ドキドキ文芸部! 雑記
2018年10月29日
淫夢実況で今更知ったのでプレイ。なかなかに思うことがあったのでつらつら述べる。
①『Doki Doki Literature Club!』概要
Steamにて配信されているTeam Salvato制作の恋愛ADV。海外のインディーズデベロッパー産ゆえに英語のみだが、非公式の日本語化パッチもある。
幼馴染のサヨリに勧められるまま文芸部に入部した主人公。キュートなナツキ、クールなユリ、部長のモニカと楽しい学園生活が…遅れるのは1周目まで。
各人は闇を心の内に秘めており、物語が進むにつれ徐々に明らかになっていく。サヨリは鬱、ユリはヤンデレ、そしてモニカは…。
②モニカのメタフィクション性
文芸部部長のモニカは意思を持ったプログラムだった。全てが虚構の世界の中で唯一異質な存在である「こちら」に気付き、恋をした。直接対面している「主人公」ではなくその向こう側に居る「プレイヤー」を知覚したモニカは、二人きりになれるよう世界に干渉する。サヨリは自己否定の果てに縊死し、ユリは愛に発狂し割腹。ナツキは意識を改変されゲロインになる。全ては消え、モニカとプレイヤーだけの世界が訪れる。
③臭作との相違点
キャラクターがプレイヤーを知覚するエロゲーノベルゲームというと、『臭作』を思い出す。女学校の用務員が盗撮・脅迫・強姦に及ぶ鬼畜ゲーなのだが、裏ルートでメタ要素が入り込む。健太(プレイヤー)がゲームに、臭作が現実に入れ替わることで、主導権が逆転するのだ。臭作の操作に悩まされながらも、真ヒロイン絵里の助けを借り傷つけない道を選ぶ健太。現実に戻った彼は、モニター越しに絵里と手を重ね合う…。
だが両作品の性質は正反対だ。臭作が「体験」する作品であるとするなら、Doki Doki Literature Club!は「観察」する作品だからだ。言語と文章・メタギミックと反応の視点で論じて行こう。
④英語と日本語
このゲームは英語で記述されている。
地の文において「変だ。」という描写は日本語では成り立つ。「私は状況に違和感を覚えた。」では、却って翻訳調で堅苦しいほどだ。一方、英語では"It sounds odd to me.”と必ず主語と目的語がなければならない。
日本語における省略は何故成り立つのか。文法制約の緩さは勿論だが、文学的な傾向も一因だろう。日本独自と言われる日記文学では、一つの文の中で客観的事実と思索感情が同時に存在する。
ノベルゲームは日本でこそ異常進化した。文章は2段組テキストボックスに制限された一方、会話の相手は立ち絵、シーンは一枚絵で表示できる。それらは省略と語り文体という独特の文化を生み出した。
⑤メタギミックと(無)反応
メタ作品は数あれど、Doki~は意欲的にゲームならではの演出を取り入れている。テキストボックスを隠すようにモニカが被さる、文字化けや早送りによる改竄、カーソル強制移動、ファイルの操作etc…。
前項で述べたように、(日本の)ノベルゲームは事実の描写と主人公の思惟が入り混じった独特の文体が特徴だ。文章を読み進めるうちに、否が応でもプレーヤーは主人公と同化し世界に没入していく。
Doki~は日本の恋愛ADVのツボを押さえた作品ではあるが、没入を妨げる意味で決定的に異なる。端的に言えば、無反応なのだ。健全な1週目では、主人公は感情豊かだった。美少女と顔が近づいてドギマギしたり、親友の苦衷に涙したり。だが彼が感情を露にするのはサヨリの自殺までだ。ホラー色の強まる2週目以降、主人公は回りの出来事に無感動になる。話しかけられ、返答はするが内的な思考は消えていく。
推測するに、サヨリの死で主人公自身の心も死んだのだ。2周目以降は(モニカによって)定められた役割を虚ろに演じるだけ。どれだけ(プレイヤー視点で)異常な事態が起きても彼は動じない。共に悩み共に泣く投影先ではなく、事態を淡々と観察するファインダーでしかなくなった。
⑥結びに
ショッキングな演出は多々あるが、世界への没入が阻害されたが故に喪失感・重さのないライトな作品だったように感じる。
モニカと二人だけの世界で、「あなた」には選択肢が与えられる。無限に他愛ない話のループをするか、モニカをキャラクターファイルから消去してエンディングに進むか。「体験」する作品ならその決断に胸が痛んだかもしれない。だがこの先を「観察」してみたい。
「あなた」は必ずモニカを殺す。
①『Doki Doki Literature Club!』概要
Steamにて配信されているTeam Salvato制作の恋愛ADV。海外のインディーズデベロッパー産ゆえに英語のみだが、非公式の日本語化パッチもある。
幼馴染のサヨリに勧められるまま文芸部に入部した主人公。キュートなナツキ、クールなユリ、部長のモニカと楽しい学園生活が…遅れるのは1周目まで。
各人は闇を心の内に秘めており、物語が進むにつれ徐々に明らかになっていく。サヨリは鬱、ユリはヤンデレ、そしてモニカは…。
②モニカのメタフィクション性
文芸部部長のモニカは意思を持ったプログラムだった。全てが虚構の世界の中で唯一異質な存在である「こちら」に気付き、恋をした。直接対面している「主人公」ではなくその向こう側に居る「プレイヤー」を知覚したモニカは、二人きりになれるよう世界に干渉する。サヨリは自己否定の果てに縊死し、ユリは愛に発狂し割腹。ナツキは意識を改変され
③臭作との相違点
キャラクターがプレイヤーを知覚する
だが両作品の性質は正反対だ。臭作が「体験」する作品であるとするなら、Doki Doki Literature Club!は「観察」する作品だからだ。言語と文章・メタギミックと反応の視点で論じて行こう。
④英語と日本語
このゲームは英語で記述されている。
地の文において「変だ。」という描写は日本語では成り立つ。「私は状況に違和感を覚えた。」では、却って翻訳調で堅苦しいほどだ。一方、英語では"It sounds odd to me.”と必ず主語と目的語がなければならない。
日本語における省略は何故成り立つのか。文法制約の緩さは勿論だが、文学的な傾向も一因だろう。日本独自と言われる日記文学では、一つの文の中で客観的事実と思索感情が同時に存在する。
ノベルゲームは日本でこそ異常進化した。文章は2段組テキストボックスに制限された一方、会話の相手は立ち絵、シーンは一枚絵で表示できる。それらは省略と語り文体という独特の文化を生み出した。
⑤メタギミックと(無)反応
メタ作品は数あれど、Doki~は意欲的にゲームならではの演出を取り入れている。テキストボックスを隠すようにモニカが被さる、文字化けや早送りによる改竄、カーソル強制移動、ファイルの操作etc…。
前項で述べたように、(日本の)ノベルゲームは事実の描写と主人公の思惟が入り混じった独特の文体が特徴だ。文章を読み進めるうちに、否が応でもプレーヤーは主人公と同化し世界に没入していく。
Doki~は日本の恋愛ADVのツボを押さえた作品ではあるが、没入を妨げる意味で決定的に異なる。端的に言えば、無反応なのだ。健全な1週目では、主人公は感情豊かだった。美少女と顔が近づいてドギマギしたり、親友の苦衷に涙したり。だが彼が感情を露にするのはサヨリの自殺までだ。ホラー色の強まる2週目以降、主人公は回りの出来事に無感動になる。話しかけられ、返答はするが内的な思考は消えていく。
推測するに、サヨリの死で主人公自身の心も死んだのだ。2周目以降は(モニカによって)定められた役割を虚ろに演じるだけ。どれだけ(プレイヤー視点で)異常な事態が起きても彼は動じない。共に悩み共に泣く投影先ではなく、事態を淡々と観察するファインダーでしかなくなった。
⑥結びに
ショッキングな演出は多々あるが、世界への没入が阻害されたが故に喪失感・重さのないライトな作品だったように感じる。
モニカと二人だけの世界で、「あなた」には選択肢が与えられる。無限に他愛ない話のループをするか、モニカをキャラクターファイルから消去してエンディングに進むか。「体験」する作品ならその決断に胸が痛んだかもしれない。だがこの先を「観察」してみたい。
「あなた」は必ずモニカを殺す。