『パッドマン 5億人の女性を救った男』
2018年12月8日
①粗筋
インドに住む男性ラクミュミカントは、妻が汚れた布でおりものに対処していることを知る。既製品の生理ナプキンは50ルピーと高額なため、自家製ナプキンの制作にいそしむもインドでは彼の行動は異常と見做され、当の妻からも反対を受ける。事件が起き村に居られなくなった彼は、都会に拠点を移す。目指すは誰にでも買える、1枚2ルピー。
①女性映画≠フェミ映画
今作は女性を扱っているが、その描き方は非常に悪い。はっきり言えば、パリーを除く全ての女性が大変な愚か者だ。近年では「ドリーム」や「バトルオブザセクシーズ」が差別主義の男を、有能な女性達が見返す映画だったのを思えば大きな違いだ。
「パッドマン」繋がりで「バットマン・リターンズ」を引き合いに出そう。キャットウーマンは「男に従う女こそが、女の最大の敵なのだ」と言う。今作は女性の待遇改善を願うラクシュミを、当の女性側が妨害する。
②何が女性を蒙(くら)くするのか
これはインドに限らない。イスラム圏では女性は高等教育を受けず、アフリカの部族社会では女性器への切開を通過儀礼とする。西洋諸国が介入しようとすると、当の女性からも反対が起こる。何故か。社会通念が、はっきり言えば宗教が女性はかくたれと規定するから。
月経を穢れとする観念もインドに限らない。日本でも延喜式で死の穢れを黒不浄、月のものを赤不浄と定義していた。細菌学のない時代、これらを遠ざけることには一定の妥当性があった。だが科学の発達した今、月経の女性を5日間就業就学から遠ざけるのは社会的損失でしかない。
今作でヒンズー教は直接的でないにせよ、愚かさの象徴だ。妻はナプキンに50ルピーを出さないが、ハヌマーンへの寄進には嬉々として払う。村人にラクシュミは異常者だと疑われ、妻に釈明を求める。ところが妻は「恥をかくくらいなら死んだ方がマシ」と拒否する。女性は愚かではない、愚かにさせられている。
③宗教の危険性
無神論者のリチャード・ドーキンスは「神は妄想である」の最終章で語っている。宗教が社会にとって有害なのは、信仰する本人のみならず、その子供にも影響を及ぼすからだ。本来なら開かれる筈だったあらゆる可能性は閉ざされ、一つの価値観に固定される。それが子々孫々継がれていく…。
初潮を迎えた親戚の女児にナプキンを渡そうとして、ラクシュミはリンチ寸前になる。(思春期少女の寝所に中年男が深夜寄って「ナプキン使って」はキチガイ沙汰であるのは置いておくにせよ、)自分たちの価値観が絶対だと信じ込んだ大人が、頑是ない子供の一生を勝手に決める。
④蒙を啓く
ドーキンスも今作も、人が愚かさを抜け出す手段は科学教育にあるとみている。月経は穢れだと信じ込む村民に徹底的に苛め抜かれたラクシュミは、ナプキンに使う繊維を学ぶべく工科大学に向かう。近年のインド映画に見える通り、工科大学はインド発展の要だ。彼はそこで得た知見を基に、粉砕・圧縮・包装・殺菌の4機能を備えたナプキン製造機を発明していく。
今作唯一の開明的な女性パリーもまた才女だ。英語が流暢で歌手として稼ぐ一方、父親は工科大卒のインテリで娘のために料理をする。パリー親娘の姿は、男は働き女は家事という伝統的な家庭像とは対照的だ。
工科大主催のコンペで大統領賞を取るも、未だ市井レベルではナプキン=穢れの見方が根強い。難航するナプキンビジネスを、パリーは女性ならではの立場から支援する。同じ女として工場近くの女性に使用を勧め、女工としても雇う。製造業は品質以上にブランドイメージで決まると言われるが、生理への社会イメージを変えたことで、インド女性の使用率12%だったナプキンが、ビジネスとして発展していく。
いやーパリー素晴らしすぎません?美人で頭が良くて、自分の仕事もあったろうにラクシュミの仕事を手伝う。渉外・採用広報・秘書をこなしつつ男の身だしなみにも気を配り隣で応援して、恋してるのにラクシュミが妻を選んだらそっと身を引く。穢れだ穢れだと夫の仕事に理解を示さず夫が苦境になったら捨てた癖に、成功者になった途端連絡取って復縁願った妻の5億倍良い女だと思うんですが、これは男性的な見方ですかね…?
⑤結びに
今作は「オデッセイ」に並ぶ反宗教映画ではないだろうか。神に頼らずとも人間は科学とユーモアがあればきっと、うまくいく。
インドに住む男性ラクミュミカントは、妻が汚れた布でおりものに対処していることを知る。既製品の生理ナプキンは50ルピーと高額なため、自家製ナプキンの制作にいそしむもインドでは彼の行動は異常と見做され、当の妻からも反対を受ける。事件が起き村に居られなくなった彼は、都会に拠点を移す。目指すは誰にでも買える、1枚2ルピー。
①女性映画≠フェミ映画
今作は女性を扱っているが、その描き方は非常に悪い。はっきり言えば、パリーを除く全ての女性が大変な愚か者だ。近年では「ドリーム」や「バトルオブザセクシーズ」が差別主義の男を、有能な女性達が見返す映画だったのを思えば大きな違いだ。
「パッドマン」繋がりで「バットマン・リターンズ」を引き合いに出そう。キャットウーマンは「男に従う女こそが、女の最大の敵なのだ」と言う。今作は女性の待遇改善を願うラクシュミを、当の女性側が妨害する。
②何が女性を蒙(くら)くするのか
これはインドに限らない。イスラム圏では女性は高等教育を受けず、アフリカの部族社会では女性器への切開を通過儀礼とする。西洋諸国が介入しようとすると、当の女性からも反対が起こる。何故か。社会通念が、はっきり言えば宗教が女性はかくたれと規定するから。
月経を穢れとする観念もインドに限らない。日本でも延喜式で死の穢れを黒不浄、月のものを赤不浄と定義していた。細菌学のない時代、これらを遠ざけることには一定の妥当性があった。だが科学の発達した今、月経の女性を5日間就業就学から遠ざけるのは社会的損失でしかない。
今作でヒンズー教は直接的でないにせよ、愚かさの象徴だ。妻はナプキンに50ルピーを出さないが、ハヌマーンへの寄進には嬉々として払う。村人にラクシュミは異常者だと疑われ、妻に釈明を求める。ところが妻は「恥をかくくらいなら死んだ方がマシ」と拒否する。女性は愚かではない、愚かにさせられている。
③宗教の危険性
無神論者のリチャード・ドーキンスは「神は妄想である」の最終章で語っている。宗教が社会にとって有害なのは、信仰する本人のみならず、その子供にも影響を及ぼすからだ。本来なら開かれる筈だったあらゆる可能性は閉ざされ、一つの価値観に固定される。それが子々孫々継がれていく…。
初潮を迎えた親戚の女児にナプキンを渡そうとして、ラクシュミはリンチ寸前になる。(思春期少女の寝所に中年男が深夜寄って「ナプキン使って」はキチガイ沙汰であるのは置いておくにせよ、)自分たちの価値観が絶対だと信じ込んだ大人が、頑是ない子供の一生を勝手に決める。
④蒙を啓く
ドーキンスも今作も、人が愚かさを抜け出す手段は科学教育にあるとみている。月経は穢れだと信じ込む村民に徹底的に苛め抜かれたラクシュミは、ナプキンに使う繊維を学ぶべく工科大学に向かう。近年のインド映画に見える通り、工科大学はインド発展の要だ。彼はそこで得た知見を基に、粉砕・圧縮・包装・殺菌の4機能を備えたナプキン製造機を発明していく。
今作唯一の開明的な女性パリーもまた才女だ。英語が流暢で歌手として稼ぐ一方、父親は工科大卒のインテリで娘のために料理をする。パリー親娘の姿は、男は働き女は家事という伝統的な家庭像とは対照的だ。
工科大主催のコンペで大統領賞を取るも、未だ市井レベルではナプキン=穢れの見方が根強い。難航するナプキンビジネスを、パリーは女性ならではの立場から支援する。同じ女として工場近くの女性に使用を勧め、女工としても雇う。製造業は品質以上にブランドイメージで決まると言われるが、生理への社会イメージを変えたことで、インド女性の使用率12%だったナプキンが、ビジネスとして発展していく。
いやーパリー素晴らしすぎません?美人で頭が良くて、自分の仕事もあったろうにラクシュミの仕事を手伝う。渉外・採用広報・秘書をこなしつつ男の身だしなみにも気を配り隣で応援して、恋してるのにラクシュミが妻を選んだらそっと身を引く。穢れだ穢れだと夫の仕事に理解を示さず夫が苦境になったら捨てた癖に、成功者になった途端連絡取って復縁願った妻の5億倍良い女だと思うんですが、これは男性的な見方ですかね…?
⑤結びに
今作は「オデッセイ」に並ぶ反宗教映画ではないだろうか。神に頼らずとも人間は科学とユーモアがあればきっと、うまくいく。
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