2016年映画振り返り ワースト編
2016年映画振り返り ワースト編
2016年映画振り返り ワースト編
 今年も残すところ2週間となりました。150本ほど見てきた映画の中から良くも悪くも心に残った映画をピックアップしていきます。今回はワースト編。ベスト10はともかく、最悪映画の方は変動しないでしょう。

・雨女(6月4日公開)
 劇場映画ならではのものを先ず一つ。ユナイテッド・シネマが配給・興行を行った4DX専用映画です。タイトルを知らない人も、監督が清水崇と聞けばホラー映画だと想像がつくのではないでしょうか。この映画を一言で表すなら「存在価値のない」映画。これに尽きます。
 一つには映画の雰囲気と4DXという装置のミスマッチが挙げられます。言うまでもありませんが、4Dに向いた映画はアクション映画です。剣戟や爆発などのスペクタクルに合わせ座席が動き光が瞬くことで、まるで映画の世界がスクリーンを超えてこちら側に出てきているように感じる…という4Dの強みと、「雨女」のじんわり系ホラーとは全くかみ合いません。同じホラーであってもスプラッターやモンスター、パニック系のジャンルでやるべきです。4D専用のため35分というショートレングスに制限されたことでじんわり系に必須の経験・共感の蓄積も十分とは言えず、4Dとしてもホラーとしても出来の悪いものになっています。
 もう一点難を言えば、4Dギミックへの愛のなさ、でしょうか。同じく今年公開の4DX専用映画、「ボクソール☆ライドショー ~恐怖の廃校脱出~」と比較すれば瞭然とします。ボクソール~は白石監督お得意のPOV視点で撮られた映画ですが、ハンディカメラの視点移動に合わせて座席が駆動し、怪物に襲われると振動と共に臭気が広がり、プールに飛び込むシーンでは水飛沫を表現するバブルが頭上から降り注いだり…と4D装置にしか出来ないことをひっきりなしに提供してくれました。比べ雨女では、4Dギミックは雨天シーンのミストと轢殺シーンでのスプラッシュぐらいのもの。会話や日常シーンではギミックが一切ない時間が5分以上続く始末。作り手のやる気のなさが伝わると、見てる側も白けてしまいます。
 
・ブレア・ウィッチ(12月1日公開)
 続いては現在公開中の映画。魔女伝説の伝わる森に入ったグループが残したビデオテープが見つかった…という体でつくられた映画「ブレアウィッチ・プロジェクト」は低予算ながらその斬新さが評価を受け、フェイクドキュメンタリーというジャンルの先駆けとなったのは周知のこと。その製作者が公認した続編が今作です。監督はスリラーの名手で知られるアダム・ヴィンガード。
 さて、なぜフェイクドキュメンタリーは面白いのでしょうか。それは、作り物だと承知しながらも「本物だと思える」ところではないでしょうか。今作、「ブレア・ウィッチ」は普通の映画として見るなら及第です。でもフェイクドキュメンタリーで、ブレアウィッチでやっては駄目なんです。だって「本物」なんだから!
 ホラー演出家の巨匠、小中千昭は自著の中で「序盤のだらだら感こそが実録怪談のリアリティを支えるものだ」と語り、その最たる例としてトビーフーパーの「テキサスチェーンソー」を挙げています。元祖ブレアウィッチを思い出してください。無駄話をする様子や、怪奇現象が始まってからは互いを罵るさまが延々と映される。劇映画でなら、伝承の説明は会話ではなく文字と絵図でする方がスマートでしょうし、口論シーンは遠巻きに撮るより顔のアップを交互に映す方が伝わる筈です。らしくないからこそ、本物っぽさが出る。フェイクドキュメンタリーに疎い人には、夏の心霊特番の投稿ビデオの方がわかり易いでしょうか。幽霊が映る前の何気ない日常シーン。あれがあるからこそ、日常と地続きの異界の存在を信じられるのです。
 だから、フェイクドキュメンタリーは(『映画』の)「作り手」の存在を気取られてはならない。とりわけ撮影者が死亡・行方不明の撮影フィルムを拾ったという体の「ファウンドフッテージ」形式ならばそれは猶更。映画らしい演出があればあるほど、リアリティは剥奪される。だから「グレイブ・エンカウンターズ」では番組ディレクターがインタビューに答え「再編集した」ことを語り、「フォースカインド」ではミラジョボビッチが「実際の映像と再現VTRの両方を流す」と伝える。そもさん、フェイクドキュメンタリーの源流ともいえる「食人族」でさえも、「映画として公開できるか精査するために編集したフィルムを委員会が見る」という形を取っているのです。
 ここまで言えばお判りでしょう。今作はブラックヒルズで拾得された映像という体の筈。ならなぜ複数人のカメラ視点を行き来するのか?なぜ恐怖シーンではその視点交代の頻度が高くなり緊迫感をあおるのか?なぜ恐怖シーンの直前では重低音が響くのか?なぜショックシーンでは大音響になるのか?なぜ拾えるはずもない小さな音がわかり易く配置されるのか?なぜ足の患部を触るシーンでぐじぅ…と効果音が鳴るのか?これではPOV視点とりあえず入れただけの劇映画なんです!
 本作の監督アダム・ヴィンガードはNetflix制作の「デスノート」ハリウッドリメイクに内定していると聞きます。ただフェイクドキュメンタリーへの愛のなさを見るに、彼が原作デスノートの魅力を十分に汲み取り映画化できるかは不安が残ります。

・スーサイド・スクワッド(9月10日公開)
 今年のワースト映画と言えばこれ!今や世界一の映画製作会社となった商売敵のマーベルシネマティックユニバースに対抗し、老舗アメコミ会社のDCが送るDCエクステンデッドユニバースの一作がこの「スーサイド・スクワッド」になります。「バットマンvsスーパーマン」が惨憺たる出来だったにせよ、あの予告、この魅力的なプロットでまさかダメなんてことはあるまい…そんな期待を見事に裏切ってくれました。
 ダメポイントは、面白いつまらないを通り越して理解できないストーリー運びにあります。悪役だらけのヒーロー映画、というプロット通り序盤は刑務所に収監されている悪人達の悪行がこれでもかと披瀝されます。超常存在に対抗するために作られた秘密部隊、スーサイドスクワッドの一人エンチャントレスが暴走したことにより、災害地区からの要人救出とエンチャントレスの始末が他のメンバーに課せられる。ここまでで1時間近くかかっているのだから、いよいよ悪辣暴戻なアンチヒーローアクションが始まるのだ!と興奮は高まっているわけです。しかしそれは発散されません。
 いざ本筋が始まってみても、いちいちキャラの過去話が挟まる。それも戦闘の合間の会話で済ませられる程度のものを回想シーンで行うのだからテンポが悪い。序盤にワル自慢をやっておきながら、今度はイイ人ストーリーを延々と見せられる。そして最後は「悪人だって良いところあるんだ!」とばかりの改心展開。アメリカの刑務所が営利組織化が進み社会復帰よりも懲罰を与える存在になっていることを思えば、このテーマ自体は悪いものではない。でも、それをこの作品でやる意味ありますか?マーベルヒーローが良い子良い子の常勝ばかりだからこそ、「スーサイドスクワッド」は悪人が悪の輝きを貫いて死ぬ方が差別化できたのでは?EminemのWithout Meを劇中歌で使っておきながらお行儀が良いのには笑ってしまいます。
 加えて言えば、イイ人ストーリーの回想と、ラストの展開にも整合性がありません。回想では親子、恋人、家族の話が出されるのに引き換え、ラストでは「俺たち仲間!」展開になります。でも、これ別物ですよね?ハーレイクインとジョーカーの男女の情の深さをいくら説明されたところで、エンチャントレスの誘惑に対して「アタイは仲間を裏切らねえんだよ!」という言葉が出て来る理由にはならないと思うのですが…。
 

次回はベスト10。

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