『ウエスト・サイド・ストーリー』
粗筋 50年代NY。プエルトリコ移民のゴロツキ「シャークス」と白人集団「ジェッツ」が縄張りを巡り争っていた。かつてジェッツの頭を張っていたトニーは服役し、改心。だがジェッツのメンバーは仮釈放中のトニーをしきりに戻したがる。誘いを拒み切れず訪れたダンスパーティーで、彼はシャークスのボス、ベルナルドの妹であるマリアに一目惚れしてしまう…。


①作品概説
 伝説のミュージカルであり、1961年に映画化されポップアイコンとなった『ウエストサイド物語』。巨匠スティーヴン・スピルバーグが舞台時代はそのままに、新たに再映画化したのが今作『ウエスト・サイド・ストーリー』となる。
 50年代風景を徹底的に再現した美術、バーナード・ハーマンの名盤など、オリジナル作品への敬意は随所に見える。だが、大きく改変した部分もある。ジェッツ・シャークスの面々にはハードな過去設定が背負わされ、決闘シーンは緊迫感に満ちたものになるなど、よりダークな雰囲気に。何より、61年版では白人が演じていたシャークスの面々をプエルトリコ人・ラテン系の役者で固め、より人種多様性を目指した「現代的な」映画となっている。


②現代性と『ミュンヘン』
 この映画のメッセージ性は何か。それは現代アメリカの分断と憎悪の糾弾である。
『ウエストサイド物語』は、周知の通り『ロミオとジュリエット』をベースとしている。宿怨の2派の下に生まれついてしまった男女、道ならぬ恋を諦められず永遠の愛を誓うが、決闘で進退窮まり駆け落ちしようとする。ところが嘘によって自暴自棄になり、悲劇的な結末を迎える…。だが、今作がロミジュリ、ウエストサイド物語とも違うのは、「憎悪による報復合戦は何も生まない」と強く打ち出しているところだ。

 監督の過去作に、『ミュンヘン』がある。ミュンヘンオリンピックでイスラエル選手団がテロの標的に遭い、全員死亡。イスラエル政府は事件を首謀したパレスチナ過激派11人に報復を決意し、暗殺チームを差し向ける…。
 この映画は、報復を英雄的に描いていない。凄惨な暗殺は更なる報復を呼び、暗殺チームも一人また一人と狩られていく。最後に映されるのは、CGで再現された貿易センタービル。過去を描きながらも、ブッシュ政権が行っていたテロに対する戦争を痛烈に批判したのだ。

 
③『リンカーン』
 そうしたスピルバーグの過去作と比べ、今作はどうか。私は生温いように思う。一つには、主人公のトニーがジェッツ寄りであり、両派を繋ぐ(=アメリカの分断を解消する)役割を負っていないところ。『ミュンヘン』はイスラエル、パレスチナどちらにも与しない中立的立場から描いたせいで、スピルバーグは双方から批判を受けた。
 2点目として挙げたいのは、トニーは「現実的な和解」を何ら模索していない点である。政治用語で『レアルポリティーク』という言葉があるが、これを描いたスピルバーグの過去作として、『リンカーン』も紹介したい。

 リンカーン大統領は、従来「劇的な」描かれ方をされてきた。ゲティスバーグ演説、奴隷解放宣言、そして暗殺…。だが、『リンカーン』で描かれるのは合衆国憲法修正13条の通過、これだけである。奴隷解放宣言は宣下されたものの、北部側で参戦した州には免除された州が多く、南部に至っては通用する筈もない。有名無実な宣言に実行力を持たせるべく、保守への切り崩し・左派への妥協工作と両者への根回しを進めていくのだ。
『リンカーン』における現代性とは何だったのか。それは当時のオバマ大統領が成立させた国民皆保険制(オバマケア)の成立風景である。保守・リベラルで先鋭化し議論を停滞させるのではなく、折衝と妥協の果てに法案を成立させるという難行を、歴史劇で見せたのだ。


④レアルポリティークとしての主人公像
 以降のスピルバーグ作品は、(政治色の強い作品は)この系譜を貫いている。 
 『ブリッジオブスパイ』の主人公は、冷戦バリバリの時期にソ連スパイを弁護し、捕虜交換などの現実的な駆け引きの先に彼を母国へと返した。或いは『ペンタゴンペーパーズ』においては、女社主は株主の突き上げ、政治家との付き合い、政府の圧力など様々な力関係を綱渡りする中で、報道の独立性を選び取る苦悩を描いていた。

 そうした作品と比べると、どうにも『ウェストサイドストーリー』のトニーは夢見がちに映るのだ。『BFG』や『レディプレイヤーワン』のようなファンタジー作品ではない。元からして社会性のある原作を、上述した通りわざわざトランプ時代以降のアメリカを反映した作りにしているのだ。それなのに…トニーが口を開けば飛び出すのは、マリアへの愛の言葉だけだ。
 ウェストサイド好きにはすんません!でも、てめぇの恋路が原因で殺し合いに発展するって事態なのに「今夜は~今夜は~駆け落ちだ~♪」って暢気すぎません?
 対話を試みてみたり、過激派から銃を取り上げようと行動はする。でも、決定的な破局は、当のトニーがベルナルドをぶち殺したことで訪れる。挙句の果てに、その晩にマリアの寝所に忍んでしっぽりって…良い気なモンじゃねえかな?

 
 原作がそう?そりゃそう。でも、わざわざシリアスなタッチにして、しかもスピルバーグが監督するのなら、もっと違うトニー像で良かったと思うんですよ。リアリティラインを現実に近づけたがゆえに、却って恋愛の身勝手さが浮かび上がってしまう。


⑤結びに
https://magiclazy.diarynote.jp/202011100043418635/
 1年前、『ザ・ハント』という映画を評した。オバマと同じく、バイデンも口だけ中道リーダーに終わらなければ良いが…そんな危惧は現実になってしまった。ただの悪口おじいちゃんだったからね?
 今作の制作公表は2019年。トランプが加速させた分断に飽き、アメリカは融和を望んだ。暴力的な保守でも、冷笑的なリベラルでもない、中道的で現実的な指導者が。だが現実の大統領にも、フィクションの中のリーダーにも、その姿は認められない。




 以上、スピルバーグのフィルモグラフィーから読み解くウェストサイド評でした。ぶっちゃけ、現代でリメイクする意義はあったんかね?

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