鬼滅以来の『未見予想レビュー』という狂人日記になります。
また某ジャンルへの茶化しもあるため、オフザケを許容できる方のみどうぞ。
①初めに
夏なのに、SFの冬が来た。
先週末、「SF実写邦画」という希少ジャンルの公開がカチ合うという椿事が起きた。「夏への扉~」と「Arc」の2本である。ところが、オープニング成績は夏への扉(6000万/300館)、Arc(2000万/180館)と共に大爆死を遂げた。
僕はハインライン原作の『夏への扉』が大好きだ。夏への扉実写の報を去年聞いたとき「時流にあった良い企画じゃん!」と感心もした。だが…予告編を見た瞬間に期待は吹き飛んだ。
https://www.youtube.com/watch?v=0Rlnb0N8vxU&ab_channel=%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9YouTube%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB
これは駄目だ。何故なら原作「夏への扉」は…なろう小説だったからだ。
②「夏への扉=なろう小説」説
直ぐなろう系持ち出すとか教養貧か~?と思われるかもしれない。…だが少なくとも既読勢なら、この喩えに納得出来る筈だ。
夏への扉は確かに面白い、だがそれはジャンクフード的な毒っけだ。才能による成り上がり、俺尊女卑、全世界の承認…。サクセスストーリーのテンポを重視し過ぎたがゆえの、気持ち悪さや臭さ。この引っ掛かり感があるからこそ、(日本人)読者の記憶に強烈に残り、読み継がれてきたと僕は考えている。
③原作粗筋と才能論
天才発明家のダンは、友人でありCEOであるマイルズ、秘書のベルと会社を営んでいた。ところが経営方針でマイルズと対立、婚約まで交わしていたベルの姦計により全財産を失ってしまう。一矢報いようと乗り込むも、逆上したベルにより返り討ちに。30年後の未来へと冷凍睡眠で送られて…原作はこういった話だ。
さて、この展開に覚えはないだろうか。そう、追放ものという異世界ジャンルである。テイマー・穴掘り・メイン盾といった「この世界では外れスキル/パラメータ」を与えられた主人公は、継承権を剥奪される・パーティーを追放される。ところが一点特化能力の応用法に気づき、成り上がりを始める…といった流れだ。
原作において、ダンの発明の才は天下無比だ。未来では技術レベル自体は進歩しており、ダンも始めはギャップを覚える。しかし、イノベーションを生む人間は皆無。作中で唯一、万能ロボットを視た時だけは「スゲェ!これ設計者天才だな!」と驚く。しかし最終的には「あんな発想出来るの俺だけやろ…」と過去を上書きする旅に出かける。彼に匹敵する者は存在しない世界なのだ。
④語り口
主人公の全能感を後押しするのが、独特の語り口だ。主人公の視点から物事を観察し(自分の感情は地の文で吐露するが、他人の感情を思推する描写はほぼ無い)、敵をやり込めるときは事実の順序立てや制度などを列挙し完全論破スタイルでまくし立てる。
なろうだと…ゲーム的世界システムの話とか?(苦しい
⑤成り上がりと「成長」
かのジョゼフキャンベルは、「神話類型論」を唱えた。「英雄は非日常で通過儀礼に遭い、変質を遂げることで成長する」という普遍的物語構造がある、と。
なろう下げを続けるのも意地悪なので、同じく「復讐古典」ものの『モンテクリスト伯』を比較に挙げようか。主人公ダンテスも卑劣な罠により長期間不自由の身となり、チート頭脳を持った復讐超人として帰還する…のだが、趣が違う。板挟みの中で復讐より愛ゆえの自死を決断したり、或いは他者の幸せのため身を引いたり。彼は他者との関わりの中で、価値観を自発的に更新していく。
一方の「夏への扉」は凄い。裏切り者は当然地獄行きだが、善側の同僚&博士&親切夫婦&姪ワイフ、何れの人間の忠告や哀願であっても一切耳を貸さない。「いや、僕最善のルート知ってるんで」とばかりにステップアップのコマとして機能させていく。
神話構造に沿ったものが無条件に素晴らしい、とは言わない。だが(詳しくはハヤカワ文庫版のあとがきを参照して欲しいが)、小説「夏への扉」を評価するのは日本人だけだそうだ。日本でのSFオールタイムベスト投票をすると、ほぼ必ずベスト3に入る。一方アメリカ・イギリスの場合は、ヒューゴー賞を取ったハインライン作品は兎も角、「夏への扉」はベスト100選外になるとのこと。
…なろう系こんなに流行るのも、日本だけやん?(強引
⑥トロフィーガール
原作最大の気持ち悪さは、ロリ嫁娶り展開だ。ダン(30歳)は姪のリッキー(9歳)に
「おじさんはねぇ…居なくなるんだァ…」「お金、渡しとくねェ…」「そうそう、君のパパとその恋人も悪人なんだよォ…」「おじさんのことずっと好きで居てくれたら…21歳のときにコールドスリープに入ってね…。未来で花嫁さんになってよォ…」
と矢継ぎ早にお願いをする。完全に事案である。
分別付かぬ童女に、環境変化で不安になるタイミングで、情報を吹き込む。自主性もあったものではない、ただの洗脳だ。従順な年下ヒロインを無条件で手に入れる…そう、奴隷少女/召喚魔族/庇護王女展開だね!
現代的な捉え方かもしれないが、男(30)×女(21)という年の差にも何とも言えないミソジニー感がある。時間SFの伏線回収という建前はあるものの、夫唱婦随の年の差にする必要はあるのか?
寧ろ僕は、「インターステラー」のように「数十年の実時間を過ごす=自分の人生ひとつを犠牲にして、他者の幸せを願う」SFにこそ、感動できる。リッキーと同じ時を過ごし、彼女が適齢期になったときに異性として身を引くのもアリではないか?
一方「夏への扉」は幼女を自分好みに仕込み、ぴちぴちのタイミングで冷凍から釣り上げ結婚する。「リッキーお腹出て来たねェ…もちろん、幸せの意味でだけど」のラストには鳥肌が立つ。
⑦時間改変に取り残される人たち
時間博士トゥイッチェルの扱いも悲惨だ。彼は生涯を費やしたタイムトラベルが軍機密として封印させられ、落魄していた。そんな彼をダンは最初は揉み手で取り入り、実験を渋って以降は罵倒によって誘導する。
「ほら!スイッチ押してみろよ!やっぱペテンだったんだな!軍の奴らも言ってたよ!実現不可能な戯言なんだって、ゴミ箱送りにされたクズ理論だってな!気づいてないのお前だけだから!」
あんまり過ぎない…?1往復半の時間旅行を経て、理想郷に辿り着いた後も彼へのフォローはない。「スタートレック」「バックトゥーザフューチャー」のように「過去地点の博士にヒントを出し、それが未来の発明に繋がる」という輪廻の蛇が閉じる展開もない。
夏への扉(未来βとしよう)に辿り着くために、取り残した人は他にも居る。万能機械を発明した同姓同名のダン(過去α)、誰かと結婚していたリッキー(未来α)。天才ダンは他に居たかもしれない。リッキーは別の人と幸せだったかもしれない。しかし主人公ダンは、それらを追求せず自分だけの夏への扉を求め時間跳躍を果たす。一応、
と悩んではいる。しかしその後に
と疑念は全放棄。いっそ清々しい。
⑧映画『夏への扉 ーキミのいる世界へー』
プロデューサーは、パンフでこう述べてるという。
現代映画として、まことに正道である。ヒロインは9歳→高校生に改変され、一度はヒロイン側の告白を振り「社会経験を積め」と諭す展開まであるという。
正しい。だが、正しさが売上に直結するとは、僕は思わない。ポリコレ時代だからこそ、観客は正しさから外れたものが観たいのだ。
⑨大ポリコレ時代
10年代後半、20年代ほどコンテンツの「正しさ」が煩い時代もなかったろう。黒人が怒れば、「風と共に去りぬ」は棚から消える。ストーリーゲーには同性愛とブサイク有色人種を出すのが義務化された。萌えアニメであっても、「高校生を住まわせるのは誘拐淫行」「スーパーカブ2ケツは犯罪」と叩かれる始末だ。
でもな!一般的な男どもは、解脱したリベラル仙人ちゃうぞ!「美少女抱きてぇ!成功してぇ!世界に認められてぇ!」。そういう卑俗な欲求を満たす娯楽は、窮屈な時代にこそ売れるに決まってる。
映画版「夏への扉~」は無難の極致だ。「ソラニン」の監督!「キングダム」の主演!「お帰りモネ」のヒロイン!メインテーマはLiSA!「実写邦画」という狭い枠組みの中では、正解だったろう。だが、コンテンツ潮流全体から観たらどうか?
原作通りやったら、間違いなくフェミやポリがブッ叩きに来た筈だ。だが同時に、ギンギンに尖った問題作として世間の注目を集めた筈だ。何の話題にもならず、最終見込み1.5億でポシャルことはなかったろう。
パワーはあるが時代錯誤な原作。倫理を強いる窮屈な時代。欲望を肯定する潮流。これだけの材料があってなお、無難に逃げたのは返す返すも残念な次第である。まあ、本編は1ミリも観てはいないのだが。
ということで、狂人レビューもとい「観に行かない理由」でした。攻めたプロットの『キャラクター』がロングランで、無難な『夏への扉』が爆死したのも分かる気がする。
映画ではないけれど、アニメ「チェンソーマン」もこの系譜で気になるところではある。流血描写自体はufotableが先鞭をつけてしまったので、きちんとデンジの性欲全開節が聴きたいところ。
https://www.youtube.com/watch?v=q15CRdE5Bv0&ab_channel=MAPPACHANNEL
また某ジャンルへの茶化しもあるため、オフザケを許容できる方のみどうぞ。
①初めに
夏なのに、SFの冬が来た。
先週末、「SF実写邦画」という希少ジャンルの公開がカチ合うという椿事が起きた。「夏への扉~」と「Arc」の2本である。ところが、オープニング成績は夏への扉(6000万/300館)、Arc(2000万/180館)と共に大爆死を遂げた。
僕はハインライン原作の『夏への扉』が大好きだ。夏への扉実写の報を去年聞いたとき「時流にあった良い企画じゃん!」と感心もした。だが…予告編を見た瞬間に期待は吹き飛んだ。
https://www.youtube.com/watch?v=0Rlnb0N8vxU&ab_channel=%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9YouTube%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB
これは駄目だ。何故なら原作「夏への扉」は…なろう小説だったからだ。
②「夏への扉=なろう小説」説
直ぐなろう系持ち出すとか教養貧か~?と思われるかもしれない。…だが少なくとも既読勢なら、この喩えに納得出来る筈だ。
夏への扉は確かに面白い、だがそれはジャンクフード的な毒っけだ。才能による成り上がり、俺尊女卑、全世界の承認…。サクセスストーリーのテンポを重視し過ぎたがゆえの、気持ち悪さや臭さ。この引っ掛かり感があるからこそ、(日本人)読者の記憶に強烈に残り、読み継がれてきたと僕は考えている。
③原作粗筋と才能論
天才発明家のダンは、友人でありCEOであるマイルズ、秘書のベルと会社を営んでいた。ところが経営方針でマイルズと対立、婚約まで交わしていたベルの姦計により全財産を失ってしまう。一矢報いようと乗り込むも、逆上したベルにより返り討ちに。30年後の未来へと冷凍睡眠で送られて…原作はこういった話だ。
さて、この展開に覚えはないだろうか。そう、追放ものという異世界ジャンルである。テイマー・穴掘り・メイン盾といった「この世界では外れスキル/パラメータ」を与えられた主人公は、継承権を剥奪される・パーティーを追放される。ところが一点特化能力の応用法に気づき、成り上がりを始める…といった流れだ。
原作において、ダンの発明の才は天下無比だ。未来では技術レベル自体は進歩しており、ダンも始めはギャップを覚える。しかし、イノベーションを生む人間は皆無。作中で唯一、万能ロボットを視た時だけは「スゲェ!これ設計者天才だな!」と驚く。しかし最終的には「あんな発想出来るの俺だけやろ…」と過去を上書きする旅に出かける。彼に匹敵する者は存在しない世界なのだ。
④語り口
主人公の全能感を後押しするのが、独特の語り口だ。主人公の視点から物事を観察し(自分の感情は地の文で吐露するが、他人の感情を思推する描写はほぼ無い)、敵をやり込めるときは事実の順序立てや制度などを列挙し完全論破スタイルでまくし立てる。
なろうだと…ゲーム的世界システムの話とか?(苦しい
⑤成り上がりと「成長」
かのジョゼフキャンベルは、「神話類型論」を唱えた。「英雄は非日常で通過儀礼に遭い、変質を遂げることで成長する」という普遍的物語構造がある、と。
なろう下げを続けるのも意地悪なので、同じく「復讐古典」ものの『モンテクリスト伯』を比較に挙げようか。主人公ダンテスも卑劣な罠により長期間不自由の身となり、チート頭脳を持った復讐超人として帰還する…のだが、趣が違う。板挟みの中で復讐より愛ゆえの自死を決断したり、或いは他者の幸せのため身を引いたり。彼は他者との関わりの中で、価値観を自発的に更新していく。
一方の「夏への扉」は凄い。裏切り者は当然地獄行きだが、善側の同僚&博士&親切夫婦&姪ワイフ、何れの人間の忠告や哀願であっても一切耳を貸さない。「いや、僕最善のルート知ってるんで」とばかりにステップアップのコマとして機能させていく。
神話構造に沿ったものが無条件に素晴らしい、とは言わない。だが(詳しくはハヤカワ文庫版のあとがきを参照して欲しいが)、小説「夏への扉」を評価するのは日本人だけだそうだ。日本でのSFオールタイムベスト投票をすると、ほぼ必ずベスト3に入る。一方アメリカ・イギリスの場合は、ヒューゴー賞を取ったハインライン作品は兎も角、「夏への扉」はベスト100選外になるとのこと。
…なろう系こんなに流行るのも、日本だけやん?(強引
⑥トロフィーガール
原作最大の気持ち悪さは、ロリ嫁娶り展開だ。ダン(30歳)は姪のリッキー(9歳)に
「おじさんはねぇ…居なくなるんだァ…」「お金、渡しとくねェ…」「そうそう、君のパパとその恋人も悪人なんだよォ…」「おじさんのことずっと好きで居てくれたら…21歳のときにコールドスリープに入ってね…。未来で花嫁さんになってよォ…」
と矢継ぎ早にお願いをする。完全に事案である。
分別付かぬ童女に、環境変化で不安になるタイミングで、情報を吹き込む。自主性もあったものではない、ただの洗脳だ。従順な年下ヒロインを無条件で手に入れる…そう、奴隷少女/召喚魔族/庇護王女展開だね!
現代的な捉え方かもしれないが、男(30)×女(21)という年の差にも何とも言えないミソジニー感がある。時間SFの伏線回収という建前はあるものの、夫唱婦随の年の差にする必要はあるのか?
寧ろ僕は、「インターステラー」のように「数十年の実時間を過ごす=自分の人生ひとつを犠牲にして、他者の幸せを願う」SFにこそ、感動できる。リッキーと同じ時を過ごし、彼女が適齢期になったときに異性として身を引くのもアリではないか?
一方「夏への扉」は幼女を自分好みに仕込み、ぴちぴちのタイミングで冷凍から釣り上げ結婚する。「リッキーお腹出て来たねェ…もちろん、幸せの意味でだけど」のラストには鳥肌が立つ。
⑦時間改変に取り残される人たち
時間博士トゥイッチェルの扱いも悲惨だ。彼は生涯を費やしたタイムトラベルが軍機密として封印させられ、落魄していた。そんな彼をダンは最初は揉み手で取り入り、実験を渋って以降は罵倒によって誘導する。
「ほら!スイッチ押してみろよ!やっぱペテンだったんだな!軍の奴らも言ってたよ!実現不可能な戯言なんだって、ゴミ箱送りにされたクズ理論だってな!気づいてないのお前だけだから!」
あんまり過ぎない…?1往復半の時間旅行を経て、理想郷に辿り着いた後も彼へのフォローはない。「スタートレック」「バックトゥーザフューチャー」のように「過去地点の博士にヒントを出し、それが未来の発明に繋がる」という輪廻の蛇が閉じる展開もない。
夏への扉(未来βとしよう)に辿り着くために、取り残した人は他にも居る。万能機械を発明した同姓同名のダン(過去α)、誰かと結婚していたリッキー(未来α)。天才ダンは他に居たかもしれない。リッキーは別の人と幸せだったかもしれない。しかし主人公ダンは、それらを追求せず自分だけの夏への扉を求め時間跳躍を果たす。一応、
…とすれば、昔ながらの”曲折する時間の流れ”とか、”多元宇宙”とかいう観念は、ついに正しかったのであろうか!…
と悩んではいる。しかしその後に
しかし、ぼくは、ピートに劣らず、こんな哲学には縁がない。この世の真理がどうであろうと、ぼくは現在をこよなく愛しているし、ぼくの夏への扉はもう見つかった。
と疑念は全放棄。いっそ清々しい。
⑧映画『夏への扉 ーキミのいる世界へー』
プロデューサーは、パンフでこう述べてるという。
SF好きの男性の妄想にならないように(笑)、女性の側から見てちゃんと理解できる形の璃子にしたかったんですよね。そこは女性の脚本家である菅野さんに書いてもらって本当に良かったと思っています。
現代映画として、まことに正道である。ヒロインは9歳→高校生に改変され、一度はヒロイン側の告白を振り「社会経験を積め」と諭す展開まであるという。
正しい。だが、正しさが売上に直結するとは、僕は思わない。ポリコレ時代だからこそ、観客は正しさから外れたものが観たいのだ。
⑨大ポリコレ時代
10年代後半、20年代ほどコンテンツの「正しさ」が煩い時代もなかったろう。黒人が怒れば、「風と共に去りぬ」は棚から消える。ストーリーゲーには同性愛とブサイク有色人種を出すのが義務化された。萌えアニメであっても、「高校生を住まわせるのは誘拐淫行」「スーパーカブ2ケツは犯罪」と叩かれる始末だ。
でもな!一般的な男どもは、解脱したリベラル仙人ちゃうぞ!「美少女抱きてぇ!成功してぇ!世界に認められてぇ!」。そういう卑俗な欲求を満たす娯楽は、窮屈な時代にこそ売れるに決まってる。
映画版「夏への扉~」は無難の極致だ。「ソラニン」の監督!「キングダム」の主演!「お帰りモネ」のヒロイン!メインテーマはLiSA!「実写邦画」という狭い枠組みの中では、正解だったろう。だが、コンテンツ潮流全体から観たらどうか?
原作通りやったら、間違いなくフェミやポリがブッ叩きに来た筈だ。だが同時に、ギンギンに尖った問題作として世間の注目を集めた筈だ。何の話題にもならず、最終見込み1.5億でポシャルことはなかったろう。
パワーはあるが時代錯誤な原作。倫理を強いる窮屈な時代。欲望を肯定する潮流。これだけの材料があってなお、無難に逃げたのは返す返すも残念な次第である。まあ、本編は1ミリも観てはいないのだが。
ということで、狂人レビューもとい「観に行かない理由」でした。攻めたプロットの『キャラクター』がロングランで、無難な『夏への扉』が爆死したのも分かる気がする。
映画ではないけれど、アニメ「チェンソーマン」もこの系譜で気になるところではある。流血描写自体はufotableが先鞭をつけてしまったので、きちんとデンジの性欲全開節が聴きたいところ。
https://www.youtube.com/watch?v=q15CRdE5Bv0&ab_channel=MAPPACHANNEL
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