思い出の映画100選 ~西部劇~
2022年2月22日 映画
西部劇ってザックリし過ぎだな。第二弾書くかも。
・荒野の七人,1960
初っ端から弩メジャー作品だが、西部劇と言えばこれ。登場人物が誰も彼も恰好良すぎる。序盤の護送シーンに始まり、一人づつ仲間集めをするシーンのわくわく感は堪らない。
この映画、吹替訳も本当に素晴らしい。クリスが死にゆくハリーに優しい嘘をかけるシーンで
とする名訳ぶりよ!(正確な訳なら「地獄行きだな…」「行き先は別さ」辺り)
・リバティ・バランスを撃った男,1962
たびたび書いてきた「西部劇=誰かの幸せのために犠牲になり、静かに去っていく男を描く」というテーマを体現した作品。
法律を学んだ若者ランスと、実力で無法者と戦うトム。トムは町の美女ランスを密かに好いていたが、ランスのために身を引き、荒くれの領袖リバティ・バランスを撃つ…。
しかも、その挺身が後から明かされる脚本が本当に憎い。人知れずランスの決闘を手助けし、打ち明けず墓場まで持って行った…。蓋棺事定とはよく言ったもので、死後に彼の偉業は日の目を見た。
・小鹿物語,1946
壮年男性と少年、と言えば西部劇では前者が主人公になるものだが、本作は少年を中心に話が回る。
貧しく過酷な開拓地を生きる親子は、ある日小鹿を拾うことになる。小鹿と息子は仲睦まじく成長するが、小鹿が作物を食い荒らしたことで父は小鹿の処分を決める…。
ここからの展開が凄まじい。初撃では致命傷が与えられず、父は自分の手でとどめを刺すよう命じる。涙ながらに打ち殺した少年は父親に悪罵の限りを尽くす。
「あんたはずっとフラッグが嫌いだっただろ!だからやらせた!死んでしまえ!二度と顔を合わせてやるもんか!!」
激情に駆られたまま彼は家出をし、激動の旅を終え帰ってくると大人の顔つきをしている…。前半の陽気さからは想像も出来ぬ、ほろ苦い成長で幕を閉じる。
・ハンター,1980
名優の遺作・引退作というのは、特別な印象を持つものだ。西部とアウトローのシンボルだったスティーブ・マックイーンの遺作がこの『ハンター』だ。マックイーンは後年、映画の出演を断り続けた。体調が悪化したのち『トマホーン』(1979)と『ハンター』に出演し、間もなく肺癌で亡くなった。
『トマホーン』は何とも寒々しい映画だ。かつての英雄も、時代の流れに逆らえずお払い箱になる。無実の罪で死刑判決が下され、絞首台の下にお守りが散らばるカットでクレジットが流れ出す。
『ハンター』は『トマホーン』と並べて観ると何とも味わいのある映画だ。現代に生きるバウンティハンターが、恋人の妊娠で人生を見つめ直す。荒くれを気取った生活で彼女を危険に晒すが、出産は無事に済む。我が子のクシャミに対し、"Bless you."と声をかけ映画は終わる。無論、この言葉はクシャミに対する定型句だ。だが、この世に生を受けた赤子に対し、間もなく天に召されるマックイーンがかけた最後のセリフだと思うと、感慨もひと塩に思えるのだ。
・ノーカントリー,2007
西部劇において、「時代遅れ」にはノスタルジーが付きまとう。僅か50年だけ存在した、西部の荒野に流れた暴力とロマンの空気。開拓地に法と秩序と資本主義が浸透し現代アメリカが成立するのだが、過ぎ去った時代に恐れと敬意を人は抱いてしまう。
だが、この映画は違う。時代の変化によって到来するのは、野望も人情も理屈も存在しない、ただの荒廃。それを体現した悪魔として、アントン・シガーは息をするように人を殺していく。
https://www.youtube.com/watch?v=Lp3VHEL4wm8
現代における「西部」とはメキシコ国境と麻薬戦争だ。ヴィルヌーヴの『ボーダーライン』、リドリースコットの『悪の法則』なども描いたように、そこには誰一人理解しきれないような、茫漠たる荒廃しかない。
西部劇は終わってしまったジャンルだが、タランティーノ、テイラーシェリダン、そしてイーストウッドなどの監督が新たな名作を作り出している。だが現代西部劇で一作だけ選ぶなら、私は迷わず『ノーカントリー』を挙げる。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm3730481
ノーカントリー評でいえば、エガちゃんの映画漫談ほどこの空気感を伝えられるものはないわ。
・荒野の七人,1960
初っ端から弩メジャー作品だが、西部劇と言えばこれ。登場人物が誰も彼も恰好良すぎる。序盤の護送シーンに始まり、一人づつ仲間集めをするシーンのわくわく感は堪らない。
この映画、吹替訳も本当に素晴らしい。クリスが死にゆくハリーに優しい嘘をかけるシーンで
"I’ll be damned!" "Maybe you won’t."を
「来てよかったぜ」「黄金の夢を見ろ」
とする名訳ぶりよ!(正確な訳なら「地獄行きだな…」「行き先は別さ」辺り)
・リバティ・バランスを撃った男,1962
たびたび書いてきた「西部劇=誰かの幸せのために犠牲になり、静かに去っていく男を描く」というテーマを体現した作品。
法律を学んだ若者ランスと、実力で無法者と戦うトム。トムは町の美女ランスを密かに好いていたが、ランスのために身を引き、荒くれの領袖リバティ・バランスを撃つ…。
しかも、その挺身が後から明かされる脚本が本当に憎い。人知れずランスの決闘を手助けし、打ち明けず墓場まで持って行った…。蓋棺事定とはよく言ったもので、死後に彼の偉業は日の目を見た。
・小鹿物語,1946
壮年男性と少年、と言えば西部劇では前者が主人公になるものだが、本作は少年を中心に話が回る。
貧しく過酷な開拓地を生きる親子は、ある日小鹿を拾うことになる。小鹿と息子は仲睦まじく成長するが、小鹿が作物を食い荒らしたことで父は小鹿の処分を決める…。
ここからの展開が凄まじい。初撃では致命傷が与えられず、父は自分の手でとどめを刺すよう命じる。涙ながらに打ち殺した少年は父親に悪罵の限りを尽くす。
「あんたはずっとフラッグが嫌いだっただろ!だからやらせた!死んでしまえ!二度と顔を合わせてやるもんか!!」
激情に駆られたまま彼は家出をし、激動の旅を終え帰ってくると大人の顔つきをしている…。前半の陽気さからは想像も出来ぬ、ほろ苦い成長で幕を閉じる。
・ハンター,1980
名優の遺作・引退作というのは、特別な印象を持つものだ。西部とアウトローのシンボルだったスティーブ・マックイーンの遺作がこの『ハンター』だ。マックイーンは後年、映画の出演を断り続けた。体調が悪化したのち『トマホーン』(1979)と『ハンター』に出演し、間もなく肺癌で亡くなった。
『トマホーン』は何とも寒々しい映画だ。かつての英雄も、時代の流れに逆らえずお払い箱になる。無実の罪で死刑判決が下され、絞首台の下にお守りが散らばるカットでクレジットが流れ出す。
『ハンター』は『トマホーン』と並べて観ると何とも味わいのある映画だ。現代に生きるバウンティハンターが、恋人の妊娠で人生を見つめ直す。荒くれを気取った生活で彼女を危険に晒すが、出産は無事に済む。我が子のクシャミに対し、"Bless you."と声をかけ映画は終わる。無論、この言葉はクシャミに対する定型句だ。だが、この世に生を受けた赤子に対し、間もなく天に召されるマックイーンがかけた最後のセリフだと思うと、感慨もひと塩に思えるのだ。
・ノーカントリー,2007
西部劇において、「時代遅れ」にはノスタルジーが付きまとう。僅か50年だけ存在した、西部の荒野に流れた暴力とロマンの空気。開拓地に法と秩序と資本主義が浸透し現代アメリカが成立するのだが、過ぎ去った時代に恐れと敬意を人は抱いてしまう。
だが、この映画は違う。時代の変化によって到来するのは、野望も人情も理屈も存在しない、ただの荒廃。それを体現した悪魔として、アントン・シガーは息をするように人を殺していく。
https://www.youtube.com/watch?v=Lp3VHEL4wm8
現代における「西部」とはメキシコ国境と麻薬戦争だ。ヴィルヌーヴの『ボーダーライン』、リドリースコットの『悪の法則』なども描いたように、そこには誰一人理解しきれないような、茫漠たる荒廃しかない。
西部劇は終わってしまったジャンルだが、タランティーノ、テイラーシェリダン、そしてイーストウッドなどの監督が新たな名作を作り出している。だが現代西部劇で一作だけ選ぶなら、私は迷わず『ノーカントリー』を挙げる。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm3730481
ノーカントリー評でいえば、エガちゃんの映画漫談ほどこの空気感を伝えられるものはないわ。
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