粗筋 時は元治元年(1864年)。尊王攘夷吹き荒れる京の都で、人斬り抜刀斎と呼ばれる暗殺者が居た。新時代を築くという大義のため、長州藩士の許で人斬り稼業を続ける抜刀斎。ある夜彼は行きがかりから武家崩れらしき少女、雪代巴を助ける。自分が憎き仇とも知らず、彼は巴に徐々に惹かれていく…。
①作品紹介
「るろうに剣心ー明治剣客浪漫譚ー」は少年ジャンプのレジェンド漫画で…って流石に紹介要らんよね?
映画版「るろうに剣心」は大友啓史監督、佐藤健主演の人気シリーズ。累計興収120億の大ヒットを果たしました(アクション方面の漫画実写化ではブッチギリの記録です)。
7年ぶりとなる映画4・5作目は「るろうに剣心・最終章 the final/the beggining」と銘打たれ今春公開。the finalは雪代縁編、the beginnnigは剣心過去編となります。
②評論基準と映画るろ剣について
タイトル通り熱誠込めて酷評します。何故なら「真面目な時代劇として観るには余りにも脚本・演出・考証が雑過ぎる」から。ですが同時に断っておきたいのは「全ての時代劇が、厳密な考証に基づいていないといけない」とも思ってません。後述しますが、今作に限り特殊な事情があるからです。
思い返せば、1作目も結構いい加減だったんですよ。神谷道場で穏やかな昼下がりを過ごす剣心が、板戸の敷居をバッチリ踏みつけたりしてて。でも、高速チャンバラがバチクソ恰好良いから、そんな些事は全然気にならない。アクションなり突出したものがあれば、ファンタジー時代劇でも構わないんです。
③「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 追憶編」
原作既読勢なら、縁編=the final、回想=the beginningの流れを不思議に思う筈。何故なら原作では人誅→回想(京都)→回想(闇乃武)→最終決戦という流れだからです。ならどうして、入れ子構造で前後編に分けるのか?それはるろ剣映像化最高傑作と評される、「追憶編」が存在しているからです。
「追憶編」とは、1999年に発売されたるろ剣のOVAシリーズ。
などの高い志を持って作られた作品です。殺陣の描写ひとつ取ってみても、「斬り付けた刃が骨で止まるや、左手で押して斬り抜ける」というように隅々まで気が払われている傑作なんです。
さて今作「~the beginning」は、製作協力に「追憶編」の名がクレジットされています。だからこそ、観る側も本格時代劇を期待せざるを得ないんですよ!僕が映画を素直な気持ちで楽しめない穿ちクズなんじゃないんですよ?作り手側が勝手にハードル上げたってことを理解して欲しいんです。
以上をご承知おきの上、重箱の隅を削岩する類の酷評をお楽しみください。
④台詞の酷さ
脚本ふざけてんのか!!?緊迫感ある遣り取りとか、メッセージ性の高いものを、直接台詞でくっちゃべんなや!!何でそれで「追憶編」の名前出せんの!??
やりようはいくらでもある。例えば内通者を疑う場面。報告をする側近に対し、桂小五郎は柿などの果実を剥く画にする。実の中に一部傷んだ部分を見つけた彼は、小刀で乱暴に抉って捨てる…。そうすれば、「裏切り者が居ることを示す」他にも「内通者は始末される」「不穏さを投げかける」などの役割も果たせるじゃないですか!演出、工夫しよ?
⑤台詞の酷さ2:機密観念、ゼロ
長州藩士、TPOが理解できない。例えば、抜刀斎に池田屋事件勃発を知らせる場面。
…先ず、発端から経緯まで長々説明するのは、無粋の極み。でもそれ以上に、こいつら往来のど真ん中でこの会話してるんですよ。画面の右側に、結構な頻度で通行人がてくてく通過してんの!!君たちさァ…一応は幕府方に追われる身の筈、よね?
或いは池田屋の決着がついたあと、長州藩士と新選組があわや斬り合いか、という場面。
いやさァ…長州の大物の名前、新選組の面前で出して良いの?それ知られたら余計に、相手方も引っ込みつかなくなるよ?
別に、この下り全部無くす必要はないんです。火急の用を告げるときは、裏路地に5歩移動するとか。にらみ合いの時には「退け!」の一言で済ませ、帰りの道々で事情を説明するとか。ちょっと場面や順序変えるだけでしょ?
⑥美術の酷さ:汚れ観念、ゼロ
新選組も巴も、皆さんお金持ちなんですかね?
対馬藩邸を抜刀斎が襲撃し、その跡を新選組が検分する場面が冒頭あります。その時の衣装が①ぺらっぺらの草履②白足袋③床すれすれの袴なんですが…。浅葱の羽織は新選組のトレードマークとして許そう。でも、十人以上の血と臓腑でドロドロになった床を歩くんだぜ?黒の草鞋掛け足袋+脚絆、とかの歩き易い恰好で遠足来てくれない!?
或いは長州藩士の潜伏する宿屋で、巴が下働きをするシーン。洗濯や炊事場風景を映しておきながら、前掛けが真っ白…なのは序の口。巴のおべべが上質な生地なうえ、広帯に帯留め、お太鼓まであるしっかり仕立て。…作業着なんだから、機能性重視して小袖にしよ?
⑦所作ダメ:抜刀斎の刀ポジ
抜刀斎と呼ばれていた頃の緋村は、純粋な人斬り。そのため行住坐臥、全てが臨戦態勢。眠るときも刀を掻き抱くようにして、膝立てで目を瞑る…んだけど。刀を右腕で抱えています。
当たり前の話ですが、刀の鞘は利き手と反対側の体に差します。斜め前に抜きはらう形でないと、2尺3寸の日本刀は鞘から抜け出さないからです。実際、「追憶編」のシーンではしっかり左側に立てて眠りに付いています。
僕ここ、ミスリードかと思ったんですよ。納刀した状態で、鞘で撲殺する甲冑剣術が出るんじゃないかと。「追憶編」では、鞘のこじりで相手の眼窩を突き潰すシーンがありますしね。…当然期待は裏切られたワケですが。
他にも、巴と初対面する酒場のシーンでは、刀を右手側に寝かせた状態で置く。室内を移動するシーンでも、右腕で鞘を握ってのしのし歩く…。平和か!
⑧所作ダメ2:偽装結婚
京を逃げ出した抜刀斎と巴は、ほとぼりが冷める迄とある里山で夫婦として暮らします。…それならお歯黒ォ!つけろ!
偽装結婚の間はまだ分かる。それなら猶更、初めて情を交わし真に夫婦となった朝には絶対に付けるべきでしょ!
「幸せの意味がようやく分かった」「あなたは悲しみをくれた人、それと同時に喜びをくれた人」なんてクソかったるい直接台詞入れんな!鏡に向かい、鉄漿を口に持っていく画を一発入れるだけで、「ああ、巴は心から剣心を愛し始めたのだな」って分かるじゃないですか!その巴を見れば、闇乃武も「ハニートラップ完成じゃ!」って理解できるやん!
⑨結びに
作品外の話になりますが、興行形態そのものにも不満があります。「the final」「the beginning」を連続公開の形にすれば、当然観客は「前後編なのだな」と思いますよね?でも、the final(4月公開)の後にthe beginning(6月公開)を観ても、何の新鮮さもないんですよ。the finalの時点で事の顛末は全て回想で語られ、それ通りにthe beginningが進むからです。
寧ろ、原作通りの描写手順の方が、前後編にする意味はあった筈です。最強キャラ、雪代縁の登場→回想京都編と巴の登場で前編を終える。「え、決着はまだ!?」「何で剣心は巴を斬ったの!?」と観客が煩悶を抱え1か月を過ごすからこそ、後編で巴編→縁との最終決着を描けばカタルシスとなる。当たり前ですよね?
でも、製作側はそれをしなかった。何故なら、追憶編意識してるから。それで、この出来ですか………。全く以て、面の皮が厚い。
4000字評でした。「ドクターデスの遺産」「樹海村」に並ぶ、欠点あげつらい型の評論だけど許してね!アクション減らして、138分の大半をシリアス時代劇にしておきながら中身腐ってんだもん!!
①作品紹介
「るろうに剣心ー明治剣客浪漫譚ー」は少年ジャンプのレジェンド漫画で…って流石に紹介要らんよね?
映画版「るろうに剣心」は大友啓史監督、佐藤健主演の人気シリーズ。累計興収120億の大ヒットを果たしました(アクション方面の漫画実写化ではブッチギリの記録です)。
7年ぶりとなる映画4・5作目は「るろうに剣心・最終章 the final/the beggining」と銘打たれ今春公開。the finalは雪代縁編、the beginnnigは剣心過去編となります。
②評論基準と映画るろ剣について
タイトル通り熱誠込めて酷評します。何故なら「真面目な時代劇として観るには余りにも脚本・演出・考証が雑過ぎる」から。ですが同時に断っておきたいのは「全ての時代劇が、厳密な考証に基づいていないといけない」とも思ってません。後述しますが、今作に限り特殊な事情があるからです。
思い返せば、1作目も結構いい加減だったんですよ。神谷道場で穏やかな昼下がりを過ごす剣心が、板戸の敷居をバッチリ踏みつけたりしてて。でも、高速チャンバラがバチクソ恰好良いから、そんな些事は全然気にならない。アクションなり突出したものがあれば、ファンタジー時代劇でも構わないんです。
③「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 追憶編」
原作既読勢なら、縁編=the final、回想=the beginningの流れを不思議に思う筈。何故なら原作では人誅→回想(京都)→回想(闇乃武)→最終決戦という流れだからです。ならどうして、入れ子構造で前後編に分けるのか?それはるろ剣映像化最高傑作と評される、「追憶編」が存在しているからです。
「追憶編」とは、1999年に発売されたるろ剣のOVAシリーズ。
台詞を厳選し、安易な会話をさせない。
心理描写を繊細に、完璧に行う。
歴史要素は存分に盛り込むが、全面には押し出さない。
人斬りにリアリティをもたせるため、敢えて凄惨な表現に挑む。
などの高い志を持って作られた作品です。殺陣の描写ひとつ取ってみても、「斬り付けた刃が骨で止まるや、左手で押して斬り抜ける」というように隅々まで気が払われている傑作なんです。
さて今作「~the beginning」は、製作協力に「追憶編」の名がクレジットされています。だからこそ、観る側も本格時代劇を期待せざるを得ないんですよ!僕が映画を素直な気持ちで楽しめない穿ちクズなんじゃないんですよ?作り手側が勝手にハードル上げたってことを理解して欲しいんです。
以上をご承知おきの上、重箱の隅を削岩する類の酷評をお楽しみください。
④台詞の酷さ
「幸せは、どういうものなのか分かった」
「情報がどこかから漏れています→まさか、仲間内に裏切り者が?」
「大事のためには、小さな犠牲が生まれるのは仕方ないものでございましょうか?」
脚本ふざけてんのか!!?緊迫感ある遣り取りとか、メッセージ性の高いものを、直接台詞でくっちゃべんなや!!何でそれで「追憶編」の名前出せんの!??
やりようはいくらでもある。例えば内通者を疑う場面。報告をする側近に対し、桂小五郎は柿などの果実を剥く画にする。実の中に一部傷んだ部分を見つけた彼は、小刀で乱暴に抉って捨てる…。そうすれば、「裏切り者が居ることを示す」他にも「内通者は始末される」「不穏さを投げかける」などの役割も果たせるじゃないですか!演出、工夫しよ?
⑤台詞の酷さ2:機密観念、ゼロ
長州藩士、TPOが理解できない。例えば、抜刀斎に池田屋事件勃発を知らせる場面。
大変だ!池田屋が襲われた!強硬派が「都に火を放ち、混乱に乗じて帝を長州へお連れする」計画をしていたが、桂さんは彼らを止めるべく今夜池田屋に乗り込む予定だ。ところが新選組の拷問で情報を漏らした者が出たため、池田屋に奴らが乗り込んだんだ!頼む、桂さんを救い出してくれ!
…先ず、発端から経緯まで長々説明するのは、無粋の極み。でもそれ以上に、こいつら往来のど真ん中でこの会話してるんですよ。画面の右側に、結構な頻度で通行人がてくてく通過してんの!!君たちさァ…一応は幕府方に追われる身の筈、よね?
或いは池田屋の決着がついたあと、長州藩士と新選組があわや斬り合いか、という場面。
ここは引け!抜刀斎!桂先生は無事だ!何とか池田屋での鉢合わせは防いだんだ!これは先生直々の命令だぞ!
いやさァ…長州の大物の名前、新選組の面前で出して良いの?それ知られたら余計に、相手方も引っ込みつかなくなるよ?
別に、この下り全部無くす必要はないんです。火急の用を告げるときは、裏路地に5歩移動するとか。にらみ合いの時には「退け!」の一言で済ませ、帰りの道々で事情を説明するとか。ちょっと場面や順序変えるだけでしょ?
⑥美術の酷さ:汚れ観念、ゼロ
新選組も巴も、皆さんお金持ちなんですかね?
対馬藩邸を抜刀斎が襲撃し、その跡を新選組が検分する場面が冒頭あります。その時の衣装が①ぺらっぺらの草履②白足袋③床すれすれの袴なんですが…。浅葱の羽織は新選組のトレードマークとして許そう。でも、十人以上の血と臓腑でドロドロになった床を歩くんだぜ?黒の草鞋掛け足袋+脚絆、とかの歩き易い恰好で遠足来てくれない!?
或いは長州藩士の潜伏する宿屋で、巴が下働きをするシーン。洗濯や炊事場風景を映しておきながら、前掛けが真っ白…なのは序の口。巴のおべべが上質な生地なうえ、広帯に帯留め、お太鼓まであるしっかり仕立て。…作業着なんだから、機能性重視して小袖にしよ?
⑦所作ダメ:抜刀斎の刀ポジ
抜刀斎と呼ばれていた頃の緋村は、純粋な人斬り。そのため行住坐臥、全てが臨戦態勢。眠るときも刀を掻き抱くようにして、膝立てで目を瞑る…んだけど。刀を右腕で抱えています。
当たり前の話ですが、刀の鞘は利き手と反対側の体に差します。斜め前に抜きはらう形でないと、2尺3寸の日本刀は鞘から抜け出さないからです。実際、「追憶編」のシーンではしっかり左側に立てて眠りに付いています。
僕ここ、ミスリードかと思ったんですよ。納刀した状態で、鞘で撲殺する甲冑剣術が出るんじゃないかと。「追憶編」では、鞘のこじりで相手の眼窩を突き潰すシーンがありますしね。…当然期待は裏切られたワケですが。
他にも、巴と初対面する酒場のシーンでは、刀を右手側に寝かせた状態で置く。室内を移動するシーンでも、右腕で鞘を握ってのしのし歩く…。平和か!
⑧所作ダメ2:偽装結婚
京を逃げ出した抜刀斎と巴は、ほとぼりが冷める迄とある里山で夫婦として暮らします。…それならお歯黒ォ!つけろ!
偽装結婚の間はまだ分かる。それなら猶更、初めて情を交わし真に夫婦となった朝には絶対に付けるべきでしょ!
「幸せの意味がようやく分かった」「あなたは悲しみをくれた人、それと同時に喜びをくれた人」なんてクソかったるい直接台詞入れんな!鏡に向かい、鉄漿を口に持っていく画を一発入れるだけで、「ああ、巴は心から剣心を愛し始めたのだな」って分かるじゃないですか!その巴を見れば、闇乃武も「ハニートラップ完成じゃ!」って理解できるやん!
⑨結びに
作品外の話になりますが、興行形態そのものにも不満があります。「the final」「the beginning」を連続公開の形にすれば、当然観客は「前後編なのだな」と思いますよね?でも、the final(4月公開)の後にthe beginning(6月公開)を観ても、何の新鮮さもないんですよ。the finalの時点で事の顛末は全て回想で語られ、それ通りにthe beginningが進むからです。
寧ろ、原作通りの描写手順の方が、前後編にする意味はあった筈です。最強キャラ、雪代縁の登場→回想京都編と巴の登場で前編を終える。「え、決着はまだ!?」「何で剣心は巴を斬ったの!?」と観客が煩悶を抱え1か月を過ごすからこそ、後編で巴編→縁との最終決着を描けばカタルシスとなる。当たり前ですよね?
でも、製作側はそれをしなかった。何故なら、追憶編意識してるから。それで、この出来ですか………。全く以て、面の皮が厚い。
4000字評でした。「ドクターデスの遺産」「樹海村」に並ぶ、欠点あげつらい型の評論だけど許してね!アクション減らして、138分の大半をシリアス時代劇にしておきながら中身腐ってんだもん!!
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