『ナイル殺人事件』を貶し半分でレビューする
2022年2月28日 映画
ミステリのネタバレ含みます。
粗筋 美貌の資産家、リネットは友人ジャクリーヌの婚約者サイモンを奪い取って結婚。ナイル川を遡るハネムーンクルーズに旅立ったため、ジャクリーヌは道々で姿を現し復讐をたくらむ。恐怖を感じたリネットは偶然居合わせた名探偵ポアロに解決を求めるのだが、豪華客船で夜半銃声が鳴り響き…。
①作品概説
原作は言わずと知れた、ミステリの女王アガサ・クリスティの小説。これまで余多の映像化を経たポアロシリーズを、名優ケネス・ブラナーが映画化。前作『オリエント急行殺人事件』は2017年に劇場公開され大ヒットを記録した。
アガサ・クリスティ作品の特徴を挙げるなら、「人物描写と伏線筆致の見事さ」に尽きるだろう。古典ミステリゆえ、現代からすればトリックはそこまで目新しく感じない。だが、その提示が真に周到。それぞれに事情を抱えた登場人物たちが、犯行/事件への巻き込まれを通じて「うっかり」本音をさらけ出してしまう。ポアロは観察と尋問を通じて欠片たちを拾い集め、事件の全体像を浮かび上がらせていく…。読み返せばきちんと理に落ち、尚且つ彼らに感情移入してしまう、ロジックと感情どちらも満たせるエンタメミステリなのだ。
②改変の是非:オリエント急行
前作『オリエント急行殺人事件』は駄作だった。何故なら原作を弄ったがゆえに、ミステリとして成立していないからだ。
『オリエント~』のトリックは「全員共犯」だ。デイジー事件がきっかけで人生を壊された複数人が、周到に計画を立ててオリエント急行に乗り込む。ところが名探偵が乗り合わせたために急ごしらえの嘘を吐いて、互いのアリバイを庇い合う。目ざといポアロは小さな嘘を拾い集め、乗客の素性を細大漏らさず割り出していく…。
しかしケネスブラナーは独自要素を打ち出し、ミステリーの肝たる伏線/回収をなおざりにした。その結果、時間トリックはうやむやになり、「赤い着物の女性」など回収されない無駄シーンは杜撰にも放置された。原作と違い医者は犯人サイドに与するのだが…彼が死亡推定時刻を弄れば万事済むのでは?という疑問も出てしまうほどだ。
③『ナイル~』における改変
以上と比較するなら、今作の改変は「許容できる」ものだ。
先ず、『ナイル~』の謎構造。『オリエント~』は身分の偽装→何故乗車したのか、と嘘/謎が殺人事件に直結する作りだった。対して今作は、本筋と関係ない謎が多い。「凶悪政治犯の潜伏」「親子の確執」「恋愛・男女観」とサブストーリーがあり、各人がポアロに嘘を吐いている。それを逐一解きほぐし、殺人事件と弁別していくドラマが展開していく。
ゆえに、人物配置や人間関係を大幅に改変しても齟齬が起きない。『オリエント~』の車掌ブークを再登場させ狂言回し役&第三の犠牲者にしたり、人種問題/同性愛などの現代テーマを付加してもOKだ。
個人的に、全ての乗船者がリネットと関係する=動機があるとした改変には賛成だ。映画でもサブストーリーを展開すると話がとっ散らかるし、何より前作と対照的な作りになるからだ。『オリエント~』は(一見)誰にも動機がないミステリー…ならば『ナイル~』を全ての人が疑わしいとした方が、マンネリ感も薄れるだろう。
④ミステリ映画としての出来
だが矢張り、ミステリ映画としては稚拙だ。
第一に、またぞろ「時間感覚のない」ミステリーとなっている。第一の事件であるリネット殺害は、真夜中に発生した。原作小説においては乗船客の内、動機のあるグループにはアリバイがあり、アリバイのないグループには動機がない。時間が分刻みで辿れるからこそ、犯人は一人に絞れるのだが…映画はそこが蔑ろなため、ポアロの充て推量感が高まってしまう。
次に、伏線描写の薄さだ。ネタバレになるが、『ナイル~』のトリックは「交換殺人」だ。元カップルのジャクリーン・サイモンは裏で繋がっており、財産或いは愛のために殺人を犯す。第一の殺人では狂言銃撃を企て、(この段階では無傷の)サイモンがリネットを殺す。第2・3の事件ではサイモンにアリバイがある中でジャクリーンが殺人を犯す。かくして単独では実行不可能な殺人を完遂させるのだ。
原作では、伏線の巡らせ方が周到だ。サイモンが「撃たれた」後では、くどいほど怪我の描写が入る。そのため読者は、彼を容疑者リストから外すよう見事にも誘導される。空砲と赤インクのネタバレは、衝撃を持って受け入れられる。
また、第二の事件では生存の被害者は奇妙な仄めかしをするが、会話の席にサイモンが居たがゆえの行動だった。或いは第三の事件では、ジャクリーンの射撃の腕前についてメロドラマパートで触れられていた。
かような伏線が、映画では貼られていない。そのため(『オリエント~』と同じだが)、ポアロの一人相撲感が高まってしまう。犯人が自供したから助かったようなものだ。
⑤ケネス・ブラナーの過去作
なぜこうなるのか。一言でいえば、ケネス・ブラナーが良く言えばアレンジ、悪く言えば原作/ジャンルを軽視するからだ。
アレンジが功を奏したものなら、『マイティー・ソー』が好例だ。マーベル原作のコミック映画なのだが、ケネスは(シェイクスピア俳優なだけに)シェイクスピア要素をふんだんに盛り込んだ。MCUにしてはアクションが少ない1作だが、シェイクスピア劇の大仰さとコミック映画の外連味が見事にマッチ。また、「大いなる力を持つ者のエゴと孤独」というテーマは、ケネス版ポアロの造形に通じるところが多い。
最悪だったものなら、『エージェント・ライアン』が挙がる。特殊工作員ジャンル、それもあのトム・クランシー原作ならリアル&シリアスになるべきなのに、この映画のスパイ劇は何とも間抜けだ。パンピー女性が、何故か喜々として恋人の仕事を手伝い出す。ラスボスを出し抜く作戦では、機密アイテムの入った財布をぶつかって掏摸し、もう一度ぶつかって懐に戻す。これは…コントじゃな?
主人公の内面を深堀りするのは良い。だが、ジャンル映画としての出来は…どれも高いとは言えない。
⑥結びに
『オリエント~』に続き、美術や撮影は流石に素晴らしい。太陽降り注ぐエジプトの観光、カルナック号のクルーズは目も綾なシーンだ。だが、そのカルナック号の客室配置を原作から変え、リネットが殺害される寝室を船尾にしてしまった。
船首2Fで狂言銃撃を実行し、居合わせたブークが医者を呼んで戻るまでに船尾への往復、殺害、銃による自傷&隠匿を誰にも見られず熟せるのか?映像的に不可能なのだが、ケネス・ブラナーの念頭には無かったのだろう。彼はミステリを語る気がないのだから。
最後に一作紹介して締めることとする。ライアン・クーグラー監督の『ナイヴズアウト』だ。大富豪の死、個性豊かな面々が集まる洋館での殺人など、クリスティーオマージュは随所にある。だがこの作品が素晴らしいのは、伏線を映像で回収してくれるからだ。
番犬の反応、ボケ老婆の言葉、突発嘔吐症など、シュールギャグに思えた小ネタの全てが、安楽椅子探偵の種明かしで回収されていく。謎は全て解消され、最後に残るのは爽快感だけ。映画だって、パズラーミステリーは魅せられる。
3000字評でした。映像綺麗で名優いっぱい出てるけど…それだけだな…。
粗筋 美貌の資産家、リネットは友人ジャクリーヌの婚約者サイモンを奪い取って結婚。ナイル川を遡るハネムーンクルーズに旅立ったため、ジャクリーヌは道々で姿を現し復讐をたくらむ。恐怖を感じたリネットは偶然居合わせた名探偵ポアロに解決を求めるのだが、豪華客船で夜半銃声が鳴り響き…。
①作品概説
原作は言わずと知れた、ミステリの女王アガサ・クリスティの小説。これまで余多の映像化を経たポアロシリーズを、名優ケネス・ブラナーが映画化。前作『オリエント急行殺人事件』は2017年に劇場公開され大ヒットを記録した。
アガサ・クリスティ作品の特徴を挙げるなら、「人物描写と伏線筆致の見事さ」に尽きるだろう。古典ミステリゆえ、現代からすればトリックはそこまで目新しく感じない。だが、その提示が真に周到。それぞれに事情を抱えた登場人物たちが、犯行/事件への巻き込まれを通じて「うっかり」本音をさらけ出してしまう。ポアロは観察と尋問を通じて欠片たちを拾い集め、事件の全体像を浮かび上がらせていく…。読み返せばきちんと理に落ち、尚且つ彼らに感情移入してしまう、ロジックと感情どちらも満たせるエンタメミステリなのだ。
②改変の是非:オリエント急行
前作『オリエント急行殺人事件』は駄作だった。何故なら原作を弄ったがゆえに、ミステリとして成立していないからだ。
『オリエント~』のトリックは「全員共犯」だ。デイジー事件がきっかけで人生を壊された複数人が、周到に計画を立ててオリエント急行に乗り込む。ところが名探偵が乗り合わせたために急ごしらえの嘘を吐いて、互いのアリバイを庇い合う。目ざといポアロは小さな嘘を拾い集め、乗客の素性を細大漏らさず割り出していく…。
しかしケネスブラナーは独自要素を打ち出し、ミステリーの肝たる伏線/回収をなおざりにした。その結果、時間トリックはうやむやになり、「赤い着物の女性」など回収されない無駄シーンは杜撰にも放置された。原作と違い医者は犯人サイドに与するのだが…彼が死亡推定時刻を弄れば万事済むのでは?という疑問も出てしまうほどだ。
③『ナイル~』における改変
以上と比較するなら、今作の改変は「許容できる」ものだ。
先ず、『ナイル~』の謎構造。『オリエント~』は身分の偽装→何故乗車したのか、と嘘/謎が殺人事件に直結する作りだった。対して今作は、本筋と関係ない謎が多い。「凶悪政治犯の潜伏」「親子の確執」「恋愛・男女観」とサブストーリーがあり、各人がポアロに嘘を吐いている。それを逐一解きほぐし、殺人事件と弁別していくドラマが展開していく。
ゆえに、人物配置や人間関係を大幅に改変しても齟齬が起きない。『オリエント~』の車掌ブークを再登場させ狂言回し役&第三の犠牲者にしたり、人種問題/同性愛などの現代テーマを付加してもOKだ。
個人的に、全ての乗船者がリネットと関係する=動機があるとした改変には賛成だ。映画でもサブストーリーを展開すると話がとっ散らかるし、何より前作と対照的な作りになるからだ。『オリエント~』は(一見)誰にも動機がないミステリー…ならば『ナイル~』を全ての人が疑わしいとした方が、マンネリ感も薄れるだろう。
④ミステリ映画としての出来
だが矢張り、ミステリ映画としては稚拙だ。
第一に、またぞろ「時間感覚のない」ミステリーとなっている。第一の事件であるリネット殺害は、真夜中に発生した。原作小説においては乗船客の内、動機のあるグループにはアリバイがあり、アリバイのないグループには動機がない。時間が分刻みで辿れるからこそ、犯人は一人に絞れるのだが…映画はそこが蔑ろなため、ポアロの充て推量感が高まってしまう。
次に、伏線描写の薄さだ。ネタバレになるが、『ナイル~』のトリックは「交換殺人」だ。元カップルのジャクリーン・サイモンは裏で繋がっており、財産或いは愛のために殺人を犯す。第一の殺人では狂言銃撃を企て、(この段階では無傷の)サイモンがリネットを殺す。第2・3の事件ではサイモンにアリバイがある中でジャクリーンが殺人を犯す。かくして単独では実行不可能な殺人を完遂させるのだ。
原作では、伏線の巡らせ方が周到だ。サイモンが「撃たれた」後では、くどいほど怪我の描写が入る。そのため読者は、彼を容疑者リストから外すよう見事にも誘導される。空砲と赤インクのネタバレは、衝撃を持って受け入れられる。
また、第二の事件では生存の被害者は奇妙な仄めかしをするが、会話の席にサイモンが居たがゆえの行動だった。或いは第三の事件では、ジャクリーンの射撃の腕前についてメロドラマパートで触れられていた。
かような伏線が、映画では貼られていない。そのため(『オリエント~』と同じだが)、ポアロの一人相撲感が高まってしまう。犯人が自供したから助かったようなものだ。
⑤ケネス・ブラナーの過去作
なぜこうなるのか。一言でいえば、ケネス・ブラナーが良く言えばアレンジ、悪く言えば原作/ジャンルを軽視するからだ。
アレンジが功を奏したものなら、『マイティー・ソー』が好例だ。マーベル原作のコミック映画なのだが、ケネスは(シェイクスピア俳優なだけに)シェイクスピア要素をふんだんに盛り込んだ。MCUにしてはアクションが少ない1作だが、シェイクスピア劇の大仰さとコミック映画の外連味が見事にマッチ。また、「大いなる力を持つ者のエゴと孤独」というテーマは、ケネス版ポアロの造形に通じるところが多い。
最悪だったものなら、『エージェント・ライアン』が挙がる。特殊工作員ジャンル、それもあのトム・クランシー原作ならリアル&シリアスになるべきなのに、この映画のスパイ劇は何とも間抜けだ。パンピー女性が、何故か喜々として恋人の仕事を手伝い出す。ラスボスを出し抜く作戦では、機密アイテムの入った財布をぶつかって掏摸し、もう一度ぶつかって懐に戻す。これは…コントじゃな?
主人公の内面を深堀りするのは良い。だが、ジャンル映画としての出来は…どれも高いとは言えない。
⑥結びに
『オリエント~』に続き、美術や撮影は流石に素晴らしい。太陽降り注ぐエジプトの観光、カルナック号のクルーズは目も綾なシーンだ。だが、そのカルナック号の客室配置を原作から変え、リネットが殺害される寝室を船尾にしてしまった。
船首2Fで狂言銃撃を実行し、居合わせたブークが医者を呼んで戻るまでに船尾への往復、殺害、銃による自傷&隠匿を誰にも見られず熟せるのか?映像的に不可能なのだが、ケネス・ブラナーの念頭には無かったのだろう。彼はミステリを語る気がないのだから。
最後に一作紹介して締めることとする。ライアン・クーグラー監督の『ナイヴズアウト』だ。大富豪の死、個性豊かな面々が集まる洋館での殺人など、クリスティーオマージュは随所にある。だがこの作品が素晴らしいのは、伏線を映像で回収してくれるからだ。
番犬の反応、ボケ老婆の言葉、突発嘔吐症など、シュールギャグに思えた小ネタの全てが、安楽椅子探偵の種明かしで回収されていく。謎は全て解消され、最後に残るのは爽快感だけ。映画だって、パズラーミステリーは魅せられる。
3000字評でした。映像綺麗で名優いっぱい出てるけど…それだけだな…。
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