映画『レディ・プレイヤー・ワン』
映画『レディ・プレイヤー・ワン』
 元ネタ解説は皆すると思うので、ここでは原作と映画の違いから論じていきます。


①粗筋
 電子空間<オアシス>の設計者ハリデーが死んだ。彼が遺言で「オアシス内に3つの鍵を隠した。全てを揃えた者にはオアシスを統べるエッグが授けられる」と宣言したことから、全世界を巻き込んだお祭り騒ぎが始まる。

②原作小説:ギークファンタジーの究極形
 3つのコンテストの内容、登場人物の出番などもあるが、一番大きな差は主人公ウェイド=パーシヴァルの人物像だ。原作ウェイドはオタクの権化である。
 ゲーム・アニメ・映画の知識を膨大に詰め込み、説明や比喩に引用を使いたがる。知識量をひけらかし、それをダシに他人を馬鹿にする。だがその実、現実環境が恵まれないことの裏返しであり、諦めきっている。イキりオタクが、オタクであることを武器に世界を変えるというギークファンタジー…それが小説『ゲームウォーズ』だった。

③映画:ギークファンタジーからジュブナイル冒険ものへ
 では映画を見てみよう。エッグハントの冒険で、ウェイドはエイチ・アルテミス・ダイトウ・ショウトウの4人とごく初期から行動を共にする。飽くまで競争相手として関係の深化を拒んでいた原作とは対照的だ。
 流石に『ET』の監督であり『グーニーズ』の製作総指揮だけあって、少年少女の一団が冒険する様を描くのは抜群に上手い。悪徳企業IOI打倒のハッキングをするエイチ、IOIの妨害策<オジュヴォックスの天球>破壊に成功するアルテミス、メカゴジラを巨大化して倒すダイトウ…。各人に活躍の機会が与えられているが、原作では主人公一人がこなしていたのだ。

④現実/ホントのことさ
 5人は現実とオアシスを往き来してIOIの野望を打破、エッグに辿り着いた。それだけに原作で取って付けた感のあった「真の幸福は現実にある」の言葉にもグッと説得力が増す。
 ここでダイトウの「俺はガンダムで行く!」の場面を見直そう。
https://www.youtube.com/watch?v=sht9sT_Ooic
 機体は初代ガンダムだが、キメポーズはZZガンダムだったりする。ZZのOPサビと言えば…?何とも粋ではないか。

⑤スピルバーグの描いてきた現実と成長
 スピルバーグの過去作を振り返ろう。『未知との遭遇』はラストで家族を捨て宇宙に旅立つのだが、家庭を持ち子供が出来た後のスピルバーグはこの結末を後悔したという。
 5年後の『ET』はどうか?少年はETの誘いを断り、地球に残ることを選択する。『ジュラシック・パーク』は?恐竜オタクの主人公は、子供との旅を余儀なくされたことで、夢の象徴「ヴェロキラプトルの爪」を捨てる。『宇宙戦争』では?ダメ親は極限状況の中で、子を守るべく死に物狂いになる。
 現実と成長が、スピルバーグ作品に共通するテーマなのだ。

⑥スピルバーグにしか撮れない『レディ・プレイヤー・ワン』
 原作は長らく映像化不可能と言われてきた。あらゆるサブカルネタが詰め込まれているからだ。版権問題をクリアできるのは、映画の神様であり題材を粗略に扱わないスピルバーグしかいなかった。
 それに、この小説自体へのスピルバーグの影響も大きい。作中での引用の多さはもとより、CG技術の発展への貢献も深甚たるものがある。ピクサースタジオ立ち上げはスピルバーグ総指揮の『ヤング・シャーロック』がきっかけだし、『ジュラシックパーク』は革命をもたらした。<オアシス>の文化・技術を作ったハリデーは、スピルバーグとも言えるのだ。

⑦まとめ
 原作と映画のラストを対比させて、締めくくりとする。
 原作では賞金は山分けにするものの、ウェイドのアバターは万能の神となり、オアシス管理会社の経営陣・弁護士を「部下」にする。
 対し映画は、会社は共同経営、オグデンモローを最高顧問に迎え、オアシスに定休日を設けることでリアルに目を向けさせるようにする。

 スピルバーグだからこそ、このメッセージはオタクの胸に重く響く。パーシヴァル風に引用するならこうか。
「書を捨てよ、町へ出よう」

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