ブライトバーン 恐怖の拡散者
①粗筋 カンザス州、ブライトバーン。不妊に悩むブライアー夫妻は墜落した宇宙船で見つけた幼子を、我が子として育て始める。時は経ち12歳の誕生日を迎えた少年ブランドンは、頭に響く謎の言葉「シカロ」に導かれ農園の落とし戸を開く。既に力の片鱗を見せてはいたが宇宙船の光を浴びることで覚醒、シカロ=「世界を奪え」を実行に移し出す。

②ジャンルミックス
 GOTGのジェームズガン制作、脚本に兄弟のブライアンガン、従弟のマークガンと一族総出の感がある本作。宣伝で「ジャンルミックス」のうたい文句がありますが、ここでは3つのジャンルを挙げたい。A:ヒーロー映画を反転させたホラー、B:サイキックもの、C:羊の皮を被った狼の3つです。

③ヒーロー映画を反転させたホラー
 ヒーロー映画の踏襲…この要素は狙い通り成功しているでしょう。本作は設定の多くをスーパーマンに拠っています。「カンザスの農園に落ちた」「宇宙人の子を夫妻が育て」「納屋に秘密があり」「宇宙船で自分の正体を知る」。赤いケープをはためかせ、怪力・鋼の体・飛行・高速移動・ヒートビジョンを身につけ、自分の惑星由来の物質が弱点である。
 印象的なのが後半の一場面。最愛(だった)女性の体を持ち上げ、下に「降ろす」(クラークは生を、ブランドンは死を与えます)。その直後に飛行機を墜落させるのも狙った展開でしょう。スーパーマンとその恋人ロイスレーンの馴れ初めは、彼がロイスの乗る飛行機の事故を防ぐことだったんですから。単なるパロディではなく、意識的なアンチヒーロー演出なのは明らかです。

④サイキックもの
 単なるスーパーヒーローや超能力ものと差別化するのは、このジャンルの主人公の多くが思春期の少年少女なためです。思春期で体が大きく変わり、自分の成長に戸惑う彼らは、心身のバランスが崩れ危機を迎えます。それは力の亢進による幼稚な全能感の場合もあれば、経験が足りず失敗し強烈な自己卑下に陥ることもある。今年で言えば「シャザム!」の物語構造もこれに沿っていました。
 「キャリー」や「クロニクル」のように、悲劇的な結末を辿るものが多いのも特徴の一つ。溢れる力で他人を害するまでに至るも、その結果に罪の意識を感じたり、精神を限界まで病んで自ら破滅を迎えるなどして、死によって贖罪を迎える。改心する場合もありますが、いずれにせよ人の成長を描く装置として魅力的なジャンルと言えます。

⑤羊の皮を被った狼(略して皮かむり)
 複数ジャンルをひっくるめた雑な呼称なのはご容赦下さい。「エクソシスト」などの憑依、ボディスナッチャー系統の宇宙人、「オーメン」「ネスト」などの悪魔や怪物、或いは社会生活を営むシリアルキラームービー、「エスター」のようなサイコものもこれに当たるでしょうか。
 いずれも善良な市民或いは頑是ない子供の顔を持ちながら、徐々に本性が現れだす。ここで重要なのは、彼の内面を描かないことです。一見感情豊かなように見えても、それは誰かとのコミュニケーションの中。対話相手がその場を去ると途端に笑みは剥げ落ち、能面のような顔に戻る。非人間性を強調すればこそ、ホラー度は増すのです。

⑥ジャンル往還の困難さ
 本作はこの「サイキック」「皮かむり」の往還をしており、それが物語の焦点をぼやけさせた要因に思えます。
 草刈り機の一件で力を自覚して以降、ブランドンからは以前の快活さが薄れます。農園や学校では怪事がエスカレートを始め、ブライアー夫妻は全ての元凶は息子ブランドンではないかと恐怖を募らせ始める…。この展開は「皮かむり」に当てはまるのですが、残念なことにブランドン個人の視点を入れてしまうのです。彼が一人で行動するシーンならまだギリ許せますが、「僕は高次元の存在なのだから、何をやっても許される」とそのものズバリ行動原理まで吐露させてしまう。ブライアー夫妻の目線から描くならばミステリーホラーとして楽しめたのに、これでは恐怖が減じてしまいます。
 
 一方「サイキックもの」としてはどうでしょうか。先に述べたようにそのジャンルに悲劇が多いのは、自らの死・破滅が成長として機能するからです。己の短慮で起きた事故・死亡を自覚し己の身で贖罪を完遂する。上に挙げた「キャリー」「クロニクル」どちらも家庭環境に問題があり、凶行に至るまでが運命づけられているだけに、結末は涙を誘います。
 ところが今作、ブランドンは何のしっぺ返しも食らいません。先に述べたように、彼は内面のないバケモノではなく感情を持った(超人的な)人間です。感情のまま(もっと言えば幼稚な悪意でもって)大量殺戮を成し満ち足りている。重ねて言えば被害者のどれも善良な人たちなのもモヤっとします。義賊・ダークヒーローのように狭い法的な観点で悪だとしても、広い意味の社会正義を成す訳でもない。
 ブランドンを感情ある存在として描くなら、「人間に立ち戻れる最後の分水嶺」が欲しかった。スクラップブックで父の殺害を予言する一ページを入れたのは愚策だと思いますね。寧ろB・Bとして覚醒し屍山血河を築く決意をした後であっても、母と父だけは(歪んだ形にせよ)生かすつもりだった…そんな人間性の最後のよすがを思わせる絵のひとひらさえあれば、父に撃たれ母に刺されるあの展開に、もの哀しさが生まれたと思うのですが。

⑦結びに
 無辜ブチ殺しご満悦エンドになった理由として思うのは、これ続編ありきだったらしいのです。インタビュー記事曰く、「興行がうまく行けばシェアードユニバースに組むこむ予定だった」、とジェームズガン。
 ディズニーに梯子を外され、反骨の野心で始まったと噂される本作。無事にGOTG監督に復帰し、更にはスーサイドスクワッド次作の監督ともなり表舞台の人に帰り咲いたジェームズガンは再びこのタイプの映画に携わるのか。そもそも、本国での評判もそんなに良くなく単品で終わりそうなんですがね…。

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