『こんにちは、わたしのお母さん』と、ノスタルジー映画について長々語る
2022年1月16日 映画
粗筋 シャオリンは幼少の頃から母親リ・ホワンインに迷惑をかけ通し。喜んで貰おうと企んだ合格書偽造も失敗するが、母は「健康で幸せならそれで良い」と前向き。そんな矢先、母が交通事故で危篤になってしまう。
シャオリンは母の傍らで泣き疲れ眠り込む。目を覚ましたとき、彼女は81年にタイムスリップしていた。若い頃の母親に会ったシャオリンは、今度こそ親孝行するぞと固く誓い奮闘する…。
世評が高すぎるように感じるので、否定意見多めで語って行きます。全ネタバレするのでご注意。
①作品概説
中国の喜劇女優ジア・リンが監督・脚本・主演を務めたコメディ映画。昨年2月に封切られるや爆発的な人気を呼び、最終的に9億ドルを稼ぎ出しました。これはあの『ワンダーウーマン』を超え、女性監督作品として世界史上最も売れた映画となりました。因みに2021年の世界興収でも2位を記録しています。
②今作の長所:コメディ
僕は今作、どちらかというと否定寄りなんですが、2点面白いと感じました。先ず1点目は、そのコメディセンス。
監督のジア・リンは元々舞台畑の人でして、今作が長編映画デビュー作。それ以前はTVドラマ・番組で活躍し、国民的スターへと上り詰めたそうです。その中で演じた1本のコント『你好、李煥英』を膨らませて映画化したのが、今作という流れです。
元々喜劇女優として有名なだけあって、コメディ場面がどれも秀逸。前半はベタなドタバタが多いですが、映画的な外連味を活かしたキメ→外しの連続、間(ま)を活かしたシュールギャグがあるかと思えば、共感性羞恥を誘うような赤面ギャグもある。ちょっとした仕草動作、テンポの良い会話の応酬もあり、ギャグの量・質共に素晴らしいです。
③時間SF的なひねり:破滅の選択
本作には2点、ツイストが効いています。一つ目が、「自分が生まれなくなる未来を選ぼうとする」という話展開。
時間SFは大体が、「現代に戻る/現代や未来で起きる惨事/不幸を回避するべく問題解決を図る」ストーリーとなっています。ところが本作はその逆を選ぶ。今作の紹介で「逆『バック・トゥー・ザ・フューチャー』だ」というフレーズを見ますが、僕はどちらかというと『バタフライエフェクト』の没EDを思い浮かべますね。
「最愛の人の幸せを願うがゆえに、自分が生まれないよう胎児に帰って自殺する」…あれは悲愴な最後でしたが、今作はあっけらかんとしているのも異色です。何とか母親を金持ちとくっつけようと、コミカルに立ち回っては失敗を続ける。
④時間SF的なひねり:寸草春暉
2点目としては、ラスト10分で明かされる衝撃の事実があります。なんと、母親もまたタイムスリップしていたのです。
主人公以外もタイムスリップしていたことを明かす映画は、無数にある。「死とニアミスした人間が過去に戻り、人生の幸福と覚悟を噛み締めて死に臨む」映画で言えば、あのカルト映画『ドニ―・ダーコ』が似ています。でも、両者をミックスした映画はなかなか無いのでは?
更に言うなら、そのひねりをSF的な快感ではなく親子愛の感動に持って行ったのもまた特異な点ですね。唐詩から派生した熟語で、「寸草春暉」という言葉があります。
どれだけ孝心を尽くしても、親の恩愛には及ばないことを表した語です。今作でも、シャオリンは懸命に(彼女なりのやり方で)孝行に励んだ。(実は自分もタイムスリップしていた)ホワンインは全部を知ったうえで、敢えて真実を告げず見守っていた…。
ラスト5分では、子供時代のシャオリンとそれを見守るホワンインの回想が入ります。タイムスリップする前・した後どちらの世界でも、シャオリンの見ていないところでの苦労が描かれている。無限の親心に、子供は気付けないものなのです。
⑤本作の問題点:伏線
よっしゃぁ!こっからクサすぞ!3点に大きく分けて論難していきます。
先ず1点目。後出しじゃんけんで、伏線回収の快感がないところ。
隠れた名作なんですけど、『バック・トゥー・ザ・フューチャー』(BTTF)って映画皆さん知ってますか?あの映画、伏線回収が本当に巧みなんですよ。冒頭の時計、新聞記事、時計台、銃撃のカメラアングル、看板、発明のモチベーション、破いた手紙…。現代→過去→変わった現代の異同を予期・説明する演出を事前に、それも映像的なギミックで描き切っている。そりゃ名作ですわな。
一方の今作、上述した「もう一人のタイムトラベラー」ネタが後だしなんですよ。直接のネタばらしは、ジーンズへの継ぎ当てを見たところから。若い頃のホワンインは裁縫が下手で、シャオリンの服のカケハギすることで腕を上達させていった。だから80年代の彼女は、本来上手いワケがない…と真実を悟り走り出す。…んだけどさぁ、その過去設定が台詞でちょろっと出るだけで、映像的な伏線になってないの。
例えば冒頭の「私は駄目な娘」と愚痴る場面で、母親の裁縫が上達する様をモンタージュにするとかできるワケじゃない。「何気ないシーンに2重の意味を込めて、後で伏線回収する」って画が足りてない。
他にも、結局父親と結婚する伏線が一切ない。ラスト15分、いきなりポッと出で爽やかな青年が出てきて「オラ、ホワンインと結婚するから。よろしこ!」と挨拶してくる。こういう「元の鞘に収まる」展開ってさ、そこに至る過程が大事じゃない。例えばスリップ前の現代時勢で、「子供からの目線では嫌な癖や言動が、実は恋路の成就に繋がる秘訣だった」描写を入れるとかさ。或いは、七光り息子のデート作戦との合間合間でモブっぽい男を出しておいて、そっちの方で恋が実る…とかさ。
とにかく父親の扱いが雑なんだよ!七光り息子の不器用だけど憎めない奮闘ぶりを見てると、感情移入してしまう。だから他の男とデート紛いの外出に付き合うホワンインが、却って不実な女に見えてくる危険性があると思うんですよ。(この見方がミソジニーなのかな?)
⑥問題点:問題解決
もう一点は、物語の主軸が「問題解決」からどんどん離れていくところ。
褒めポイントのところで、時間SFのキモは
「現代に戻る/現代や未来で起きる惨事/不幸を回避するべく問題解決を図る」
点にあると述べました。そこで鍵となるのが、「情報アド」「特殊技能」です。
過去に飛ばされて戸惑うも、現代の知識を駆使し(半ば予言者のように)立ち回る。或いは現代では無駄/平凡スキルだった仕事/趣味を、飛ばされた先で有効活用する。異世界転生も、広い意味でこの変形と言えるでしょう。
ところが本作、スリップ前の現代パートで伏線を張らないから、それを後々で活かすこともない。主人公は設定上は無能なのに、スリップ先で突然超絶的な根回し能力・演技力を発揮し始める。…いやお前、天才じゃん。
おまけに、「生まれなくする」「現代に戻る」どちらの推進力もラストで放棄する。「母さん!か゛あ゛さ゛ん゛ん゛ん゛!゛!゛」と感動の押し売りで映画は幕を閉じるため、現代に戻ってからの答え合わせが無い。「え?現代帰れたの?」「現代で母親は事故回避出来るの?」といった疑問は解決されない。
⑦本作の「目的」
でもね、これで正しいんですよ。何故ならジア・リン監督にとって、とても個人的な一作だから。
先に経緯を述べたように、発端は1本のコントから。コントのテーマは、パンフ曰く「突然の母の死」。リ・ホワンイン/李煥英は役名のみならず、実際にリン監督の母の名だそうです。EDクレジットに映る「リ・ホワンイン」の写真と人生年表、そして「すべての母に捧ぐ」の献辞…。リン監督が若い頃亡くなってしまった、母親に向けた自伝映画なのです。
だから、伏線回収がどうしたの、整合性がどうだの、時間SFジャンルがどうだの、そういうのは眼中にねえんですよ!僕はオタクだから気にしますけどね!
⑧最後の問題点(?):ノスタルジー映画における「反省」の系譜
先ほど、問題は3つあると言いました。最後は「過去を礼賛するだけで良いのか?」って観点です。
皆知ってるBTTF、その作り手ロバートゼメキス監督は、実はリベラル側から「保守寄りだ」と非難されているんですよ。例えばBTTF。マーティが”ジョニーBグッド”を弾くシーンは名シーンとして有名ですが、「黒人音楽を、白人が作ったと改変する描写は如何なものか」と非難された。
或いは『フォレスト・ガンプ』。こちらはもっと露骨で、保守/リベラルの対比が行きすぎてるんですね。保守を体現するガンプは従軍し/実業で財を成し/国民的なスターになった。一方、恋人のジェニーは売春婦になり/平和派のヒッピーにDVされ/エイズでクタバる。ゼメキス監督自身、
そういや日本も…いつも64年?って映画ありましたよね。ヤクザ公害犯罪などが滅菌された、何とも綺麗な60年代でしたが。
⑨ノスタルジー映画における「反省」の系譜2
そういう流れもあり近年の映画では、過去を描く際に「時代の暗部」もまた描く努力が見えます。
韓国の『国際市場で会いましょう』は、まさに韓国版フォレストガンプと呼べる一作。しかしあちらでは、身を擦切らすように家族に尽くしてきた男がラストで号泣する。韓国社会の根幹たる儒教文化に対する悲涙は、本家ガンプのハッピーエンドでは対称的です。
或いは現在公開中の映画では、エドガーライトの『ラストナイトインソーホー』。50年代イギリス、ポップカルチャーの最先端だったロンドンを(序盤は)ノスタルジックに描きながらも、その背後にある「女性搾取」を恐ろしく幻惑的に描き出している。
翻って、今作はどうか。ないんです。ただただ、満点に美しい80年代中国。何で明るさ一色なのか?僕は80年代固有の事情があると思います。それを説明するために、現在中国で起きてるという現象を紹介します。
⑩80年代ブームと戦後史
ネット情報で恐縮ですが、2021年の中国で、80年代ブームが起きているとのこと。そこで人気なのが、中国のドラマではなく日本のドラマというのが面白い話です(当時、視聴率が80%あったそうです)。
では何故80年代に懐古するのか?僕は逆に考えます、それ以前の中国は懐かしむべき過去がないからです。
中国は戦後、西側陣営との冷戦/国民党との第二次内戦に突入します。50年代に入るとソ連との対立が表面化、ソ連式生産理論に頼らぬために「大躍進」を始めたことで、地獄の飢餓が全土の農村部を直撃します。
大躍進の失政に流石に批判が集まり、60年代に共産党内での派閥争いが激化。毛沢東は紅衛兵を先導し、今度は「文化大革命」を始めます。反対派の大粛清、知識人層の迫害を行い中国が培ってきた歴史との断絶が生まれます。結局、毛沢東の死後に共産党は経済開放路線にシフト。70年代後半、そして本作の舞台となる80年代に、漸く大衆は掛け値なしの幸せを実感できるようになった。
だから僕は、意地悪な言い方ですが中国はノスタルジーを覚えられるほど毛沢東死後の歴史が伸びたと思うのです。だからこそ、共産党への阿りなしに賞賛出来る過去=80年代を懐古する作品が、受けだしたのではないか…と。
⑪結びに
今作は昨年の世界興収第2位と前述しました。1位もまた中国映画の『長津湖』。この映画、朝鮮戦争中の「長津湖の戦い」が題材なんですが、実際の戦争は悲惨そのものだったらしいです。極寒の地で米中が交戦し、装備の違いで中国側に大量の凍死者が出た。けれど映画では英雄的行為として描いている。国策映画なんですね。
そんなお国柄映画が世界興収ワンツーフィニッシュなのを思うと、中国市場の巨大さを思うと共にハリウッドの凋落を感じますね。
久しぶりに5千字。まー嫌いな方向の映画です。
シャオリンは母の傍らで泣き疲れ眠り込む。目を覚ましたとき、彼女は81年にタイムスリップしていた。若い頃の母親に会ったシャオリンは、今度こそ親孝行するぞと固く誓い奮闘する…。
世評が高すぎるように感じるので、否定意見多めで語って行きます。全ネタバレするのでご注意。
①作品概説
中国の喜劇女優ジア・リンが監督・脚本・主演を務めたコメディ映画。昨年2月に封切られるや爆発的な人気を呼び、最終的に9億ドルを稼ぎ出しました。これはあの『ワンダーウーマン』を超え、女性監督作品として世界史上最も売れた映画となりました。因みに2021年の世界興収でも2位を記録しています。
②今作の長所:コメディ
僕は今作、どちらかというと否定寄りなんですが、2点面白いと感じました。先ず1点目は、そのコメディセンス。
監督のジア・リンは元々舞台畑の人でして、今作が長編映画デビュー作。それ以前はTVドラマ・番組で活躍し、国民的スターへと上り詰めたそうです。その中で演じた1本のコント『你好、李煥英』を膨らませて映画化したのが、今作という流れです。
元々喜劇女優として有名なだけあって、コメディ場面がどれも秀逸。前半はベタなドタバタが多いですが、映画的な外連味を活かしたキメ→外しの連続、間(ま)を活かしたシュールギャグがあるかと思えば、共感性羞恥を誘うような赤面ギャグもある。ちょっとした仕草動作、テンポの良い会話の応酬もあり、ギャグの量・質共に素晴らしいです。
③時間SF的なひねり:破滅の選択
本作には2点、ツイストが効いています。一つ目が、「自分が生まれなくなる未来を選ぼうとする」という話展開。
時間SFは大体が、「現代に戻る/現代や未来で起きる惨事/不幸を回避するべく問題解決を図る」ストーリーとなっています。ところが本作はその逆を選ぶ。今作の紹介で「逆『バック・トゥー・ザ・フューチャー』だ」というフレーズを見ますが、僕はどちらかというと『バタフライエフェクト』の没EDを思い浮かべますね。
「最愛の人の幸せを願うがゆえに、自分が生まれないよう胎児に帰って自殺する」…あれは悲愴な最後でしたが、今作はあっけらかんとしているのも異色です。何とか母親を金持ちとくっつけようと、コミカルに立ち回っては失敗を続ける。
④時間SF的なひねり:寸草春暉
2点目としては、ラスト10分で明かされる衝撃の事実があります。なんと、母親もまたタイムスリップしていたのです。
主人公以外もタイムスリップしていたことを明かす映画は、無数にある。「死とニアミスした人間が過去に戻り、人生の幸福と覚悟を噛み締めて死に臨む」映画で言えば、あのカルト映画『ドニ―・ダーコ』が似ています。でも、両者をミックスした映画はなかなか無いのでは?
更に言うなら、そのひねりをSF的な快感ではなく親子愛の感動に持って行ったのもまた特異な点ですね。唐詩から派生した熟語で、「寸草春暉」という言葉があります。
誰言寸草心
報得三春暉
どれだけ孝心を尽くしても、親の恩愛には及ばないことを表した語です。今作でも、シャオリンは懸命に(彼女なりのやり方で)孝行に励んだ。(実は自分もタイムスリップしていた)ホワンインは全部を知ったうえで、敢えて真実を告げず見守っていた…。
ラスト5分では、子供時代のシャオリンとそれを見守るホワンインの回想が入ります。タイムスリップする前・した後どちらの世界でも、シャオリンの見ていないところでの苦労が描かれている。無限の親心に、子供は気付けないものなのです。
⑤本作の問題点:伏線
よっしゃぁ!こっからクサすぞ!3点に大きく分けて論難していきます。
先ず1点目。後出しじゃんけんで、伏線回収の快感がないところ。
隠れた名作なんですけど、『バック・トゥー・ザ・フューチャー』(BTTF)って映画皆さん知ってますか?あの映画、伏線回収が本当に巧みなんですよ。冒頭の時計、新聞記事、時計台、銃撃のカメラアングル、看板、発明のモチベーション、破いた手紙…。現代→過去→変わった現代の異同を予期・説明する演出を事前に、それも映像的なギミックで描き切っている。そりゃ名作ですわな。
一方の今作、上述した「もう一人のタイムトラベラー」ネタが後だしなんですよ。直接のネタばらしは、ジーンズへの継ぎ当てを見たところから。若い頃のホワンインは裁縫が下手で、シャオリンの服のカケハギすることで腕を上達させていった。だから80年代の彼女は、本来上手いワケがない…と真実を悟り走り出す。…んだけどさぁ、その過去設定が台詞でちょろっと出るだけで、映像的な伏線になってないの。
例えば冒頭の「私は駄目な娘」と愚痴る場面で、母親の裁縫が上達する様をモンタージュにするとかできるワケじゃない。「何気ないシーンに2重の意味を込めて、後で伏線回収する」って画が足りてない。
他にも、結局父親と結婚する伏線が一切ない。ラスト15分、いきなりポッと出で爽やかな青年が出てきて「オラ、ホワンインと結婚するから。よろしこ!」と挨拶してくる。こういう「元の鞘に収まる」展開ってさ、そこに至る過程が大事じゃない。例えばスリップ前の現代時勢で、「子供からの目線では嫌な癖や言動が、実は恋路の成就に繋がる秘訣だった」描写を入れるとかさ。或いは、七光り息子のデート作戦との合間合間でモブっぽい男を出しておいて、そっちの方で恋が実る…とかさ。
とにかく父親の扱いが雑なんだよ!七光り息子の不器用だけど憎めない奮闘ぶりを見てると、感情移入してしまう。だから他の男とデート紛いの外出に付き合うホワンインが、却って不実な女に見えてくる危険性があると思うんですよ。(この見方がミソジニーなのかな?)
⑥問題点:問題解決
もう一点は、物語の主軸が「問題解決」からどんどん離れていくところ。
褒めポイントのところで、時間SFのキモは
「現代に戻る/現代や未来で起きる惨事/不幸を回避するべく問題解決を図る」
点にあると述べました。そこで鍵となるのが、「情報アド」「特殊技能」です。
過去に飛ばされて戸惑うも、現代の知識を駆使し(半ば予言者のように)立ち回る。或いは現代では無駄/平凡スキルだった仕事/趣味を、飛ばされた先で有効活用する。異世界転生も、広い意味でこの変形と言えるでしょう。
ところが本作、スリップ前の現代パートで伏線を張らないから、それを後々で活かすこともない。主人公は設定上は無能なのに、スリップ先で突然超絶的な根回し能力・演技力を発揮し始める。…いやお前、天才じゃん。
おまけに、「生まれなくする」「現代に戻る」どちらの推進力もラストで放棄する。「母さん!か゛あ゛さ゛ん゛ん゛ん゛!゛!゛」と感動の押し売りで映画は幕を閉じるため、現代に戻ってからの答え合わせが無い。「え?現代帰れたの?」「現代で母親は事故回避出来るの?」といった疑問は解決されない。
⑦本作の「目的」
でもね、これで正しいんですよ。何故ならジア・リン監督にとって、とても個人的な一作だから。
先に経緯を述べたように、発端は1本のコントから。コントのテーマは、パンフ曰く「突然の母の死」。リ・ホワンイン/李煥英は役名のみならず、実際にリン監督の母の名だそうです。EDクレジットに映る「リ・ホワンイン」の写真と人生年表、そして「すべての母に捧ぐ」の献辞…。リン監督が若い頃亡くなってしまった、母親に向けた自伝映画なのです。
だから、伏線回収がどうしたの、整合性がどうだの、時間SFジャンルがどうだの、そういうのは眼中にねえんですよ!
⑧最後の問題点(?):ノスタルジー映画における「反省」の系譜
先ほど、問題は3つあると言いました。最後は「過去を礼賛するだけで良いのか?」って観点です。
皆知ってるBTTF、その作り手ロバートゼメキス監督は、実はリベラル側から「保守寄りだ」と非難されているんですよ。例えばBTTF。マーティが”ジョニーBグッド”を弾くシーンは名シーンとして有名ですが、「黒人音楽を、白人が作ったと改変する描写は如何なものか」と非難された。
或いは『フォレスト・ガンプ』。こちらはもっと露骨で、保守/リベラルの対比が行きすぎてるんですね。保守を体現するガンプは従軍し/実業で財を成し/国民的なスターになった。一方、恋人のジェニーは売春婦になり/平和派のヒッピーにDVされ/エイズでクタバる。ゼメキス監督自身、
ジェニーは「ドラッグ・セックス・ロックンロール」であり、ガンプは「古き良きアメリカ」を体現しているとさえ発言している。おまけに、多大な犠牲を払って成し遂げた公民権運動は完全に無視されている始末。
そういや日本も…いつも64年?って映画ありましたよね。ヤクザ公害犯罪などが滅菌された、何とも綺麗な60年代でしたが。
⑨ノスタルジー映画における「反省」の系譜2
そういう流れもあり近年の映画では、過去を描く際に「時代の暗部」もまた描く努力が見えます。
韓国の『国際市場で会いましょう』は、まさに韓国版フォレストガンプと呼べる一作。しかしあちらでは、身を擦切らすように家族に尽くしてきた男がラストで号泣する。韓国社会の根幹たる儒教文化に対する悲涙は、本家ガンプのハッピーエンドでは対称的です。
或いは現在公開中の映画では、エドガーライトの『ラストナイトインソーホー』。50年代イギリス、ポップカルチャーの最先端だったロンドンを(序盤は)ノスタルジックに描きながらも、その背後にある「女性搾取」を恐ろしく幻惑的に描き出している。
翻って、今作はどうか。ないんです。ただただ、満点に美しい80年代中国。何で明るさ一色なのか?僕は80年代固有の事情があると思います。それを説明するために、現在中国で起きてるという現象を紹介します。
⑩80年代ブームと戦後史
ネット情報で恐縮ですが、2021年の中国で、80年代ブームが起きているとのこと。そこで人気なのが、中国のドラマではなく日本のドラマというのが面白い話です(当時、視聴率が80%あったそうです)。
では何故80年代に懐古するのか?僕は逆に考えます、それ以前の中国は懐かしむべき過去がないからです。
中国は戦後、西側陣営との冷戦/国民党との第二次内戦に突入します。50年代に入るとソ連との対立が表面化、ソ連式生産理論に頼らぬために「大躍進」を始めたことで、地獄の飢餓が全土の農村部を直撃します。
大躍進の失政に流石に批判が集まり、60年代に共産党内での派閥争いが激化。毛沢東は紅衛兵を先導し、今度は「文化大革命」を始めます。反対派の大粛清、知識人層の迫害を行い中国が培ってきた歴史との断絶が生まれます。結局、毛沢東の死後に共産党は経済開放路線にシフト。70年代後半、そして本作の舞台となる80年代に、漸く大衆は掛け値なしの幸せを実感できるようになった。
だから僕は、意地悪な言い方ですが中国はノスタルジーを覚えられるほど毛沢東死後の歴史が伸びたと思うのです。だからこそ、共産党への阿りなしに賞賛出来る過去=80年代を懐古する作品が、受けだしたのではないか…と。
⑪結びに
今作は昨年の世界興収第2位と前述しました。1位もまた中国映画の『長津湖』。この映画、朝鮮戦争中の「長津湖の戦い」が題材なんですが、実際の戦争は悲惨そのものだったらしいです。極寒の地で米中が交戦し、装備の違いで中国側に大量の凍死者が出た。けれど映画では英雄的行為として描いている。国策映画なんですね。
そんなお国柄映画が世界興収ワンツーフィニッシュなのを思うと、中国市場の巨大さを思うと共にハリウッドの凋落を感じますね。
久しぶりに5千字。まー嫌いな方向の映画です。
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