『ハロウィン』
 最高(サイコなだけに)。

 影響を与えた後発の「13日の金曜日」「エルム街の悪夢」と同列に語られることが多いが、初代「ハロウィン」は驚くほど直接的なゴア描写がない。カーペンター監督自身がヒッチコックのファンのため「サイコ」との類似は多い。今作は14人死亡するが、殺害シーンの直接描写は少ない。
 では何で恐怖を与えるか。殺しの手口、登場、脆さから見える執念の3点だ。
 ジェイソンやフレディと違い、マイケルは一貫して近親者を付け狙ってきた。一方今作は「ハロウィンH20」のように、行き会った者も誰かれ構わず殺していく。特にキツいのが子供を殺す場面。いちゃつくリア充高校生が死ぬのはホラーの定番であるにせよ、その直前でベビーシッターとして有能なことが示されている。子供部屋で襲われた際も先に子を逃がすだけに切り刻まれるのは胸に来る。行掛かりの親子連れが襲われるシーンでも、12,3歳位の少年が父親に自分なりの人生観を語った直後なだけに何とも言えない気持ちにさせる。
 ホラー演出も工夫がある。急に現れ大音量で驚かす「びっくり登場」も勿論あるが、それよりもJホラー的演出が多いのに驚かされた。黒沢清作品のようにピンボケした遠景で白い何かがチラつく、逆光になった彼方に何かが立っている…。そういう緊張感の盛り上げがあるから、単純なグロにはないヒリツキが生まれる。
 そしてマイケルの非人間的な人間らしさ。ホラーシリーズの常として、ブギーマンも作を重ねることに人間離れしていった。撃たれ突き落とされ、ドタマぶち抜かれ焼かれても、「重体だったが」「意識不明だったが」「復活の儀式によって」と何事もなく蘇る。でも今作のマイケルは脆い。撃たれればよろめき、跳ねられれば失神、銃砲を掴んだ状態で引き金を引かれ薬指と小指を失う。そんな生身の人間だからこそ、傷つき血を流してるのに絶対に人殺しを止めない姿が最高に恐ろしい。肉体の限界を凌駕する狂気を思えばこそ鳥肌が立つ。
 
 狂気と言うなら、マイケルを迎え撃つローリーら女系家族もまた狂っている気がしてならない。40年前の体験から対マイケルに備え続けてきたローリーは分かる。だが児童福祉課に保護され、母親の異常な英才教育から一度は解放された娘のカレンもまた、マイケルと対峙することで人を辞める。
 1つ最高なシーンがある。退避した地下壕の存在を悟られ、絶体絶命のカレンと孫娘のアリソン。母ローリーの銃架に幼き日の訓練に使った自分用のライフルを認め、彼女の肚が据わる。「母さん怖い、私には出来ない」と泣き喚き銃を取り落とすが、マイケルが階段に姿を現した途端すっと表情が抜け落ち「gotta’ya」と肩を撃ち抜く。すると階上部屋の奥から幽鬼のように顔だけ明るみに出したローリーが「happy Halloween Michael」と呟きキッチンナイフで飛び掛かる。ホラーシーンの一転攻勢はアガ↑るものだが、興奮を通り越して寧ろ凄絶さを湛える。

 作中でサータイン医師は「加害者の影響で被害者の心も変わってしまう」と語っていた。力を合わせマイケルを滅ぼした3人は通りすがりのトラックに助けを求める。もう安全な筈なのに、アリソンは忘我の表情で血塗れのキッチンナイフを握りしめたまま。貫頭衣で微笑むノーマンベイツのような、途轍もなく不吉なラストカット…。サイコスリラーはここに復権した。

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