19世紀の小説を読んでいて慄然とした台詞。理由をつらつら考えてみるに「情報格差が読者に感動を与える」機能に思い当たった。以下に3類型を列挙していく。

①作中人物は知らないが、読者は知っているという情報格差

「針売り、名は?」
「藤吉郎と言います」
「良い名だ…儂が欲しいくらいに」

 時代漫画からの引用。この針売りも、彼を殺して成り代わった間者もこの名前の価値を知らないが、我々は木下藤吉郎の行く末を知っている。歴史・時代小説で前日譚のオチとして善く使われる。

②読者は知らないが、作中人物は知っているという情報格差

「あなた、お義母さんに何てことを!」

 どんでん返しで有名なミステリから。読者に人物を錯誤させるトリックが、ラスト2行で明らかに。叙述トリック作品で使われる。

 2つとも、作者が意図した描写なのは間違いない。だが、作者さえ意図しない形で感動を齎す情報格差がある。

③刊行当時の読者は知らないが、現代の読者は知っているという情報格差
 簡単に言い換えるなら「超有名作の原典に触れた時の感動」だ。メディアミックスされたコンテンツ、シェアードワールドや同人から入った人に起きる。では表題の台詞に戻ろう。
"I have a pretty present for my Victor."

 これは語り手が幼い頃の述懐だが、物語が始まって20頁で漸く名前が明らかになる。満を持しての「ヴィクター」の呼びかけに、台詞の皮肉さが花を添える。命あるものを贈られた彼は、10年後に命あるものをこの世に作り出すからだ。

 彼の名は、ヴィクター・フランケンシュタイン。

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