『9人の翻訳家 囚われたベストセラー』
粗筋 世界的ベストセラー作家オスカル=ブラックの『デダリュス』最新刊発売を控え、出版権を保持するアングストローム社社長のエリックは翻訳家を集めた。情報漏洩を防ぐため、翻訳家9人を地下に缶詰めにし、外部との交信が出来ない環境下で2か月翻訳させるのだ。
 作業が始まり1か月経った頃、彼にメールが届く。「デダリュス冒頭10pをネットに流した。金を払わなければこれは続く」と。昨晩の懇親会で出たフレーズが添付されている辺り、外部犯とは思えない。犯人は誰なのか。ダンブラウンの『インフェルノ』発売時の騒動に材を取った、フランス発ミステリー映画。





 今年初のワースト認定。考えを以下に述べていく。

①ネタばれあり作品構造解説
 本作は2段階のどんでん返しが用意されている。一つ目はフーダニット=犯人当て、2つ目はホワイダニット=動機当てとなる。以下、結末までのネタバレをしていく。
 エリックは翻訳家全員の持ち物・身体検査を行うも、電子機器は見つからず。にも拘わらず第2、第3の脅迫は続いていく。異常な監禁状態でデンマーク語翻訳のエレーヌが自殺する事態となり、遂にエリックは暴挙に出る。拳銃を取り出し、「犯人が名乗り出ないと皆殺しにする」と告げる。すると英語翻訳の青年アレックスが名乗り出た。「僕が犯人だ、自宅のパソコンから時間差でメールを送っていた」、と。(=①フーダニット)
 地下に監禁されてから原稿を持ちだすのは不可能。そのため地下行きの前にエリックの手元にある原稿を盗み、スキャンしてから戻した。残り8人中4人が共犯となり、打ち合わせしたフレーズを懇親会で口にすることで、「地下に来た後でしか作れない脅迫文面」であるかのように見せかけた、と。(※ハウダニット)
 アレックスに銃口を向けるエリック。仲間達は協力してエリックを無力化出来ないか相談を始める。翻訳家らしく多言語での即興相談を始めるも、カウントダウンの「イー、アル、サン」にエリックは気付き、発砲。ロシア語担当のカテリーナが重傷を負う。
 事ここに至り、部下は離反。エリックは犯罪者として収監される。監獄に面会に来るアレックス。しかしエリックには盗聴器が仕掛けられていた。アレックスの脅迫の証拠を掴むべく、警察が協力していた。彼はそれに気づき、マイクを押さえると動機を語り始めた。(=②ホワイダニット)
 『デダリュス』はエリックの文学部時代の教授フォンテーヌが執筆したのではない、アレックスが作者であり、フォンテーヌは代理を演じていたのだと。エリックはビジネスマンとして成功するに従い、芸術への理解を失っていった。3作目の翻訳作業は地下監禁と聞き、オスカルブラック=アレックスは芸術への冒涜だと怒った。フォンテーヌ越しに出版社を変えると告げるとエリックは激昂、(作者だと思っている)フォンテーヌを衝動的に殺して家に火を放っていたのだ。
 アレックスはマイクから手を放す。「お前がオスカルブラックな訳がない、オスカルは私が殺した!」と口にしてしまうエリック。警察は殺人の自白に色めきたち、面会室に殺到。自分を文学者として大成させてくれた師の復讐を果たし、アレックスは刑務所を一人去る…。

②後だしジャンケン
 本作はミステリー…の筈なのだが、先に述べた2つの謎解きが、「後出し」で提示される。このDNで腐るほど書いてきたが、「自然なように見える風景が、ある視点で見直してみると別の意味が浮き上がって来る」のが伏線だ。アカデミー賞、ゴールデングローブ賞脚本賞にノミネートされた傑作「ナイブズアウト」は対照的な「先出し」映画だった。
 フーダニットの「共犯たくさん」、ホワイダニットでの「オスカルブラック=アレックス」、これらの伏線を事前に示しておくのがミステリーとしての最低限の常識だろう。折角翻訳家9人の会食シーンがあるのだから
(自分の皿に塩をかけた一人が、別の卓に塩を渡す)
「あんた~~には塩だろ?」
「あ、ああ」
「あら、初対面なのに好みが分かるのね」
「〇〇人はバカ舌が多いからな」(エスニックジョークで別の共犯が助け船)
といったように、いくらでも伏線を付けられたろうに。
 断っておくが、後出し=即駄作とは言わない。最近公開の「グッドライアー 偽りのゲーム」でも後出しはあった。だがあちらは老年の駆け引き、スリラー映画としても楽しめる。本作は明らかにパズラーミステリの構造をしておきながら、その提示が不細工なのが問題なのだ。

③エリック、言うほどぐう畜か?
 悪役エリックの造形も問題だ。ホワイダニットの開示がされた瞬間は「成程、だからアレックスはエリックを追い詰めたのか」と納得する。だが後々、時系列を追ってみるとエリックに却って同情してしまう。より正確に言うとアレックスが追い詰めるから、エリックは凶行をエスカレートさせたとしか思えないのだ。
 復讐物語がエンタメとして成立するためには、悪人は一点の曇りもないド畜生であるべきだ。「岩窟王」において、蛭峰も段倉も、父を売り母国を売るド屑だ。ゆえに巌窟王の行いは天の裁き足りえるのである。
 翻って本作はどうか。「芸術を理解しない」…それって大罪か!??こんな文言で共犯を買って出る翻訳家連中は狂人なのだろうか。例えばタイトル・結末・作風を意に添わぬものに変えさせるミザリーおばさん相手なら怒りも共感しえよう。抗議しようものなら、業界に根回しして作家の芽をパイルバンカーすると逆ギレされるならまだしもだ(漫画編集や鞍替えブロックなど、現実の方がよほどエゲつないのだが…)。
 事の発端である「翻訳家を缶詰めにする」宣言も、アレックスが(ブラックであることを秘密にして)自分で過去2作の英語翻訳をネットにばらまいたのが原因だ。アレックスは「あの英訳は酷過ぎる、僕の新訳の方が圧倒的に支持されている」と語るのだが、これはアレックス=ブラックが明かされる前でしか納得できない理屈だ。アレックス=ブラックとして今作を振り返ると、ある疑問が湧く。「アレックスこそが真の畜生」なのではないかと。

④アレックス、ド畜生問題
 繰り返しになるが、エリックはアレックスの身勝手で狂っていった。これは時系列ごとにまとめればより分かりやすくなる。

a:オスカルブラック(=アレックス)、フォンテーヌが代理となり覆面作家に。一躍売れっ子へ
b:アレックス、エリックの起用した英訳が気に入らずアレックス名義で英訳をネット公開。エリック、情報漏洩に危機感抱く
c:エリック、デダリュス3巻発売告知。翻訳家を地下缶詰めにすると宣言
d:アレックス、エリックの指針に怒りフォンテーヌの口から抗議させる
e:フォンテーヌ、エリックに出版社変えると告げる。エリック激昂し殺害
f:アレックス、フォンテーヌの死を知り、復讐計画。参加する翻訳家にアレックスとしての顔で共闘持ちかけ
g:缶詰め開始。1か月後、遠隔操作の脅迫始動。エリック態度硬化
h:エレーヌ、耐えきれず自殺。エリック銃で全員を脅す
i:アレックス、オスカルブラックであることは隠しエリックに半ネタ晴らし
j:翻訳家仲間、共同謀議。エリック、カテリーナに発砲

 こう見て行けば、アレックスが正しい行動を取らなかったが故にフォンテーヌ、エレーヌ、カテリーナの悲劇が起こったのが分かる筈だ。翻訳が気に入らなければ自分が作者であることを明かし、作者=翻訳家として世論に問うてみたら良い。出版社が気に入らなければ、契約上の手続きを踏んだ上で替えれば良い。死人が出た時点で名乗り出れば、エリックは過失致死で収監は免れないだろう。
 先に挙げた巌窟王において、皮春小侯爵のように復讐の駒にされるのは少なくとも悪人だった。対しアレックスは、師の死の遠因が自分にある中で、大仰な復讐劇に罪のない他人を巻き込む。それでいて重吉を弔う巌窟王のように側杖を食らった者への配慮は見せず…。それで美学語るなんて馬鹿じゃねえの!?



⑤結びに
 何故アレックスの行動原理が滅裂になったかと言えば、「2回のどんでん返し脚本が作りたかった」。これに尽きる。瞬間瞬間の驚きはあるが、見返すと粗がこぼれ出して来る。そんな駄作だった。

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