?
清水監督は『呪怨』ばかりが有名ですけど、ド直球ホラーは得てして少ない。『ラビット・ホラー3D』では童話とグランギニョルを組み合わせたり、『稀人』では土俗ホラーとクトゥルフを絡めたり。芸術的意欲は買えるものの、ぶっちゃけ脚本に落とし込めていないのが致命的でした。
今作はそうした難解要素をカット。ストレートで、見やすいお話になっています。
③脈絡が繋がる
話の理解に関連した項目ですが、これも今作は出来ていた。一点目として、小さな伏線をこまめに張っています。「父親が詩音/三澄家を隠していた」ことは序盤の気まずい食事シーンや幼年期の回想で、「Youtuber一行の死亡」は幽霊シーンで事前に伏線を張っているため、後に提示されても唐突さがない。おまけに、ブッサイクなテレビ局映画のようにご丁寧なフラッシュバックで答え合わせをするワケでもない。提示の仕方がスマートです。
もう一点としては、編集の繋ぎ方も向上してますね。廃墟のエレベーターシーンの直後に、ショッピングモールのエレベーターにカットを繋ぐ。そうした「感情の流れ」を途切れさせない極めてふつうの気の利いた編集が続く為、観てる側が「あれ?いきなり場面飛んだ?」と当惑することもありません。
④ドラマが面白い
ベタで結構、ドラマパートが見やすいです。第一に、キャラ立ちが良い。主人公に片想いする蓮、ヒッチハイクに応じた男・山崎が個性的。漣はお調子者ながら奏音に対して一途な子犬男子、山崎は陽気なアンちゃんとしてムードメーカーになりつつ物語を牽引する。愛着が持てるキャラが居るってのは、それだけでホラーとして成功です。
第二に、人物関係が整理されています。『樹海村』はメインキャラ20人が6グループに分かれており煩雑の極みでした。一方、『牛首村』は雨宮家⊂(含む)三澄家の1グループのみ。メインキャラに至っては奏音・詩音姉妹と蓮・将太のカップル2組4人だけ。
演出でキャラの描き分けを試みているのも、好感が持てます。蓮・将太がお泊り会をする下りでは、蓮の枕元にはNintendo Switchとイヤホン、将太の枕元にはシックな腕時計と数珠が置かれ、二人は対照的な性格だと示す。或いは姉妹の祖母・妙子の初登場シーンでは、ビッシリ並んだ対人形やお札の呪言「双」を見せて過去を示唆している。
…これが村シリーズ…だと…?(畏怖)
⑤恐怖シーンも良い
犬鳴はクソ演出、樹海はファンタジー化して壊滅的でした。しかし牛首のホラーパートは手堅い。怪奇現象が起きる→ギャーと叫ぶような展開は少なく、「何か映ってるのに登場人物が気づかない」といったレパートリーが増えている。
それに、ホラーオタクの僕から見ても「コイツは凄い!」と感心出来る場面さえありました。奏音・蓮が昼肝試しをする間、山崎が廃墟横で留守番するシーンです。このシーン、2つの意味でフレッシュなんですよ。
「水たまりが震え、不審に思ったキャラが近づく」…。ホラーの通例としては、「水たまりから手が出てきて掴まれ、引き摺り込まれる」パターンになるんです。ところが本作は、「水たまりに映る屋上から誰かが身を投げ、水面にぶつかる瞬間に水が大きく跳ねる」というもの。これ…見たことない演出ですね。
更に言うと、山崎の反応含めた展開も怖いです。「キャラが怪異に気づき、息を呑む」…。これもパターンに照らすなら「怪異が一旦ピタリと止まり、高速で接近してくる」ものが多い。ところが本作、同じペースで何度も続くんですよ。「テリファイド」って演出1億点のホラー映画でも見たんですが、
https://www.youtube.com/watch?v=rscYJXrWNvI&ab_channel=VoidG
機械的に淡々と現象が起きるってのはビックリホラーとは一線を画する怖さです。
「マジかよ…村シリーズなのに絶賛しないといけないじゃん…」戦々恐々としてた僕ですが、1時間半からの急展開で安心しました。さすが清水監督!クソ映画はここからだ!
⑥タイムスリップ超展開
ストーリーはこう続きます。祖母・妙子には双子の奇子が居たが、村の風習に従い餓死用の穴ぐらに突き落とされていた。壮絶な過去を知り怖気づく一行。しかし山崎に続き蓮も奇怪な死を遂げ、奏音・将太の二人は改めて詩音を探すことを決意。妙子に改めて話を聴きに行くのですが…部屋で転んだ次の瞬間に大昔の牛首村にタイムスリップします。
ホラー映画で急激な場面転換をする場合って、①現代で別の場所に飛ぶ②今いる場所の過去に飛ぶ、のどちらかなんですよ。ところが牛首は「別の時代の」「別の場所に」飛ぶんですよ。脈絡ねえじゃんか!!
しかも、演出も悪い。恐怖で失神する/眠りにつくなど「目を閉じ、目覚める」転換であるとか、扉をくぐる/カーテンを捲る/照明が落ち音楽が消えるといった「視覚的な推移」もない。だって今作、ババァに突き飛ばされて畳に突っ伏した次には洞窟ですよ???唐突過ぎだろ!フィルムのリール紛失してない?
⑦百鬼夜行
過去の穴ぐらにタイムスリップし、詩音と再会した二人。だが、そこで目撃するのは牛首村の暗部。姉妹の大叔母に当たる奇子は、穴ぐらで生き延びるため、間引きで順次突き落とされてくる子供たちを片っ端から食っていたのだった!奇子は手を変え品を変え、3人に襲い来る…!
幽霊ホラーって、「同じ幽霊が」「色んな手段で」怖がらせるジャンルだと思うんです。ところが本作、次々新キャラが出てくるんですよ。いやー参った!
先ずは食人鬼奇子と隠れんぼ!穴ぐら脱出したのもつかの間、奇子が召喚した牛首ガキ集団が追いすがる!辿り付いた牛首村には棒立ち村民が群生しており、追いついた牛首ガキ集団とフュージョン!ドッペル双子に変身するぞ!
…いやさァ…「タイムスリップ」と前述した通り、穴ぐらの時点では「過去の牛首村」に偶然入り込んだ展開だった筈。ところが、地上に戻った途端、牛首ガキ集団やドッペル双子が出るような悪夢的風景となる。お前映画のリアリティラインどこに設定してんだよ!!何で1分単位でリアリティが急降下していくんだ!
極めつけとして、奇子にバイ菌タッチされた詩音の肌が人面疽に覆われゾンビ奇子になり果てます。何でもアリやな…。
⑧映画のオチ
ゾンビ奇子VS奏音・将太のドリームマッチが開幕。正気を取り戻した詩音が崖から身を投げようとすると、奏音も
「心配すんなよ。一人ぼっちは寂しいもんな…」(MDKMGK)
とユニゾンジャンプ。何故か将太も付いてきて、3人仲良く投身自殺します。…次の瞬間、坪野鉱泉のエレベーターに再びタイムスリップ!愛の力で帰還!めでたしめでたし!
犬鳴と同じイカレポンチ具合ですが、ラストにおまけが付きます。電話で奏音と話す詩音。不穏な台詞を呟き振り返ると、その顔は奇子に変わっている…。奇子は詩音の体を乗っ取り、現世に帰還していたのです。
ラストシーンで余計なフックを仕掛けるのはホラーの定番。でもね、僕はこのオチ好きなんですよ。一つには、霊界スマホと化したSiriアプリが繰り返し発する「ヨリシロ:依り代とは、神霊が憑依する容れ物のこと」のことば。一応は伏線が張ってあるんです。もう一点、「異界に行く/帰還する」という、シリーズお決まりの展開だからです。
⑨「村」ユニバース構想
清水監督が狂ってんだから、僕も狂った妄言吐いて良いよね?僕、「村」シリーズは後々にユニバース化すると思うんですよ。
樹海に続き、今作でも過去キャラの再登場が行われます。犬鳴のクソガキはわおーんと啼き、Youtuberアッキーナは(2回死んでんのに)転生体として3度目の登場を果たす。まさかゴミのようなファンサービスでもあるまい…それなら、クロスオーバーとして捉えるのが自然でしょう。
「村」設定、配給が東映、ユニバース化、清水監督…。これらの要素をひっくるめ、一つの予想が成り立ちます。村シリーズは最後、東映えいが村になる筈です!!
映画のエロ・グロを規制せんとする、教育委員会やポリコリの奸賊ども。彼奴等を成敗すべく、転生し現世に潜伏するバケモン共が村アベンジャーズを結成!バケモン総大将として、伽椰子も友情出演して良いでしょう(東映且つ清水作品です)!
パンフで「シリーズ化の想定はなかった」なんて言ってますが、全国公開の大作映画で1年1本ペースで作るものは完全に企画ありきです。特撮やファミリーアニメと違い、実写映画のコンテンツ力に関しては邦画は地の底を這うようなもの。コミック実写化は9割が駄作止まり、High&Lowブームも終息した今、シリーズがコンスタントに続く実写邦画ってコンフィデンスマンJPしかないですよ?そんな情勢だからこそ、ホラーという鉄板ジャンルでシリーズ&ユニバース化を進めるってのは、戦略してマジでありだと思ってます。
⑩結びに
前半絶賛しましたが、飽くまで(ゴミのような過去2作と相対比較して)マシってだけです。クソ映画ハンターにしか勧められる代物ではありません。
しかしウラを返せば、進歩しているのも事実。這えば立て、立てば歩めの親心で見守っていきたい…そんなクソ映画成長日記を続けたいのも山々ですが、DiaryNoteは今月末でサ終です。当ブログでクソ映画を長々語るのはこれで最期でしょうが、皆さんもどうか良きクソ映画ライフを。
はい!!!!6千字評でした!!!!皆も観に行って不幸になれ!!!
その地で出会った少年、将太に案内された三澄家で奏音は驚愕の真実を知る。奏音には双子の妹詩音が居り、その詩音こそ坪野鉱泉で失踪した少女だった。二人の家系は、双子の片割れを必ず間引きする集落「牛首村」の出だった…。
①前置き
ホラー映画監督、清水崇が手掛ける「村」シリーズの第三弾。
https://magiclazy.diarynote.jp/202102061759561963/
https://magiclazy.diarynote.jp/202103180016269478/
僕は過去2作は散々に論難しました。…けれど、今作は「ふつう」のホラー映画になってて驚きましたよ。以下、過去作との対比を中心として、本作の面白さを(1時間半地点まで)語って行きます。
②話が理解出来る
ストーリーが筋道立ってる!!脚本はシリーズ通して保坂・清水監督タッグなんですけど、今作は
第一に、話の軸がブレない。上記レビューで言ったように、話の推進力を複数設ける映画は(余程上手い監督ではない限り)失敗します。その点、本作は一貫している。「奏音には双子の妹が居た」「遡れば牛首村の出生である」など、情報は後から付加されるものの、当初の目的たる「失踪した少女を探す」という軸は最後までキープされる。土俗要素が、心霊ホラーの邪魔になっていないんですね。
この点について、一つ推測できます。監督はインタビューで
(双子設定を語りつつ)「石川県の旧牛首村には『牛首繭』という、一つの繭に二つの蛹が入ったものがある。それを双子設定に絡めようと思ったが、複雑になり過ぎるので取りやめとなった」
と語っています。前作『樹海村』でも、初稿は「江の島は樹海と地底洞窟を通じ繋がっている」という『竜神伝説』を絡める予定だったと語っています。想像なんですが、今作は製作サイドが
清水監督は『呪怨』ばかりが有名ですけど、ド直球ホラーは得てして少ない。『ラビット・ホラー3D』では童話とグランギニョルを組み合わせたり、『稀人』では土俗ホラーとクトゥルフを絡めたり。芸術的意欲は買えるものの、ぶっちゃけ脚本に落とし込めていないのが致命的でした。
今作はそうした難解要素をカット。ストレートで、見やすいお話になっています。
③脈絡が繋がる
話の理解に関連した項目ですが、これも今作は出来ていた。一点目として、小さな伏線をこまめに張っています。「父親が詩音/三澄家を隠していた」ことは序盤の気まずい食事シーンや幼年期の回想で、「Youtuber一行の死亡」は幽霊シーンで事前に伏線を張っているため、後に提示されても唐突さがない。おまけに、ブッサイクなテレビ局映画のようにご丁寧なフラッシュバックで答え合わせをするワケでもない。提示の仕方がスマートです。
もう一点としては、編集の繋ぎ方も向上してますね。廃墟のエレベーターシーンの直後に、ショッピングモールのエレベーターにカットを繋ぐ。そうした「感情の流れ」を途切れさせない
④ドラマが面白い
ベタで結構、ドラマパートが見やすいです。第一に、キャラ立ちが良い。主人公に片想いする蓮、ヒッチハイクに応じた男・山崎が個性的。漣はお調子者ながら奏音に対して一途な子犬男子、山崎は陽気なアンちゃんとしてムードメーカーになりつつ物語を牽引する。愛着が持てるキャラが居るってのは、それだけでホラーとして成功です。
第二に、人物関係が整理されています。『樹海村』はメインキャラ20人が6グループに分かれており煩雑の極みでした。一方、『牛首村』は雨宮家⊂(含む)三澄家の1グループのみ。メインキャラに至っては奏音・詩音姉妹と蓮・将太のカップル2組4人だけ。
演出でキャラの描き分けを試みているのも、好感が持てます。蓮・将太がお泊り会をする下りでは、蓮の枕元にはNintendo Switchとイヤホン、将太の枕元にはシックな腕時計と数珠が置かれ、二人は対照的な性格だと示す。或いは姉妹の祖母・妙子の初登場シーンでは、ビッシリ並んだ対人形やお札の呪言「双」を見せて過去を示唆している。
…これが村シリーズ…だと…?(畏怖)
⑤恐怖シーンも良い
犬鳴はクソ演出、樹海はファンタジー化して壊滅的でした。しかし牛首のホラーパートは手堅い。怪奇現象が起きる→ギャーと叫ぶような展開は少なく、「何か映ってるのに登場人物が気づかない」といったレパートリーが増えている。
それに、ホラーオタクの僕から見ても「コイツは凄い!」と感心出来る場面さえありました。奏音・蓮が昼肝試しをする間、山崎が廃墟横で留守番するシーンです。このシーン、2つの意味でフレッシュなんですよ。
「水たまりが震え、不審に思ったキャラが近づく」…。ホラーの通例としては、「水たまりから手が出てきて掴まれ、引き摺り込まれる」パターンになるんです。ところが本作は、「水たまりに映る屋上から誰かが身を投げ、水面にぶつかる瞬間に水が大きく跳ねる」というもの。これ…見たことない演出ですね。
更に言うと、山崎の反応含めた展開も怖いです。「キャラが怪異に気づき、息を呑む」…。これもパターンに照らすなら「怪異が一旦ピタリと止まり、高速で接近してくる」ものが多い。ところが本作、同じペースで何度も続くんですよ。「テリファイド」って演出1億点のホラー映画でも見たんですが、
https://www.youtube.com/watch?v=rscYJXrWNvI&ab_channel=VoidG
機械的に淡々と現象が起きるってのはビックリホラーとは一線を画する怖さです。
「マジかよ…村シリーズなのに絶賛しないといけないじゃん…」戦々恐々としてた僕ですが、1時間半からの急展開で安心しました。さすが清水監督!クソ映画はここからだ!
⑥タイムスリップ超展開
ストーリーはこう続きます。祖母・妙子には双子の奇子が居たが、村の風習に従い餓死用の穴ぐらに突き落とされていた。壮絶な過去を知り怖気づく一行。しかし山崎に続き蓮も奇怪な死を遂げ、奏音・将太の二人は改めて詩音を探すことを決意。妙子に改めて話を聴きに行くのですが…部屋で転んだ次の瞬間に大昔の牛首村にタイムスリップします。
ホラー映画で急激な場面転換をする場合って、①現代で別の場所に飛ぶ②今いる場所の過去に飛ぶ、のどちらかなんですよ。ところが牛首は「別の時代の」「別の場所に」飛ぶんですよ。脈絡ねえじゃんか!!
しかも、演出も悪い。恐怖で失神する/眠りにつくなど「目を閉じ、目覚める」転換であるとか、扉をくぐる/カーテンを捲る/照明が落ち音楽が消えるといった「視覚的な推移」もない。だって今作、ババァに突き飛ばされて畳に突っ伏した次には洞窟ですよ???唐突過ぎだろ!フィルムのリール紛失してない?
⑦百鬼夜行
過去の穴ぐらにタイムスリップし、詩音と再会した二人。だが、そこで目撃するのは牛首村の暗部。姉妹の大叔母に当たる奇子は、穴ぐらで生き延びるため、間引きで順次突き落とされてくる子供たちを片っ端から食っていたのだった!奇子は手を変え品を変え、3人に襲い来る…!
幽霊ホラーって、「同じ幽霊が」「色んな手段で」怖がらせるジャンルだと思うんです。ところが本作、次々新キャラが出てくるんですよ。いやー参った!
先ずは食人鬼奇子と隠れんぼ!穴ぐら脱出したのもつかの間、奇子が召喚した牛首ガキ集団が追いすがる!辿り付いた牛首村には棒立ち村民が群生しており、追いついた牛首ガキ集団とフュージョン!ドッペル双子に変身するぞ!
…いやさァ…「タイムスリップ」と前述した通り、穴ぐらの時点では「過去の牛首村」に偶然入り込んだ展開だった筈。ところが、地上に戻った途端、牛首ガキ集団やドッペル双子が出るような悪夢的風景となる。お前映画のリアリティラインどこに設定してんだよ!!何で1分単位でリアリティが急降下していくんだ!
極めつけとして、奇子にバイ菌タッチされた詩音の肌が人面疽に覆われゾンビ奇子になり果てます。何でもアリやな…。
⑧映画のオチ
ゾンビ奇子VS奏音・将太のドリームマッチが開幕。正気を取り戻した詩音が崖から身を投げようとすると、奏音も
「心配すんなよ。一人ぼっちは寂しいもんな…」(MDKMGK)
とユニゾンジャンプ。何故か将太も付いてきて、3人仲良く投身自殺します。…次の瞬間、坪野鉱泉のエレベーターに再びタイムスリップ!愛の力で帰還!めでたしめでたし!
犬鳴と同じイカレポンチ具合ですが、ラストにおまけが付きます。電話で奏音と話す詩音。不穏な台詞を呟き振り返ると、その顔は奇子に変わっている…。奇子は詩音の体を乗っ取り、現世に帰還していたのです。
ラストシーンで余計なフックを仕掛けるのはホラーの定番。でもね、僕はこのオチ好きなんですよ。一つには、霊界スマホと化したSiriアプリが繰り返し発する「ヨリシロ:依り代とは、神霊が憑依する容れ物のこと」のことば。一応は伏線が張ってあるんです。もう一点、「異界に行く/帰還する」という、シリーズお決まりの展開だからです。
⑨「村」ユニバース構想
清水監督が狂ってんだから、僕も狂った妄言吐いて良いよね?僕、「村」シリーズは後々にユニバース化すると思うんですよ。
樹海に続き、今作でも過去キャラの再登場が行われます。犬鳴のクソガキはわおーんと啼き、Youtuberアッキーナは(2回死んでんのに)転生体として3度目の登場を果たす。まさかゴミのようなファンサービスでもあるまい…それなら、クロスオーバーとして捉えるのが自然でしょう。
「村」設定、配給が東映、ユニバース化、清水監督…。これらの要素をひっくるめ、一つの予想が成り立ちます。村シリーズは最後、東映えいが村になる筈です!!
映画のエロ・グロを規制せんとする、教育委員会やポリコリの奸賊ども。彼奴等を成敗すべく、転生し現世に潜伏するバケモン共が村アベンジャーズを結成!バケモン総大将として、伽椰子も友情出演して良いでしょう(東映且つ清水作品です)!
パンフで「シリーズ化の想定はなかった」なんて言ってますが、全国公開の大作映画で1年1本ペースで作るものは完全に企画ありきです。特撮やファミリーアニメと違い、実写映画のコンテンツ力に関しては邦画は地の底を這うようなもの。コミック実写化は9割が駄作止まり、High&Lowブームも終息した今、シリーズがコンスタントに続く実写邦画ってコンフィデンスマンJPしかないですよ?そんな情勢だからこそ、ホラーという鉄板ジャンルでシリーズ&ユニバース化を進めるってのは、戦略してマジでありだと思ってます。
⑩結びに
前半絶賛しましたが、飽くまで(ゴミのような過去2作と相対比較して)マシってだけです。クソ映画ハンターにしか勧められる代物ではありません。
しかしウラを返せば、進歩しているのも事実。這えば立て、立てば歩めの親心で見守っていきたい…そんなクソ映画成長日記を続けたいのも山々ですが、DiaryNoteは今月末でサ終です。当ブログでクソ映画を長々語るのはこれで最期でしょうが、皆さんもどうか良きクソ映画ライフを。
はい!!!!6千字評でした!!!!皆も観に行って不幸になれ!!!
嘘だろ…嘘だと言ってくれ牛首村!!
2022年3月2日 映画村シリーズなのに!まともな!映画!!
1時間半の地点までは!!!
…お決まりのタイムスリップをカマしてからは、安定のゴミホラー化。「待ってました清水監督!クソ映画!」と心の中で快哉を叫んでました。
近いうちに酷評レビューします。でも「かなり」好意的な貶し方になると思います。
1時間半の地点までは!!!
…お決まりのタイムスリップをカマしてからは、安定のゴミホラー化。「待ってました清水監督!クソ映画!」と心の中で快哉を叫んでました。
近いうちに酷評レビューします。でも「かなり」好意的な貶し方になると思います。
『ナイル殺人事件』を貶し半分でレビューする
2022年2月28日 映画
ミステリのネタバレ含みます。
粗筋 美貌の資産家、リネットは友人ジャクリーヌの婚約者サイモンを奪い取って結婚。ナイル川を遡るハネムーンクルーズに旅立ったため、ジャクリーヌは道々で姿を現し復讐をたくらむ。恐怖を感じたリネットは偶然居合わせた名探偵ポアロに解決を求めるのだが、豪華客船で夜半銃声が鳴り響き…。
①作品概説
原作は言わずと知れた、ミステリの女王アガサ・クリスティの小説。これまで余多の映像化を経たポアロシリーズを、名優ケネス・ブラナーが映画化。前作『オリエント急行殺人事件』は2017年に劇場公開され大ヒットを記録した。
アガサ・クリスティ作品の特徴を挙げるなら、「人物描写と伏線筆致の見事さ」に尽きるだろう。古典ミステリゆえ、現代からすればトリックはそこまで目新しく感じない。だが、その提示が真に周到。それぞれに事情を抱えた登場人物たちが、犯行/事件への巻き込まれを通じて「うっかり」本音をさらけ出してしまう。ポアロは観察と尋問を通じて欠片たちを拾い集め、事件の全体像を浮かび上がらせていく…。読み返せばきちんと理に落ち、尚且つ彼らに感情移入してしまう、ロジックと感情どちらも満たせるエンタメミステリなのだ。
②改変の是非:オリエント急行
前作『オリエント急行殺人事件』は駄作だった。何故なら原作を弄ったがゆえに、ミステリとして成立していないからだ。
『オリエント~』のトリックは「全員共犯」だ。デイジー事件がきっかけで人生を壊された複数人が、周到に計画を立ててオリエント急行に乗り込む。ところが名探偵が乗り合わせたために急ごしらえの嘘を吐いて、互いのアリバイを庇い合う。目ざといポアロは小さな嘘を拾い集め、乗客の素性を細大漏らさず割り出していく…。
しかしケネスブラナーは独自要素を打ち出し、ミステリーの肝たる伏線/回収をなおざりにした。その結果、時間トリックはうやむやになり、「赤い着物の女性」など回収されない無駄シーンは杜撰にも放置された。原作と違い医者は犯人サイドに与するのだが…彼が死亡推定時刻を弄れば万事済むのでは?という疑問も出てしまうほどだ。
③『ナイル~』における改変
以上と比較するなら、今作の改変は「許容できる」ものだ。
先ず、『ナイル~』の謎構造。『オリエント~』は身分の偽装→何故乗車したのか、と嘘/謎が殺人事件に直結する作りだった。対して今作は、本筋と関係ない謎が多い。「凶悪政治犯の潜伏」「親子の確執」「恋愛・男女観」とサブストーリーがあり、各人がポアロに嘘を吐いている。それを逐一解きほぐし、殺人事件と弁別していくドラマが展開していく。
ゆえに、人物配置や人間関係を大幅に改変しても齟齬が起きない。『オリエント~』の車掌ブークを再登場させ狂言回し役&第三の犠牲者にしたり、人種問題/同性愛などの現代テーマを付加してもOKだ。
個人的に、全ての乗船者がリネットと関係する=動機があるとした改変には賛成だ。映画でもサブストーリーを展開すると話がとっ散らかるし、何より前作と対照的な作りになるからだ。『オリエント~』は(一見)誰にも動機がないミステリー…ならば『ナイル~』を全ての人が疑わしいとした方が、マンネリ感も薄れるだろう。
④ミステリ映画としての出来
だが矢張り、ミステリ映画としては稚拙だ。
第一に、またぞろ「時間感覚のない」ミステリーとなっている。第一の事件であるリネット殺害は、真夜中に発生した。原作小説においては乗船客の内、動機のあるグループにはアリバイがあり、アリバイのないグループには動機がない。時間が分刻みで辿れるからこそ、犯人は一人に絞れるのだが…映画はそこが蔑ろなため、ポアロの充て推量感が高まってしまう。
次に、伏線描写の薄さだ。ネタバレになるが、『ナイル~』のトリックは「交換殺人」だ。元カップルのジャクリーン・サイモンは裏で繋がっており、財産或いは愛のために殺人を犯す。第一の殺人では狂言銃撃を企て、(この段階では無傷の)サイモンがリネットを殺す。第2・3の事件ではサイモンにアリバイがある中でジャクリーンが殺人を犯す。かくして単独では実行不可能な殺人を完遂させるのだ。
原作では、伏線の巡らせ方が周到だ。サイモンが「撃たれた」後では、くどいほど怪我の描写が入る。そのため読者は、彼を容疑者リストから外すよう見事にも誘導される。空砲と赤インクのネタバレは、衝撃を持って受け入れられる。
また、第二の事件では生存の被害者は奇妙な仄めかしをするが、会話の席にサイモンが居たがゆえの行動だった。或いは第三の事件では、ジャクリーンの射撃の腕前についてメロドラマパートで触れられていた。
かような伏線が、映画では貼られていない。そのため(『オリエント~』と同じだが)、ポアロの一人相撲感が高まってしまう。犯人が自供したから助かったようなものだ。
⑤ケネス・ブラナーの過去作
なぜこうなるのか。一言でいえば、ケネス・ブラナーが良く言えばアレンジ、悪く言えば原作/ジャンルを軽視するからだ。
アレンジが功を奏したものなら、『マイティー・ソー』が好例だ。マーベル原作のコミック映画なのだが、ケネスは(シェイクスピア俳優なだけに)シェイクスピア要素をふんだんに盛り込んだ。MCUにしてはアクションが少ない1作だが、シェイクスピア劇の大仰さとコミック映画の外連味が見事にマッチ。また、「大いなる力を持つ者のエゴと孤独」というテーマは、ケネス版ポアロの造形に通じるところが多い。
最悪だったものなら、『エージェント・ライアン』が挙がる。特殊工作員ジャンル、それもあのトム・クランシー原作ならリアル&シリアスになるべきなのに、この映画のスパイ劇は何とも間抜けだ。パンピー女性が、何故か喜々として恋人の仕事を手伝い出す。ラスボスを出し抜く作戦では、機密アイテムの入った財布をぶつかって掏摸し、もう一度ぶつかって懐に戻す。これは…コントじゃな?
主人公の内面を深堀りするのは良い。だが、ジャンル映画としての出来は…どれも高いとは言えない。
⑥結びに
『オリエント~』に続き、美術や撮影は流石に素晴らしい。太陽降り注ぐエジプトの観光、カルナック号のクルーズは目も綾なシーンだ。だが、そのカルナック号の客室配置を原作から変え、リネットが殺害される寝室を船尾にしてしまった。
船首2Fで狂言銃撃を実行し、居合わせたブークが医者を呼んで戻るまでに船尾への往復、殺害、銃による自傷&隠匿を誰にも見られず熟せるのか?映像的に不可能なのだが、ケネス・ブラナーの念頭には無かったのだろう。彼はミステリを語る気がないのだから。
最後に一作紹介して締めることとする。ライアン・クーグラー監督の『ナイヴズアウト』だ。大富豪の死、個性豊かな面々が集まる洋館での殺人など、クリスティーオマージュは随所にある。だがこの作品が素晴らしいのは、伏線を映像で回収してくれるからだ。
番犬の反応、ボケ老婆の言葉、突発嘔吐症など、シュールギャグに思えた小ネタの全てが、安楽椅子探偵の種明かしで回収されていく。謎は全て解消され、最後に残るのは爽快感だけ。映画だって、パズラーミステリーは魅せられる。
3000字評でした。映像綺麗で名優いっぱい出てるけど…それだけだな…。
粗筋 美貌の資産家、リネットは友人ジャクリーヌの婚約者サイモンを奪い取って結婚。ナイル川を遡るハネムーンクルーズに旅立ったため、ジャクリーヌは道々で姿を現し復讐をたくらむ。恐怖を感じたリネットは偶然居合わせた名探偵ポアロに解決を求めるのだが、豪華客船で夜半銃声が鳴り響き…。
①作品概説
原作は言わずと知れた、ミステリの女王アガサ・クリスティの小説。これまで余多の映像化を経たポアロシリーズを、名優ケネス・ブラナーが映画化。前作『オリエント急行殺人事件』は2017年に劇場公開され大ヒットを記録した。
アガサ・クリスティ作品の特徴を挙げるなら、「人物描写と伏線筆致の見事さ」に尽きるだろう。古典ミステリゆえ、現代からすればトリックはそこまで目新しく感じない。だが、その提示が真に周到。それぞれに事情を抱えた登場人物たちが、犯行/事件への巻き込まれを通じて「うっかり」本音をさらけ出してしまう。ポアロは観察と尋問を通じて欠片たちを拾い集め、事件の全体像を浮かび上がらせていく…。読み返せばきちんと理に落ち、尚且つ彼らに感情移入してしまう、ロジックと感情どちらも満たせるエンタメミステリなのだ。
②改変の是非:オリエント急行
前作『オリエント急行殺人事件』は駄作だった。何故なら原作を弄ったがゆえに、ミステリとして成立していないからだ。
『オリエント~』のトリックは「全員共犯」だ。デイジー事件がきっかけで人生を壊された複数人が、周到に計画を立ててオリエント急行に乗り込む。ところが名探偵が乗り合わせたために急ごしらえの嘘を吐いて、互いのアリバイを庇い合う。目ざといポアロは小さな嘘を拾い集め、乗客の素性を細大漏らさず割り出していく…。
しかしケネスブラナーは独自要素を打ち出し、ミステリーの肝たる伏線/回収をなおざりにした。その結果、時間トリックはうやむやになり、「赤い着物の女性」など回収されない無駄シーンは杜撰にも放置された。原作と違い医者は犯人サイドに与するのだが…彼が死亡推定時刻を弄れば万事済むのでは?という疑問も出てしまうほどだ。
③『ナイル~』における改変
以上と比較するなら、今作の改変は「許容できる」ものだ。
先ず、『ナイル~』の謎構造。『オリエント~』は身分の偽装→何故乗車したのか、と嘘/謎が殺人事件に直結する作りだった。対して今作は、本筋と関係ない謎が多い。「凶悪政治犯の潜伏」「親子の確執」「恋愛・男女観」とサブストーリーがあり、各人がポアロに嘘を吐いている。それを逐一解きほぐし、殺人事件と弁別していくドラマが展開していく。
ゆえに、人物配置や人間関係を大幅に改変しても齟齬が起きない。『オリエント~』の車掌ブークを再登場させ狂言回し役&第三の犠牲者にしたり、人種問題/同性愛などの現代テーマを付加してもOKだ。
個人的に、全ての乗船者がリネットと関係する=動機があるとした改変には賛成だ。映画でもサブストーリーを展開すると話がとっ散らかるし、何より前作と対照的な作りになるからだ。『オリエント~』は(一見)誰にも動機がないミステリー…ならば『ナイル~』を全ての人が疑わしいとした方が、マンネリ感も薄れるだろう。
④ミステリ映画としての出来
だが矢張り、ミステリ映画としては稚拙だ。
第一に、またぞろ「時間感覚のない」ミステリーとなっている。第一の事件であるリネット殺害は、真夜中に発生した。原作小説においては乗船客の内、動機のあるグループにはアリバイがあり、アリバイのないグループには動機がない。時間が分刻みで辿れるからこそ、犯人は一人に絞れるのだが…映画はそこが蔑ろなため、ポアロの充て推量感が高まってしまう。
次に、伏線描写の薄さだ。ネタバレになるが、『ナイル~』のトリックは「交換殺人」だ。元カップルのジャクリーン・サイモンは裏で繋がっており、財産或いは愛のために殺人を犯す。第一の殺人では狂言銃撃を企て、(この段階では無傷の)サイモンがリネットを殺す。第2・3の事件ではサイモンにアリバイがある中でジャクリーンが殺人を犯す。かくして単独では実行不可能な殺人を完遂させるのだ。
原作では、伏線の巡らせ方が周到だ。サイモンが「撃たれた」後では、くどいほど怪我の描写が入る。そのため読者は、彼を容疑者リストから外すよう見事にも誘導される。空砲と赤インクのネタバレは、衝撃を持って受け入れられる。
また、第二の事件では生存の被害者は奇妙な仄めかしをするが、会話の席にサイモンが居たがゆえの行動だった。或いは第三の事件では、ジャクリーンの射撃の腕前についてメロドラマパートで触れられていた。
かような伏線が、映画では貼られていない。そのため(『オリエント~』と同じだが)、ポアロの一人相撲感が高まってしまう。犯人が自供したから助かったようなものだ。
⑤ケネス・ブラナーの過去作
なぜこうなるのか。一言でいえば、ケネス・ブラナーが良く言えばアレンジ、悪く言えば原作/ジャンルを軽視するからだ。
アレンジが功を奏したものなら、『マイティー・ソー』が好例だ。マーベル原作のコミック映画なのだが、ケネスは(シェイクスピア俳優なだけに)シェイクスピア要素をふんだんに盛り込んだ。MCUにしてはアクションが少ない1作だが、シェイクスピア劇の大仰さとコミック映画の外連味が見事にマッチ。また、「大いなる力を持つ者のエゴと孤独」というテーマは、ケネス版ポアロの造形に通じるところが多い。
最悪だったものなら、『エージェント・ライアン』が挙がる。特殊工作員ジャンル、それもあのトム・クランシー原作ならリアル&シリアスになるべきなのに、この映画のスパイ劇は何とも間抜けだ。パンピー女性が、何故か喜々として恋人の仕事を手伝い出す。ラスボスを出し抜く作戦では、機密アイテムの入った財布をぶつかって掏摸し、もう一度ぶつかって懐に戻す。これは…コントじゃな?
主人公の内面を深堀りするのは良い。だが、ジャンル映画としての出来は…どれも高いとは言えない。
⑥結びに
『オリエント~』に続き、美術や撮影は流石に素晴らしい。太陽降り注ぐエジプトの観光、カルナック号のクルーズは目も綾なシーンだ。だが、そのカルナック号の客室配置を原作から変え、リネットが殺害される寝室を船尾にしてしまった。
船首2Fで狂言銃撃を実行し、居合わせたブークが医者を呼んで戻るまでに船尾への往復、殺害、銃による自傷&隠匿を誰にも見られず熟せるのか?映像的に不可能なのだが、ケネス・ブラナーの念頭には無かったのだろう。彼はミステリを語る気がないのだから。
最後に一作紹介して締めることとする。ライアン・クーグラー監督の『ナイヴズアウト』だ。大富豪の死、個性豊かな面々が集まる洋館での殺人など、クリスティーオマージュは随所にある。だがこの作品が素晴らしいのは、伏線を映像で回収してくれるからだ。
番犬の反応、ボケ老婆の言葉、突発嘔吐症など、シュールギャグに思えた小ネタの全てが、安楽椅子探偵の種明かしで回収されていく。謎は全て解消され、最後に残るのは爽快感だけ。映画だって、パズラーミステリーは魅せられる。
3000字評でした。映像綺麗で名優いっぱい出てるけど…それだけだな…。
思い出の映画100選 ~暗い青春映画~
2022年2月26日 映画
え、明るい青春ってあるの?(陰キャ特有の発想
・レクイエムフォードリーム,2000
4つの季節の中で、薬物で転落していく4人を描く鬱映画。ヘロイン中毒で窶れていく売人、その恋人でデザイナーを夢見る少女、別天地を求める売人仲間、ダイエットのために向精神薬に溺れる老婆…。どん底人生で一度は夏を体験し、秋(Fall=転落)を迎えていく。
悲壮な表題曲が流れる中、皆が幸せな夢に逃げ込んで胎児座りになるエンディングはあまりにも有名。スポットライトが否定を示す「×」になるラストカットはね…もうね…。
https://www.youtube.com/watch?v=nLQgcZnZq6A
・アメリカンアニマルズ,2019
https://magiclazy.diarynote.jp/201905202135076454/
評した通り。救済を劇映画というフィクション内に求めるのではなく、ドキュメンタリー性に託す構成はまことに見事。
・サマーオブ84,2019
https://magiclazy.diarynote.jp/202007251630441491/
これも評した通り。自業自得と呼ぶには余りにハードだけど、好奇心の報いとして必然性のある結末。
・バッドジーニアス,2018
中国で起きた集団カンニング事件を元に、舞台をタイに置き換えたクライム青春もの。
4人チームによるケイパー要素、ピアノ音階や時差を活かしたカンニング描写のディテール、絶望的なまでの格差社会構造など、見所は多数ある。でも、青春映画としての要素も外せない。
チームに最後に加わった少年は、最も純朴な性格だった。作戦を続けるうち、主人公と淡い恋仲にもなった。けれど彼一人が割を食う結果となり、1年経って再開した時には一端の替え玉屋に変貌していた…。忠告しに来た主人公に言い放つ、「お前が引き込んだせいじゃないか!」の言葉は余りに重い。
・オカルト,2009
通り魔事件を追う映像ディレクター。被害達は一様に「神の啓示」を語るが、その中でひときわ異様な青年が居た。危険思想を語る彼に初めは忌避感を覚えるディレクターも、取材を続けるうちに奇妙な友情が芽生え始め…。土俗系オカルト色の強いホラー映画だが、僕は青春映画として評価したい。
撮影対象の暴力性に撮り手側も感化されて…という映画は(白石監督自身も影響を名言しているが)『ありふれた事件』など前例がある。その中で今作の特異性を挙げるならば、その底辺描写のリアルさだ。派遣日雇い労働のディティール、底辺仲間の「ヤカラ」感、カップ焼きそばやマックを食べるときの「グルメネタ」、寝泊まり出来る部屋を確保出来たときの充足ぶり…。どれもがみじめで、切実で、胸に迫る。
白石監督のフィルモグラフィーでいえば、(アイドルDVDばっかり作らされていた)低迷期にこの映画は作られた。「コワすぎ」シリーズがカルト的な人気を呼び、再び人気監督に咲き返った白石監督。だが雇われ映画ばかりを撮って、野心的な低予算映画に戻ってくれない現状には、一抹の寂しさをファンとしては覚えてしまう。
コワすぎ完結させて?
・レクイエムフォードリーム,2000
4つの季節の中で、薬物で転落していく4人を描く鬱映画。ヘロイン中毒で窶れていく売人、その恋人でデザイナーを夢見る少女、別天地を求める売人仲間、ダイエットのために向精神薬に溺れる老婆…。どん底人生で一度は夏を体験し、秋(Fall=転落)を迎えていく。
悲壮な表題曲が流れる中、皆が幸せな夢に逃げ込んで胎児座りになるエンディングはあまりにも有名。スポットライトが否定を示す「×」になるラストカットはね…もうね…。
https://www.youtube.com/watch?v=nLQgcZnZq6A
・アメリカンアニマルズ,2019
https://magiclazy.diarynote.jp/201905202135076454/
評した通り。救済を劇映画というフィクション内に求めるのではなく、ドキュメンタリー性に託す構成はまことに見事。
・サマーオブ84,2019
https://magiclazy.diarynote.jp/202007251630441491/
これも評した通り。自業自得と呼ぶには余りにハードだけど、好奇心の報いとして必然性のある結末。
・バッドジーニアス,2018
中国で起きた集団カンニング事件を元に、舞台をタイに置き換えたクライム青春もの。
4人チームによるケイパー要素、ピアノ音階や時差を活かしたカンニング描写のディテール、絶望的なまでの格差社会構造など、見所は多数ある。でも、青春映画としての要素も外せない。
チームに最後に加わった少年は、最も純朴な性格だった。作戦を続けるうち、主人公と淡い恋仲にもなった。けれど彼一人が割を食う結果となり、1年経って再開した時には一端の替え玉屋に変貌していた…。忠告しに来た主人公に言い放つ、「お前が引き込んだせいじゃないか!」の言葉は余りに重い。
・オカルト,2009
通り魔事件を追う映像ディレクター。被害達は一様に「神の啓示」を語るが、その中でひときわ異様な青年が居た。危険思想を語る彼に初めは忌避感を覚えるディレクターも、取材を続けるうちに奇妙な友情が芽生え始め…。土俗系オカルト色の強いホラー映画だが、僕は青春映画として評価したい。
撮影対象の暴力性に撮り手側も感化されて…という映画は(白石監督自身も影響を名言しているが)『ありふれた事件』など前例がある。その中で今作の特異性を挙げるならば、その底辺描写のリアルさだ。派遣日雇い労働のディティール、底辺仲間の「ヤカラ」感、カップ焼きそばやマックを食べるときの「グルメネタ」、寝泊まり出来る部屋を確保出来たときの充足ぶり…。どれもがみじめで、切実で、胸に迫る。
白石監督のフィルモグラフィーでいえば、(アイドルDVDばっかり作らされていた)低迷期にこの映画は作られた。「コワすぎ」シリーズがカルト的な人気を呼び、再び人気監督に咲き返った白石監督。だが雇われ映画ばかりを撮って、野心的な低予算映画に戻ってくれない現状には、一抹の寂しさをファンとしては覚えてしまう。
コワすぎ完結させて?
スパイダーマン:ファーフロムホーム
2022年2月24日 映画
今更観てきました。いやーすげー詰まんなかったすね。
まず脚本面。ワンパ過ぎません?1は「少年がヤンチャするも大人2人に窘められる話」。2は「(サノス戦経験しておきながら)青春したいとゴネる話」。そして3作目の今作が「ゴネて世界を危機にさらす話」。自分のエゴで世界規模の迷惑をかけて、それを挽回する展開を続けてしている。結局、全世界に自分の存在を忘れられるしんみりエンドになるんだけど…いや自業自得だしなあ…。
もう一点、マルチバースから侵入して来たヴィランの処遇の問題。彼らは死の瞬間にこの世界に来たため、強制送還してはそのまま死んでしまう。そのため「治療」してから返すことで、運命を変える…というもの。ピーターは叔母ゆずりの正義感で治療を選んだがゆえにその叔母が途中で死ぬんだけど…この選択する意味あった?
平行世界SFしかり時間SFしかり、取った選択の「答え合わせ」が必要だと思うんですよ。「インフィニティーウォー」+「エンドゲーム」におけるストレンジの選択も、まさしく「辛い経験だが最良で唯一の決断」だった訳じゃないですか?
メイの犠牲のうえで5人は運命を変えた(らしい)のであれば、各自戻った平行世界の姿を映してほしかった。ドックオクと共闘するトビースパイダーの画だとか、エレクトロと研究室で語るガーフィールドスパイダーの姿だとか。ピーター自身は知らずとも、「観客だけは」これが最善だと受け取れる。それならばこの選択も尊くなるんだがなあ。
次にアクション。橋上の初戦、ミラーディメンションでの対ストレンジ戦は好いけど、ラストバトルがすげー見づらいね。折角自由の女神で戦うんだから、もっと高低差を活かした構図にしなきゃ。解毒剤を女神像の下・中・上それぞれに配し3on3で戦おうとするが、想定と違う組み合わせになってしまう。そのため各自階層を変えて戦う…とかさ。CGはすごいんだけど、どこで何やってんのか把握出来ない。
残念だったのは、スパイダーマン3人の個性がアクションに出てなかったところ。戦隊ヒーロー大集合が楽しいのは、持ち味を生かした戦いがもう一度見られるからじゃない。トビーはパワー系、ガーフィールドは身のこなしとカメラワーク、そしてホランドはトニえもんのひみつ道具…って個性を出して戦ってよ。
最後に、ファンサービス。クドい…というかダレる。何故なら「会話のための会話」を続けて、話が全く進行してないから。ベンおじさんの言葉、MJの死といったシリアスなものから、ウェブシュートの原理、戦ったヴィラン自慢といったコメディ小ネタに至るまで、ぜ~んぶ立ち話(座り話)で続けるのよ。これ、何かしながらじゃダメ?
解毒剤を調合しながら(ウェブで材料をパスし合いながらだと更に良い)、ウェブシュートで移動しながら、女神像で準備しながら、戦闘の最中に軽口交じりで…。そういう「何かをしながらネタ挟む」なら、話を停滞させることなく情報量が増すのになあ…。この映画150分あるけど、会話シーンだけで10分は削れるでしょ。
そういう意味では、冒頭でデアデビルを出したり、マルチバースの雲越しにクレイヴン・ザ・ハンターやマダム・ウェブをちょい見せしたのはスマートだね。分かる人にだけ分かるやり方で、さらっと流すのが良い。
比較にならない名作だけど、スパイダーバースは1作だけでマルチバース設定・少年の少年譚を描き切っていたよ。スパイダーバース見よう。what’s up danger?のシーンはマジでエモい。
https://www.youtube.com/watch?v=DVz0tIIwyhM
まず脚本面。ワンパ過ぎません?1は「少年がヤンチャするも大人2人に窘められる話」。2は「(サノス戦経験しておきながら)青春したいとゴネる話」。そして3作目の今作が「ゴネて世界を危機にさらす話」。自分のエゴで世界規模の迷惑をかけて、それを挽回する展開を続けてしている。結局、全世界に自分の存在を忘れられるしんみりエンドになるんだけど…いや自業自得だしなあ…。
もう一点、マルチバースから侵入して来たヴィランの処遇の問題。彼らは死の瞬間にこの世界に来たため、強制送還してはそのまま死んでしまう。そのため「治療」してから返すことで、運命を変える…というもの。ピーターは叔母ゆずりの正義感で治療を選んだがゆえにその叔母が途中で死ぬんだけど…この選択する意味あった?
平行世界SFしかり時間SFしかり、取った選択の「答え合わせ」が必要だと思うんですよ。「インフィニティーウォー」+「エンドゲーム」におけるストレンジの選択も、まさしく「辛い経験だが最良で唯一の決断」だった訳じゃないですか?
メイの犠牲のうえで5人は運命を変えた(らしい)のであれば、各自戻った平行世界の姿を映してほしかった。ドックオクと共闘するトビースパイダーの画だとか、エレクトロと研究室で語るガーフィールドスパイダーの姿だとか。ピーター自身は知らずとも、「観客だけは」これが最善だと受け取れる。それならばこの選択も尊くなるんだがなあ。
次にアクション。橋上の初戦、ミラーディメンションでの対ストレンジ戦は好いけど、ラストバトルがすげー見づらいね。折角自由の女神で戦うんだから、もっと高低差を活かした構図にしなきゃ。解毒剤を女神像の下・中・上それぞれに配し3on3で戦おうとするが、想定と違う組み合わせになってしまう。そのため各自階層を変えて戦う…とかさ。CGはすごいんだけど、どこで何やってんのか把握出来ない。
残念だったのは、スパイダーマン3人の個性がアクションに出てなかったところ。戦隊ヒーロー大集合が楽しいのは、持ち味を生かした戦いがもう一度見られるからじゃない。トビーはパワー系、ガーフィールドは身のこなしとカメラワーク、そしてホランドはトニえもんのひみつ道具…って個性を出して戦ってよ。
最後に、ファンサービス。クドい…というかダレる。何故なら「会話のための会話」を続けて、話が全く進行してないから。ベンおじさんの言葉、MJの死といったシリアスなものから、ウェブシュートの原理、戦ったヴィラン自慢といったコメディ小ネタに至るまで、ぜ~んぶ立ち話(座り話)で続けるのよ。これ、何かしながらじゃダメ?
解毒剤を調合しながら(ウェブで材料をパスし合いながらだと更に良い)、ウェブシュートで移動しながら、女神像で準備しながら、戦闘の最中に軽口交じりで…。そういう「何かをしながらネタ挟む」なら、話を停滞させることなく情報量が増すのになあ…。この映画150分あるけど、会話シーンだけで10分は削れるでしょ。
そういう意味では、冒頭でデアデビルを出したり、マルチバースの雲越しにクレイヴン・ザ・ハンターやマダム・ウェブをちょい見せしたのはスマートだね。分かる人にだけ分かるやり方で、さらっと流すのが良い。
比較にならない名作だけど、スパイダーバースは1作だけでマルチバース設定・少年の少年譚を描き切っていたよ。スパイダーバース見よう。what’s up danger?のシーンはマジでエモい。
https://www.youtube.com/watch?v=DVz0tIIwyhM