久しぶりに激怒を覚える映画だったので紹介。
粗筋 2010年インド、ベンガルール。ロケット打ち上げ失敗の責任を取らされる形で、天才科学者ラケーシュは火星探査プロジェクトという閑職にお払い箱となる。生活の知恵ともいえる妙案で軽量化に成功し念願のスタートとなるが、配属されたメンバーは2軍とも言うべき面子ばかり。予算も納期も常識外の中、彼らは探査機の打ち上げを達成できるのか…?
①作品概説
本作はアジア初の火星探査機打ち上げ成功を描いた劇映画です。以前紹介した『パッドマン 5億人の女性を救った男』の製作陣が再集結。
https://magiclazy.diarynote.jp/201812090039181869/
監督のR・パールキが脚本、助監督のジャガン・シャクティが監督を務め、主演のアクシャイ・クマールが今作のラケーシュを好演。インド本国でもパッドマンを超える大ヒットを記録しました。そんな訳で、映画としての質は問題ない。ただどうしても腹に据えかねる部分があって…。これから、今作が反知性的な映画だという観方でくっちゃべって行きます。
②乗り越えるべき困難と映画技法
劇中において、プロジェクトチームが解決すべき課題がいくつか提示されます。「燃料積載量」「探査機軽量化」「自律調整プログラム」「容量限界と多機能化」…。一つでも未解決では立ち行かなくなる。ならば、その過程を詳説すればこそ、「実話・大プロジェクトもの」としての面白さが出るじゃないですか?それなのに本作は、そこをモンタージュでごくあっさり済ませてしまう。
「日常的な気づきから糸口が見つかる」って見せ方は大変良いです。揚げ物から「燃料は点火し続けるのではなく温度を許容値で保てば良い」の発想、ヨーヨーから「スウィングバイによる楕円軌道で燃料節約」の発想、プラごみを見て「温度・環境変化に強い軽量外壁」の発想…。でも、発想だけなんですよ。その先の試行錯誤を見せる気がない。
大目標に向けて問題を分割する。観察し、仮説を立て、検証する。小目標を達成したら見えてくる新たな課題にも対応し、PDCAサイクルを回していく。そうやって要求スペックに対して1ミリを、1グラムを、1円を切り詰めていく。そういう継続的な前進が開発であり、科学的思考だと(僕個人は)思うんですが、この映画は発想=即結果。跳躍であって前進ではないんです。
では130分もある本作、何に尺を使っているかと言うと…開発者各人の抱える家庭問題描写です。
③社会問題と科学映画
家庭、宗教、妊娠、恋愛…。これらを軽視する積りはないんですが、「探査機打ち上げプロジェクト」の成否に何も関わって居ないんです。え、これ要る?
社会問題を取り入れた大プロジェクト映画は勿論あります。先述した「パッドマン」がまさにそうですし、マーキュリー計画に携わった女性を描いた「hidden figures(クソ邦題:ドリーム)」もありました。でもそこには、必然性があった。
因習・偏見によって女性は低く扱われている現実に、上記二作の主人公たちは立ち上がった。でもそれは、「私たち(彼女ら)は辛い思いをしている」という感情論に決して落ち着かせていない。
ケガレ観念によって、女性は生理の1週間就学・就業に付かせず家に閉じ込められる。数学者・エンジニア・時代に適応した管理職といった有能な人材が、黒人女性というだけでパフォーマンスを発揮できない。客観的事実として、社会全体の生産性が下がることを指摘する。よって、差別はモラルを抜きにしても止めるのが合理的だと証明している。だからこそ力強く感動的なのです。
結局、各人の抱える鬱屈とプロジェクトは絡むことなく並列して進むのみ。「プロジェクトの成功で周囲の目が変わり、私生活でも自己実現する」なら、まだ分かるんだけどねえ…。
④科学者描写:敵
プロジェクト映画に、分かり易い悪人って不必要だと思うんです。乗り越えるべき困難は、人ではなく物理的制約。
リドリー・スコット監督の傑作『オデッセイ』が気持ちいいのは、無能が一人たりとも出てこないから。植物どころか水の一滴もない火星で、どう2年食いつなぐのか。磁気嵐で機器を喪失した後、どう地球と交信するのか。餓死のリミットが迫る中、救助船到着を早める術はあるのか。人為的なピンチなぞ無くとも、あまたの制約に人類の英知が立ち向かうだけで話は面白いからです。
一方、今作がやったことと言えば…無能な上司キャラの配置。インド宇宙研究機構に招聘されたのは、元NASA職員のルパート。現場を全く知らない事務方経理方ならまだしも、カッシーニ開発に携わったバリバリの技術屋ですよ?しかも絵空事段階のプロジェクト始動前なら兎も角、各部の開発が進み数字を詰める段階に来ているのに、「はい無理無理中止しよー」ってことあるごとに嫌味言うって、ありえます??
今作、国策映画の臭いがどうも鼻に付くんですよね。NASAをド無能に描く手つきしかり、『パッドマン』では否定的に描いた宗教を一転して縋るべきものに見せたり。そりゃインドの大衆には受けるでしょうけど…。
⑤科学者描写:主人公
そもそもの話、主人公ラケーシュがどうにも言行一致してないのが気に入りませんでした。奇矯な振舞いは目立つものの、情熱的な一面のある天才科学者…。テンプレながら魅力的な主人公像ですよねえ!?でも、彼は自分で言うほど科学屋魂を見せていたでしょうか。
中止の危機に遭ったプロジェクトを救うため、彼は単身重役会議に乗り込みます。でもそこでやったことは、研究機構トップ一人に狙いを絞った説得なんですよ。データやロジック、全てを使い果たした上で情熱を語るのは大歓迎ですよ?でも数字一つも見せぬまま、「あなたと、あなたの相棒の作り上げたこの機構で、NASAの手など借りず火星ロケット打ち上げましょうよ」って泣きつくの、どうです?ルパートの反知性に、こっちも反知性で対抗してどうすんですか。
一方、先に上げた『hidden figures』はこうです。女人禁制の作戦会議室に参席した主人公が、部外秘のデータを聴くや黒板に数式を書き始める。雁首揃えた男どもでは出来なかった帰還ロケット着水地点の計算を、彼女一人はその場で叶えられた。このぐうの音も出ない知の勝利とは、今作は正反対です。
それともあれですか?科学者の世界でも、政治力とトークスキルが強い奴が出世するっていう極上の皮肉ですか?それならそれで納得ですが。
⑥結びに
同ジャンルの傑作を上げて〆るのが通例なんで、『オデッセイ』『パッドマン』『hidden figures』は文句なしにお勧めします。
それとは別に、1月からアニメ2期が開始した漫画『Dr. STONE』もぜひ読んで下さい。漫画特有のモンタージュ・デフォルメをディティールの省略ではなく、寧ろ少年漫画らしい外連味に昇華したアツい作品ですので。
粗筋 2010年インド、ベンガルール。ロケット打ち上げ失敗の責任を取らされる形で、天才科学者ラケーシュは火星探査プロジェクトという閑職にお払い箱となる。生活の知恵ともいえる妙案で軽量化に成功し念願のスタートとなるが、配属されたメンバーは2軍とも言うべき面子ばかり。予算も納期も常識外の中、彼らは探査機の打ち上げを達成できるのか…?
①作品概説
本作はアジア初の火星探査機打ち上げ成功を描いた劇映画です。以前紹介した『パッドマン 5億人の女性を救った男』の製作陣が再集結。
https://magiclazy.diarynote.jp/201812090039181869/
監督のR・パールキが脚本、助監督のジャガン・シャクティが監督を務め、主演のアクシャイ・クマールが今作のラケーシュを好演。インド本国でもパッドマンを超える大ヒットを記録しました。そんな訳で、映画としての質は問題ない。ただどうしても腹に据えかねる部分があって…。これから、今作が反知性的な映画だという観方でくっちゃべって行きます。
②乗り越えるべき困難と映画技法
劇中において、プロジェクトチームが解決すべき課題がいくつか提示されます。「燃料積載量」「探査機軽量化」「自律調整プログラム」「容量限界と多機能化」…。一つでも未解決では立ち行かなくなる。ならば、その過程を詳説すればこそ、「実話・大プロジェクトもの」としての面白さが出るじゃないですか?それなのに本作は、そこをモンタージュでごくあっさり済ませてしまう。
「日常的な気づきから糸口が見つかる」って見せ方は大変良いです。揚げ物から「燃料は点火し続けるのではなく温度を許容値で保てば良い」の発想、ヨーヨーから「スウィングバイによる楕円軌道で燃料節約」の発想、プラごみを見て「温度・環境変化に強い軽量外壁」の発想…。でも、発想だけなんですよ。その先の試行錯誤を見せる気がない。
大目標に向けて問題を分割する。観察し、仮説を立て、検証する。小目標を達成したら見えてくる新たな課題にも対応し、PDCAサイクルを回していく。そうやって要求スペックに対して1ミリを、1グラムを、1円を切り詰めていく。そういう継続的な前進が開発であり、科学的思考だと(僕個人は)思うんですが、この映画は発想=即結果。跳躍であって前進ではないんです。
では130分もある本作、何に尺を使っているかと言うと…開発者各人の抱える家庭問題描写です。
③社会問題と科学映画
家庭、宗教、妊娠、恋愛…。これらを軽視する積りはないんですが、「探査機打ち上げプロジェクト」の成否に何も関わって居ないんです。え、これ要る?
社会問題を取り入れた大プロジェクト映画は勿論あります。先述した「パッドマン」がまさにそうですし、マーキュリー計画に携わった女性を描いた「hidden figures(クソ邦題:ドリーム)」もありました。でもそこには、必然性があった。
因習・偏見によって女性は低く扱われている現実に、上記二作の主人公たちは立ち上がった。でもそれは、「私たち(彼女ら)は辛い思いをしている」という感情論に決して落ち着かせていない。
ケガレ観念によって、女性は生理の1週間就学・就業に付かせず家に閉じ込められる。数学者・エンジニア・時代に適応した管理職といった有能な人材が、黒人女性というだけでパフォーマンスを発揮できない。客観的事実として、社会全体の生産性が下がることを指摘する。よって、差別はモラルを抜きにしても止めるのが合理的だと証明している。だからこそ力強く感動的なのです。
結局、各人の抱える鬱屈とプロジェクトは絡むことなく並列して進むのみ。「プロジェクトの成功で周囲の目が変わり、私生活でも自己実現する」なら、まだ分かるんだけどねえ…。
④科学者描写:敵
プロジェクト映画に、分かり易い悪人って不必要だと思うんです。乗り越えるべき困難は、人ではなく物理的制約。
リドリー・スコット監督の傑作『オデッセイ』が気持ちいいのは、無能が一人たりとも出てこないから。植物どころか水の一滴もない火星で、どう2年食いつなぐのか。磁気嵐で機器を喪失した後、どう地球と交信するのか。餓死のリミットが迫る中、救助船到着を早める術はあるのか。人為的なピンチなぞ無くとも、あまたの制約に人類の英知が立ち向かうだけで話は面白いからです。
一方、今作がやったことと言えば…無能な上司キャラの配置。インド宇宙研究機構に招聘されたのは、元NASA職員のルパート。現場を全く知らない事務方経理方ならまだしも、カッシーニ開発に携わったバリバリの技術屋ですよ?しかも絵空事段階のプロジェクト始動前なら兎も角、各部の開発が進み数字を詰める段階に来ているのに、「はい無理無理中止しよー」ってことあるごとに嫌味言うって、ありえます??
今作、国策映画の臭いがどうも鼻に付くんですよね。NASAをド無能に描く手つきしかり、『パッドマン』では否定的に描いた宗教を一転して縋るべきものに見せたり。そりゃインドの大衆には受けるでしょうけど…。
⑤科学者描写:主人公
そもそもの話、主人公ラケーシュがどうにも言行一致してないのが気に入りませんでした。奇矯な振舞いは目立つものの、情熱的な一面のある天才科学者…。テンプレながら魅力的な主人公像ですよねえ!?でも、彼は自分で言うほど科学屋魂を見せていたでしょうか。
中止の危機に遭ったプロジェクトを救うため、彼は単身重役会議に乗り込みます。でもそこでやったことは、研究機構トップ一人に狙いを絞った説得なんですよ。データやロジック、全てを使い果たした上で情熱を語るのは大歓迎ですよ?でも数字一つも見せぬまま、「あなたと、あなたの相棒の作り上げたこの機構で、NASAの手など借りず火星ロケット打ち上げましょうよ」って泣きつくの、どうです?ルパートの反知性に、こっちも反知性で対抗してどうすんですか。
一方、先に上げた『hidden figures』はこうです。女人禁制の作戦会議室に参席した主人公が、部外秘のデータを聴くや黒板に数式を書き始める。雁首揃えた男どもでは出来なかった帰還ロケット着水地点の計算を、彼女一人はその場で叶えられた。このぐうの音も出ない知の勝利とは、今作は正反対です。
それともあれですか?科学者の世界でも、政治力とトークスキルが強い奴が出世するっていう極上の皮肉ですか?それならそれで納得ですが。
⑥結びに
同ジャンルの傑作を上げて〆るのが通例なんで、『オデッセイ』『パッドマン』『hidden figures』は文句なしにお勧めします。
それとは別に、1月からアニメ2期が開始した漫画『Dr. STONE』もぜひ読んで下さい。漫画特有のモンタージュ・デフォルメをディティールの省略ではなく、寧ろ少年漫画らしい外連味に昇華したアツい作品ですので。
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