年末TSUTAYAに行ってこれ借りよう! その2
2020年12月30日 映画前回の続きです。
⑤ターザン
棚:旧作(海外アニメ・ディズニー)
粗筋:野生児、野蛮と文明の狭間で
疎外感→身体的成長→異文化との接触→葛藤→過ち→罪の自覚と克服→真のアイデンティティーの獲得、と神話的な物語構造を辿る。それをたったの90分で、アクションの中で描き切る。ここ2,3年のディズニーピクサー映画は詰まらん枝葉末節を増やして2時間映画にしてるけど、昔の自作品を見返して欲しいね。
…けどまあ、サイドキックは皆どこかで見たようなキャラばかりだし、ヴィランにも魅力が足りない。ディズニー映画的な強度(中毒性?)は類似作の「ライオンキング」にどうしても及ばないから、影は薄い。何度も観返す映画じゃないけど、一度目の満足感は保証するよ。
⑥シェアハウスウィズヴァンパイア
棚:旧作・ホラー
粗筋:吸血鬼は辛いよ
監督はニュージーランドの誇る俊英、タイカ・ワイティティ。「ソー:バトルロイヤル」「ジョジョラビット」、それに「マンダロリアン」にも関わってる通り、ジャンル映画の枠組みの中でのネタの選別眼、ディティールのふくらまし方がとにかく上手い。流石コメディアン。
吸血鬼ジャンルでの評論は沢山あるので、ここではPOV(一人称視点)から面白さを説明します。
過去日記にも書いたんですけど、
https://magiclazy.diarynote.jp/201612171220536677/
https://magiclazy.diarynote.jp/201905261938192394/
POVジャンルには「何故撮るのか(撮り続けるのか)」問題があります。そこが不自然だと、「パラノーマルアクティビティ」のように、不自然さが拭えないものになる。
なので、POV映画はその弱点を「撮り手のキャラ性を増す」ことで解消しようとする。白石監督の諸作品のように、「何が何でもスクープ撮るぜ!」って感じにね。
ところが本作、その逆を行くんですよ。冒頭テロップで「撮影クルーはお守りを付けており、万全の態勢で臨んでいる」と説明され、劇中でも散々「吸血鬼は数々の弱点を克服できない」ことが示される。撮り手が透明化するワケですよ。
吸血鬼が心を許す唯一の人間が、怪物舞踏会に招かれるシーンも面白い。人間が紛れ込んでいることが発覚し、吸血鬼と怪物の間で悶着が起き始める。観客は当然、「いや、撮影クルーも人間だろ…?」と疑問を抱き始める。すると、ちょうどそのころになって「おい、ここにも人間居るぞ!」「しかもカメラ持ってる!」というギャグシーンが入る。POV・撮り手というジャンルの弱みを、ユーモアという強みに昇華してるんですよ。吸血鬼・コメディ・POVと全ての要素に必然性がある。
とはいえ、かなりコアファン向けな作品なのも否めません。POVホラー初心者は…取り合えず「REC」か「グレイブエンカウンターズ」がお勧めかな。
⑦ワンス・アポンア・タイム・イン・ザ・ウェスト(ウェスタン)
棚:旧作・ドラマ(若しくは「映画通100人の選ぶ本当に面白い映画」コーナー」)
粗筋:銃と無法、その時代の終わり
西部劇の巨匠、セルジオ・レオーネ監督の「ワンスアポンアタイム」3部作の一作。土地利権を巡り、元娼婦の寡婦、流れ者、山賊、鉄道王、殺し屋の面々が織りなす重厚なドラマが展開する。
セルジオ・レオーネの得意とする外連味溢れるショット、ブロンソン、フォンダらの哀愁と凄みのある演技、モリコーネのとにかく泣かせる名盤…。2時間40分、ゆったりした映画なのに飽きが来ることがない。
作品の描く「開拓時代が終わり、資本主義の時代が始まる」って構図は、そのままこの映画を巡る環境「西部劇時代の終わり、大作娯楽時代の復権」にも当てはまる。過ぎ去るものへの哀惜をここまで出せる西部劇は、もう現代では作れんのだよなあ…。
年末進行で明日も更新します。
⑤ターザン
棚:旧作(海外アニメ・ディズニー)
粗筋:野生児、野蛮と文明の狭間で
疎外感→身体的成長→異文化との接触→葛藤→過ち→罪の自覚と克服→真のアイデンティティーの獲得、と神話的な物語構造を辿る。それをたったの90分で、アクションの中で描き切る。ここ2,3年のディズニーピクサー映画は詰まらん枝葉末節を増やして2時間映画にしてるけど、昔の自作品を見返して欲しいね。
…けどまあ、サイドキックは皆どこかで見たようなキャラばかりだし、ヴィランにも魅力が足りない。ディズニー映画的な強度(中毒性?)は類似作の「ライオンキング」にどうしても及ばないから、影は薄い。何度も観返す映画じゃないけど、一度目の満足感は保証するよ。
⑥シェアハウスウィズヴァンパイア
棚:旧作・ホラー
粗筋:吸血鬼は辛いよ
監督はニュージーランドの誇る俊英、タイカ・ワイティティ。「ソー:バトルロイヤル」「ジョジョラビット」、それに「マンダロリアン」にも関わってる通り、ジャンル映画の枠組みの中でのネタの選別眼、ディティールのふくらまし方がとにかく上手い。流石コメディアン。
吸血鬼ジャンルでの評論は沢山あるので、ここではPOV(一人称視点)から面白さを説明します。
過去日記にも書いたんですけど、
https://magiclazy.diarynote.jp/201612171220536677/
https://magiclazy.diarynote.jp/201905261938192394/
POVジャンルには「何故撮るのか(撮り続けるのか)」問題があります。そこが不自然だと、「パラノーマルアクティビティ」のように、不自然さが拭えないものになる。
なので、POV映画はその弱点を「撮り手のキャラ性を増す」ことで解消しようとする。白石監督の諸作品のように、「何が何でもスクープ撮るぜ!」って感じにね。
ところが本作、その逆を行くんですよ。冒頭テロップで「撮影クルーはお守りを付けており、万全の態勢で臨んでいる」と説明され、劇中でも散々「吸血鬼は数々の弱点を克服できない」ことが示される。撮り手が透明化するワケですよ。
吸血鬼が心を許す唯一の人間が、怪物舞踏会に招かれるシーンも面白い。人間が紛れ込んでいることが発覚し、吸血鬼と怪物の間で悶着が起き始める。観客は当然、「いや、撮影クルーも人間だろ…?」と疑問を抱き始める。すると、ちょうどそのころになって「おい、ここにも人間居るぞ!」「しかもカメラ持ってる!」というギャグシーンが入る。POV・撮り手というジャンルの弱みを、ユーモアという強みに昇華してるんですよ。吸血鬼・コメディ・POVと全ての要素に必然性がある。
とはいえ、かなりコアファン向けな作品なのも否めません。POVホラー初心者は…取り合えず「REC」か「グレイブエンカウンターズ」がお勧めかな。
⑦ワンス・アポンア・タイム・イン・ザ・ウェスト(ウェスタン)
棚:旧作・ドラマ(若しくは「映画通100人の選ぶ本当に面白い映画」コーナー」)
粗筋:銃と無法、その時代の終わり
西部劇の巨匠、セルジオ・レオーネ監督の「ワンスアポンアタイム」3部作の一作。土地利権を巡り、元娼婦の寡婦、流れ者、山賊、鉄道王、殺し屋の面々が織りなす重厚なドラマが展開する。
セルジオ・レオーネの得意とする外連味溢れるショット、ブロンソン、フォンダらの哀愁と凄みのある演技、モリコーネのとにかく泣かせる名盤…。2時間40分、ゆったりした映画なのに飽きが来ることがない。
作品の描く「開拓時代が終わり、資本主義の時代が始まる」って構図は、そのままこの映画を巡る環境「西部劇時代の終わり、大作娯楽時代の復権」にも当てはまる。過ぎ去るものへの哀惜をここまで出せる西部劇は、もう現代では作れんのだよなあ…。
年末進行で明日も更新します。
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