【映画のお話し】シン・ゴジラを見に行こう!
2016年7月31日
※長文注意
金曜日から全国公開されている「シンゴジラ」。特撮は子供向け?邦画はダサい?御託は良いから映画館に行こう!
①シンゴジラの粗筋
東京湾に突如巨大生物が出現した。生物の上陸を受け災害緊急事態が宣言、自衛隊初の防衛出動が決定される。すわ市街地戦か、と危ぶまれるも怪物は発光を機に向きを変え、海へ姿を消した。
官邸内に対策本部が設置され、巨大生物の調査が開始された。巨大生物、「呉爾羅」は生体原子炉を体内に有していることが判明、体内冷却システムを停止させる「矢口プラン」が検討される。
一方ゴジラは鎌倉に再上陸。首都防衛のために多摩川を戦場とする「タバ作戦」が開始されるも効果なく、都内に侵入した。日米安保条約に基づき米軍が出動、損傷を負わせるもゴジラは咆哮をあげるや熱焔を放出。区内全域を焦土に変えた。
首都機能は立川に移管。現在は沈静化しているゴジラの活動再開は2週間後と推定され、それまでに対処できない場合東京に熱核攻撃が東京に投下することをアメリカは決定した。一方、対策本部は失踪した研究者が遺したデータの解析に成功。冷却システムを停止させる血液凝固剤と、細胞の活動を鈍化させる抑制剤を同時投与する「ヤシオリ作戦」が土壇場で立案された。日本存続を賭けた最後の戦いが、始まる。
②虚構VS現実:ゴジラのリアリティ
まさか「リアルだ」と感じることになるとは。一つ目の衝撃はここでしょう。ドキュメンタリックな劇映画と云えば、近年「フェイクドキュメンタリー」というジャンルが大成されましたが、その良いところを取りつつも、劇映画の良さも兼ね備えているのが映画の前半部分です。
映画序盤、一般人の映したゴジラの映像が差し挟まれます。ネット生放送、ビデオカメラ、twitterや動画投稿サイトの映像。こうした「フッテージ」は事態のライブ感を観客に伝えます。劇映画には通常現れないテロップの多様もフェイクドキュメンタリーの特徴ですが、エヴァで既におなじみですよね。
シンゴジラ制作陣は作品のリアリティを底上げするため、徹底的なリサーチ、取材を自衛隊、各種省庁に行いました。巨大生物が登場した時、どういう組織が立ち上がるのか。自衛隊はどういう作戦を展開するのか。とはいえ、全ての質問が回答される訳ではありません。海外の軍隊の指揮所の写真を提示して「どれが似ているか指さしてください!」と添削を受ける、米軍HPの日米合同演習の写真から自衛隊の作戦図を逆算するなどの創意工夫で、可能な限り求めるものに近づく努力が行われたそうです。
ただ更に素晴らしいのは、フェイクドキュメンタリーの弱さを克服してるところなんです。例えば小中千昭の「恐怖の作法」で、だらだらした日常風景がリアリティを増す、とあります。白石晃士の「フェイクドキュメンタリーの教科書」では、編集を感じさせるカットや音楽はリアリティを減じる、とある。
でもシン・ゴジラは正反対なんです。テロップで日時場所部署を示して、短いカットをバシバシ切っていく。対策本部のシーンではネルフの音楽のイントロが、ゴジラの登場シーンでは伊福部音楽が流れる。
それでもなお、作り込みが細部にまで凝らされているお蔭で、ちっとも嘘くさく見えないんです。会議室の席次、未開封の備品などの美術から、閣僚がメモを官僚から受けうけ話す会議風景や作戦に携わる隊員の独特の発声などの演技に至るまで。ドュメンタリー性を持ちながら、劇映画特有のテンポの良さと音楽の昂揚がある。これがシン・ゴジラの凄さです。
③災害映画
シン・ゴジラは怪獣映画でありながら、秘密兵器も、特殊部隊も出てきません。「現代日本で起きたら…?」という現実と地続きの怖さがあります。その意味で、災害映画を見る感覚に近いように思います。
だからこそ、ゴジラが火炎放射を吐くシーンは心底恐ろしい。背びれが紫色に輝き、口を開いた次の瞬間には炎が街並みを一瞬で飲み尽くす。余りに酷い現実に呆然となるのは、日本人全員が味わったばかりのことです。
④ヒーローの不在
災害映画、特に災害を根本解決するものには、多くヒーローが登場します。ブルースウィリスは隕石に爆弾を設置しに宇宙へ飛び、草薙剛は爆弾を起爆しに深海に潜りました。でも、それはフィクションです。ごく一握りの、才能ある人間が愛や正義を高らかに歌い上げながら世界を救う。そんな絵空事では、「ゴジラ」、あるいは現代日本の直面する問題に対処することはできません。どうすれば、誰なら立ち向かえるのか。
⑤ニッポン対ゴジラ
登場人物たちは決まって同じ言葉を口にします。それが「仕事」です。働く大人たちの仕事によってしか、ゴジラは倒せない。おのおのの職分を全うすることで、社会全体が前進する。よくぞこう描いてくれた、と快哉を叫びたい。
前半部では焦燥感を煽りたてる役割だった早口の会話シーンも、後半では意味合いが変わってきます。
電話する。報告する。相談する。折衝する。根回しする。頭を下げる。私情を曲げて手助けする。疲れながらも残業する。ヒーローにしか出来ないことじゃない。けれど、楽なことじゃないことは、日々仕事している観客は分かる。この仕事の積み重ねこそが、最後には日本を救うことに繋がるのです。
ヤシオリ作戦に出てくる武器も象徴的です。サラリーマンを載せて運ぶ新幹線と在来線がゴジラの足を止めさせ、日本を動かす企業のビル群がゴジラを防ぎ、都市を機能させるタンクローリーとクレーン車がゴジラを停止させる。「7人の侍」で、最後に勝つのは農民だ、という台詞があります。シン・ゴジラを見ていると、同じように思えるのです。
⑥邦画だからこそ
東宝配給の特撮映画、というとちょうど一年前に公開された実写進撃の巨人が思い出されます。「ハリウッドと比べられたらそれはね!」という制作陣の発言で炎上したこともありました。でも今年の映画見て、同じ反応できますか?
ハリウッドのヒーローたちが相も変わらず正義を謳ってスーパーパワーで殴っているのに引き換え、「アイアムアヒーロー」はマチズモを脱却したヒーロー観を提示し、「シン・ゴジラ」はヒーローの要らない世界を見せてくれました。両作とも、日本でしか作れなかった映画であることは間違いありません。
やっぱ、邦画ってすごい!
金曜日から全国公開されている「シンゴジラ」。特撮は子供向け?邦画はダサい?御託は良いから映画館に行こう!
①シンゴジラの粗筋
東京湾に突如巨大生物が出現した。生物の上陸を受け災害緊急事態が宣言、自衛隊初の防衛出動が決定される。すわ市街地戦か、と危ぶまれるも怪物は発光を機に向きを変え、海へ姿を消した。
官邸内に対策本部が設置され、巨大生物の調査が開始された。巨大生物、「呉爾羅」は生体原子炉を体内に有していることが判明、体内冷却システムを停止させる「矢口プラン」が検討される。
一方ゴジラは鎌倉に再上陸。首都防衛のために多摩川を戦場とする「タバ作戦」が開始されるも効果なく、都内に侵入した。日米安保条約に基づき米軍が出動、損傷を負わせるもゴジラは咆哮をあげるや熱焔を放出。区内全域を焦土に変えた。
首都機能は立川に移管。現在は沈静化しているゴジラの活動再開は2週間後と推定され、それまでに対処できない場合東京に熱核攻撃が東京に投下することをアメリカは決定した。一方、対策本部は失踪した研究者が遺したデータの解析に成功。冷却システムを停止させる血液凝固剤と、細胞の活動を鈍化させる抑制剤を同時投与する「ヤシオリ作戦」が土壇場で立案された。日本存続を賭けた最後の戦いが、始まる。
②虚構VS現実:ゴジラのリアリティ
まさか「リアルだ」と感じることになるとは。一つ目の衝撃はここでしょう。ドキュメンタリックな劇映画と云えば、近年「フェイクドキュメンタリー」というジャンルが大成されましたが、その良いところを取りつつも、劇映画の良さも兼ね備えているのが映画の前半部分です。
映画序盤、一般人の映したゴジラの映像が差し挟まれます。ネット生放送、ビデオカメラ、twitterや動画投稿サイトの映像。こうした「フッテージ」は事態のライブ感を観客に伝えます。劇映画には通常現れないテロップの多様もフェイクドキュメンタリーの特徴ですが、エヴァで既におなじみですよね。
シンゴジラ制作陣は作品のリアリティを底上げするため、徹底的なリサーチ、取材を自衛隊、各種省庁に行いました。巨大生物が登場した時、どういう組織が立ち上がるのか。自衛隊はどういう作戦を展開するのか。とはいえ、全ての質問が回答される訳ではありません。海外の軍隊の指揮所の写真を提示して「どれが似ているか指さしてください!」と添削を受ける、米軍HPの日米合同演習の写真から自衛隊の作戦図を逆算するなどの創意工夫で、可能な限り求めるものに近づく努力が行われたそうです。
ただ更に素晴らしいのは、フェイクドキュメンタリーの弱さを克服してるところなんです。例えば小中千昭の「恐怖の作法」で、だらだらした日常風景がリアリティを増す、とあります。白石晃士の「フェイクドキュメンタリーの教科書」では、編集を感じさせるカットや音楽はリアリティを減じる、とある。
でもシン・ゴジラは正反対なんです。テロップで日時場所部署を示して、短いカットをバシバシ切っていく。対策本部のシーンではネルフの音楽のイントロが、ゴジラの登場シーンでは伊福部音楽が流れる。
それでもなお、作り込みが細部にまで凝らされているお蔭で、ちっとも嘘くさく見えないんです。会議室の席次、未開封の備品などの美術から、閣僚がメモを官僚から受けうけ話す会議風景や作戦に携わる隊員の独特の発声などの演技に至るまで。ドュメンタリー性を持ちながら、劇映画特有のテンポの良さと音楽の昂揚がある。これがシン・ゴジラの凄さです。
③災害映画
シン・ゴジラは怪獣映画でありながら、秘密兵器も、特殊部隊も出てきません。「現代日本で起きたら…?」という現実と地続きの怖さがあります。その意味で、災害映画を見る感覚に近いように思います。
だからこそ、ゴジラが火炎放射を吐くシーンは心底恐ろしい。背びれが紫色に輝き、口を開いた次の瞬間には炎が街並みを一瞬で飲み尽くす。余りに酷い現実に呆然となるのは、日本人全員が味わったばかりのことです。
④ヒーローの不在
災害映画、特に災害を根本解決するものには、多くヒーローが登場します。ブルースウィリスは隕石に爆弾を設置しに宇宙へ飛び、草薙剛は爆弾を起爆しに深海に潜りました。でも、それはフィクションです。ごく一握りの、才能ある人間が愛や正義を高らかに歌い上げながら世界を救う。そんな絵空事では、「ゴジラ」、あるいは現代日本の直面する問題に対処することはできません。どうすれば、誰なら立ち向かえるのか。
⑤ニッポン対ゴジラ
登場人物たちは決まって同じ言葉を口にします。それが「仕事」です。働く大人たちの仕事によってしか、ゴジラは倒せない。おのおのの職分を全うすることで、社会全体が前進する。よくぞこう描いてくれた、と快哉を叫びたい。
前半部では焦燥感を煽りたてる役割だった早口の会話シーンも、後半では意味合いが変わってきます。
電話する。報告する。相談する。折衝する。根回しする。頭を下げる。私情を曲げて手助けする。疲れながらも残業する。ヒーローにしか出来ないことじゃない。けれど、楽なことじゃないことは、日々仕事している観客は分かる。この仕事の積み重ねこそが、最後には日本を救うことに繋がるのです。
ヤシオリ作戦に出てくる武器も象徴的です。サラリーマンを載せて運ぶ新幹線と在来線がゴジラの足を止めさせ、日本を動かす企業のビル群がゴジラを防ぎ、都市を機能させるタンクローリーとクレーン車がゴジラを停止させる。「7人の侍」で、最後に勝つのは農民だ、という台詞があります。シン・ゴジラを見ていると、同じように思えるのです。
⑥邦画だからこそ
東宝配給の特撮映画、というとちょうど一年前に公開された実写進撃の巨人が思い出されます。「ハリウッドと比べられたらそれはね!」という制作陣の発言で炎上したこともありました。でも今年の映画見て、同じ反応できますか?
ハリウッドのヒーローたちが相も変わらず正義を謳ってスーパーパワーで殴っているのに引き換え、「アイアムアヒーロー」はマチズモを脱却したヒーロー観を提示し、「シン・ゴジラ」はヒーローの要らない世界を見せてくれました。両作とも、日本でしか作れなかった映画であることは間違いありません。
やっぱ、邦画ってすごい!
コメント