【映画のはなし】マグニフィセント・セブン
2017年1月29日
結論から言うと、大変期待外れでした。
①粗筋
ローズクリークの町は近くに採掘場ができて以来、悪徳実業家のバーソロミュー・ボーグによって苦しめられてきた。町の女、エマはボーグに逆らって殺された夫の仇を討つべく、賞金稼ぎのサム・チザム率いるならず者たちを雇う。当初は金目的だった7人の男たちも、町民と触れ合ううちに戦いの意義を見出していく。
②7人の…
言わずもがなですが、今作「マグニフィセント・セブン」は黒澤明監督の傑作「七人の侍」、およびそのアメリカ版「荒野の七人」を基にしています。監督は「イコライザー」のアントワン・フークワ。出演者にはデンゼル・ワシントン、クリス・プラット、イーサン・ホークを始め豪華俳優陣が名を連ねています。
③ダイバーシティ
今作の魅力を挙げるとすれば多様性、でしょうか。ハリウッド映画は往々にしてアメリカの多数派であるWASPばかりを描き、それ以外のマイノリティを画面から消す、或いは敵にしてきたと言われます。例えば「ロードオブザリング」はものの見事に白人ばかりですよね?ホワイトウォッシュと呼ばれる白人=マジョリティ優遇についての議論は、日本で今年四月公開の「グレートウォール」でも再燃しました。(万里の長城の映画の筈なのに何で主人公がマッドデイモンなんだ…?
今作はリメイク元である「荒野の七人」に比べ、人種の多様性に配慮した作品だと言えます。七人を束ねるサムは黒人、お尋ね者のファスケスはメキシコ系、ナイフ使いのビリーは東洋人、レッドハーベストはインディアン…と。この映画は時代設定を一九世紀終盤にしていますが、一八四〇年代にはヨーロッパからの移民移動のきっかけとなるゴールドラッシュ、中国からの移民移動のきっかけであるアヘン戦争が起きたことは周知のこと。開拓時代に黒人がリーダー?と疑問に思われるかもしれませんが、フークワ監督は自由黒人にリアリティをもたせるため、リサーチの結果サムに「数州の治安維持を行う特別保安官」という史実に基づいた設定を与えています。
人種の多様性の他にも、スナイパーのグッドナイトとナイフ使いのビリーの間にゲイ的な香りを漂わせておりジェンダーへの配慮を見られます。ここらは素直に良かった。
④勝ったのは…?
今作と、リメイク元二作の一番の違いは何でしょうか。私は、この映画には「生産者が居ない」ように見えました。
ローズクリークの「町」はどのような処なのでしょうか。多くの建物が二階建て、耕作ではなく移動手段としての馬を養う馬場があり、馬車が行きかうことからも駅としての機能が伺えます。巨大な鐘楼を備えた教会に、果ては売春宿まである始末。これはもう村じゃない。「町」なんです。
エマを始めとした町民の服装はどうでしょうか。肩をむき出しにした婦人服、釣りズボン、シャツの上のベスト…。彼ら彼女らは肉体労働者には見えません。「荒野の七人」の主戦場となった寒村、イズトラカン村の人々が麦藁帽に野良着だったことを思えば違いは明かでしょう。このような住居衣服は、余剰資産があって実現されるもの。
前二作では奪われるものが収穫物=奪われたら一日と生きていけないものだったのを思えば、冒頭でボーグの提案した土地の買い取り金額は実価値の1/3のため暴利とはいえ、今日明日の生き死にの問題ではありません。
結論を述べます。侍≒ガンマンと百姓=農民の二項の差がはっきりと存在するからこそ、過去作では七人の生き方の美質が際立っていた。町民の生産者たる描写がないせいで、非生産者である7人の生き方がぼやけてしまったというのが、今作の欠点です。
⑤マグニフィセントセブンで失われたもの
今作では、被搾取者であるローズクリークの町民は、徹底的に善人として描かれます。しかしこれでは、七人の生きざまが肯定されません。「七人の侍」では村人のかつての落ち武者狩りに憤る侍に、そうさせたのは武士じゃないかと菊千代が返します。「荒野の七人」では盗賊の甘言に載せられた村人が、一旦は引き込んだ七人に村からの退去を命じます。他者を傷つけてでも、自分の生にしがみつく。勘兵衛はそれを否定し、オライリーは勇気と評したにせよ、七人の生き方は対照的です。他人を守ることこそが、生きることなのだと身を以て体現する。
ボーグを追い詰めたチザムは、自分がこの仕事を引き受けたのはおまえが家族の仇だからだと告げます。確かに合理的で現実的な理由です。でも、それはフークワ監督が言うように「七人の侍のDNAに忠実」だったとは、上述の通りどうしても思えないんです。そこにはかつては騎士道、武士道と呼ばれ、後年は人侠道と呼ばれた美学がないのだから。
「今回も負け戦だった」「勝ったのは農民だ」などの締めくくりの言葉に見られた無私の精神。それは今作が掲げた復讐とは程遠い、理想論ながらも美しいものだったのではないでしょうか。
⑥おまけ
・EDテーマ
https://www.youtube.com/watch?v=MT_EWKxuUAg
流石に使うの卑怯だよ。褒めたくなるじゃん。
・トレマーズ4
https://www.youtube.com/watch?v=VXOvM2djllo
鉱山と爆弾が出てきて、強大な敵を町総出で倒すから実質マグニフィセントセブン。
・緋牡丹博徒 お命戴きます
https://www.youtube.com/watch?v=wQNNL5pM0iM
権力とぐるになった悪徳実業家が村を虐めるのを見かねて、侠気溢れるヒーロー(ヒロイン)が懲らしめるから実質マグニフィセントセブン。
①粗筋
ローズクリークの町は近くに採掘場ができて以来、悪徳実業家のバーソロミュー・ボーグによって苦しめられてきた。町の女、エマはボーグに逆らって殺された夫の仇を討つべく、賞金稼ぎのサム・チザム率いるならず者たちを雇う。当初は金目的だった7人の男たちも、町民と触れ合ううちに戦いの意義を見出していく。
②7人の…
言わずもがなですが、今作「マグニフィセント・セブン」は黒澤明監督の傑作「七人の侍」、およびそのアメリカ版「荒野の七人」を基にしています。監督は「イコライザー」のアントワン・フークワ。出演者にはデンゼル・ワシントン、クリス・プラット、イーサン・ホークを始め豪華俳優陣が名を連ねています。
③ダイバーシティ
今作の魅力を挙げるとすれば多様性、でしょうか。ハリウッド映画は往々にしてアメリカの多数派であるWASPばかりを描き、それ以外のマイノリティを画面から消す、或いは敵にしてきたと言われます。例えば「ロードオブザリング」はものの見事に白人ばかりですよね?ホワイトウォッシュと呼ばれる白人=マジョリティ優遇についての議論は、日本で今年四月公開の「グレートウォール」でも再燃しました。(万里の長城の映画の筈なのに何で主人公がマッドデイモンなんだ…?
今作はリメイク元である「荒野の七人」に比べ、人種の多様性に配慮した作品だと言えます。七人を束ねるサムは黒人、お尋ね者のファスケスはメキシコ系、ナイフ使いのビリーは東洋人、レッドハーベストはインディアン…と。この映画は時代設定を一九世紀終盤にしていますが、一八四〇年代にはヨーロッパからの移民移動のきっかけとなるゴールドラッシュ、中国からの移民移動のきっかけであるアヘン戦争が起きたことは周知のこと。開拓時代に黒人がリーダー?と疑問に思われるかもしれませんが、フークワ監督は自由黒人にリアリティをもたせるため、リサーチの結果サムに「数州の治安維持を行う特別保安官」という史実に基づいた設定を与えています。
人種の多様性の他にも、スナイパーのグッドナイトとナイフ使いのビリーの間にゲイ的な香りを漂わせておりジェンダーへの配慮を見られます。ここらは素直に良かった。
④勝ったのは…?
今作と、リメイク元二作の一番の違いは何でしょうか。私は、この映画には「生産者が居ない」ように見えました。
ローズクリークの「町」はどのような処なのでしょうか。多くの建物が二階建て、耕作ではなく移動手段としての馬を養う馬場があり、馬車が行きかうことからも駅としての機能が伺えます。巨大な鐘楼を備えた教会に、果ては売春宿まである始末。これはもう村じゃない。「町」なんです。
エマを始めとした町民の服装はどうでしょうか。肩をむき出しにした婦人服、釣りズボン、シャツの上のベスト…。彼ら彼女らは肉体労働者には見えません。「荒野の七人」の主戦場となった寒村、イズトラカン村の人々が麦藁帽に野良着だったことを思えば違いは明かでしょう。このような住居衣服は、余剰資産があって実現されるもの。
前二作では奪われるものが収穫物=奪われたら一日と生きていけないものだったのを思えば、冒頭でボーグの提案した土地の買い取り金額は実価値の1/3のため暴利とはいえ、今日明日の生き死にの問題ではありません。
結論を述べます。侍≒ガンマンと百姓=農民の二項の差がはっきりと存在するからこそ、過去作では七人の生き方の美質が際立っていた。町民の生産者たる描写がないせいで、非生産者である7人の生き方がぼやけてしまったというのが、今作の欠点です。
⑤マグニフィセントセブンで失われたもの
今作では、被搾取者であるローズクリークの町民は、徹底的に善人として描かれます。しかしこれでは、七人の生きざまが肯定されません。「七人の侍」では村人のかつての落ち武者狩りに憤る侍に、そうさせたのは武士じゃないかと菊千代が返します。「荒野の七人」では盗賊の甘言に載せられた村人が、一旦は引き込んだ七人に村からの退去を命じます。他者を傷つけてでも、自分の生にしがみつく。勘兵衛はそれを否定し、オライリーは勇気と評したにせよ、七人の生き方は対照的です。他人を守ることこそが、生きることなのだと身を以て体現する。
ボーグを追い詰めたチザムは、自分がこの仕事を引き受けたのはおまえが家族の仇だからだと告げます。確かに合理的で現実的な理由です。でも、それはフークワ監督が言うように「七人の侍のDNAに忠実」だったとは、上述の通りどうしても思えないんです。そこにはかつては騎士道、武士道と呼ばれ、後年は人侠道と呼ばれた美学がないのだから。
「今回も負け戦だった」「勝ったのは農民だ」などの締めくくりの言葉に見られた無私の精神。それは今作が掲げた復讐とは程遠い、理想論ながらも美しいものだったのではないでしょうか。
⑥おまけ
・EDテーマ
https://www.youtube.com/watch?v=MT_EWKxuUAg
流石に使うの卑怯だよ。褒めたくなるじゃん。
・トレマーズ4
https://www.youtube.com/watch?v=VXOvM2djllo
鉱山と爆弾が出てきて、強大な敵を町総出で倒すから実質マグニフィセントセブン。
・緋牡丹博徒 お命戴きます
https://www.youtube.com/watch?v=wQNNL5pM0iM
権力とぐるになった悪徳実業家が村を虐めるのを見かねて、侠気溢れるヒーロー(ヒロイン)が懲らしめるから実質マグニフィセントセブン。
コメント