『空飛ぶタイヤ』が今年ワースト級
『空飛ぶタイヤ』が今年ワースト級
 怒りを通り越して不可解。長文&酷評ですがご容赦。

①粗筋
 中小運送会社社長、赤松の許に凶報が飛び込む。トレーラーが脱輪し、死亡事故が発生した、と。整備記録は潔白を証明しているが、自動車会社側の下した事故調査は「整備不良」。無実を証明すべく奔走する赤松は、財閥企業の巨大な陰謀に巻き込まれていく…。

②池井戸小説の2類型
 企業小説・銀行小説で知られる池井戸潤。彼の小説を大雑把に類別すると「泥水系」と「忠臣蔵系」に分かれる。
 「泥水系」は社会人の悲哀に充ち溢れる。出世のために他人を蹴落とす、社会道徳・法律に反すると知りながら悪事に手を染める、一つの辞令・決断で容易く崩れていく人生…。「7つの会議」「鉄の骨」がその好例だ。
 一方の「忠臣蔵系」は、「下町ロケット」「半沢直樹シリーズ」「花沢舞シリーズ」が有名か。特徴として
・巨悪
・雌伏
・ケイパー要素
・決行
・抜けのある締めくくり
の5要素がある。これらが日本的エンターテイメントの王道だからこそ、敢えて「逆転もの」とは違う呼称とした。長くなるが、順に論じて行こう。

③巨悪
 池井戸小説の敵は概して巨大だ。資本力でゴリ押す競合他社、財閥企業、下請けイジメ。手駒を一人一人かき集めて徒党・ハーレムを形成するワンピ・なろう小説とは対照的だ。
 また、敵側の「悪だくみ描写」は絶対に入る。敵方の悪意が提示されることで「こいつらは罰せられて然るべきだ」と感情移入の余地がなくなる。忠臣蔵における松の廊下での「浅野殿のような芋侍に御馳走役など務まるものか、おじゃおじゃwww」シーンと同じ機能だ。

④雌伏
 陰謀に巻き込まれることで主人公は長期間外部の理解を得られず、後ろ指を指されることになる。ここで重要なのは「社会的評価の失墜が必要であって、個人的・倫理的な懊悩であってはならない」ことである。結果として肉袒牽羊が生まれるからだ。
 策を弄する敵が巨大・経営陣だからこそ、銀行は融資を貸し剥がし、取引先は来期の発注を取りやめ、人事部は左遷を命ずる。ゆえに、潔白が証明された途端彼らはひれ伏し、どうか許してくれと懇願する。それに対し建前は慇懃ながらも「ざまあ見ろ」を突きつける時の甘美さが真骨頂だ。

⑤ケイパー要素
 ケイパーとはチームで計画を練り、周到に準備するジャンルを指す。チームとはいっても均質な要員であってはならず、各人固有の役割が必要となる。
 忠臣蔵系池井戸小説においても
・社内の人間関係に詳しい情報通の同期
・善意の内部告発者
・巨悪側の上司に嫌気が差している若手の正義漢
は必ず登場する。

⑥決行
 準備が整えば、一気呵成に事を運ぶ。態度の豹変に憤る相手に動かぬ証拠を突きつけ、長きの雌伏で高まった鬱憤を爆発させる。相手の狼狽と啖呵の切れ味に酔い痴れる。忠臣蔵においては斬り結びの果て、炭蔵で悄然とする吉良を引っ立てるシーンがこれに当たる。

⑦抜けのある締めくくり
 忠臣蔵では、志士は切腹で果てる。切腹は武士の誉れであり、仇討ちの正当性を認めながらも罰を下さねばならないことで「ご政道の瑕疵を幕府が認めた」も同然となる。
 池井戸小説でも、ラストは現状回復以上の発展を遂げるものが多い。佃製作所のバルブはロケットエンジンに採用され、こはぜ屋の陸王はアスリート御用達のシューズとなる。

⑧映画版「空飛ぶタイヤ」の出来
 さて、映画はどうか。なっちゃねえ!

 先ず主人公の(社会的)辛さが全く伝わらない。大口取引の解消、メインバンクの融資停止がどれだけ甚大なのか、原作小説では地の文で説明されていた。彼らの性根・商慣習が悪辣な様が台詞から伝わってきた。映画では至極あっさりしているため、事態の深刻度が分からない。
 原作では子供が通う学校のPTA問題も含め、全方位で彼は虐げられていた。成程2時間の映画だから、ここを省くのは仕方ない。でも映画だからこその社会的被虐描写は出来た筈だ。同じ構図のシーンを後々再配置することで、落差を悟らせるのは常套手段の筈だ。「ブリッジオブスパイ」の通勤シーンを真似すればいいではないか。
・事件前:出がけにお隣からにこやかに挨拶される
・係争中:挨拶しようとして避けられる
・事件後:挨拶し、誤解を謝罪される
これだけの演出すらないから、起伏が感じられない。

 逆転のカタルシスも微塵もない。原作では、動かぬ証拠を刑事に突きつけるシーンは爽快だ。「デカい相手にはダンマリの癖に、弱い者を虐めるのが警察だ、たまには役に立ちやがれ」と言い放ち資料を顔に叩き付ける。この啖呵とアクションが映画に在るかと云うと…「これが証拠だ、しっかり調べてくれ」とテープルに置き立ち去る。怒鳴りもしないBGMもない顔アップもない…。え、これが反撃の狼煙なの!?

 エンディングも散々だ。原作では事件が発覚するや手を引いた取引先が今度は泣きついてくる。「新しい業者が酷くて、やっぱり赤松さんが良かったよ」とすり寄ってくる相手に「信義則のない奴とは二度と仕事しない」とざまあwwを投げつける。社員に子供が生まれ、社が幸福感で一体となり幕が下りる。
 映画では自動車会社の内部告発者と事故現場に立ち尽くし「お前も大変だな」「そっちもな」とアンニュイに別れる。桑田佳祐の主題歌の歌詞も「人を蹴落として なり上がることが人生さ それを許さず 抗う相手には 殺られる前に殺るのが仁義だろ」…。これ大藪春彦じゃなくて池井戸作品だから!

⑨結びに
 監督が「ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌」の人だから、期待するのが酷かもしれない。
 だが、(なんちゃって)シリアス社会派を目指すなら元となった三菱自動車リコール隠しを押し出した映画にすべきだ。原作ではホープ自動車の社章はスリーオーバル=三菱だったのに、映画ではホンダそっくりのデザインで誤魔化す始末だが。
 原作小説の面白さを汲み取り社会派「エンターテイメント」に徹するのなら、伊丹十三作品を目指すべきだろう。王道が如何に力強く普遍的なのか、如実に分かるお手本映画なのだから。

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