セックス・ピストルズ~漫画と映像と時間表現と~
セックス・ピストルズ~漫画と映像と時間表現と~
 グダグダ語ってますが、要はジョジョ7話のアクション表現はダサいっていう話です。

https://magiclazy.diarynote.jp/201711052300504107/
 このブログで度々名前を出すが、名著Understanding comicsの4章"Time Frame”にこんな評論がある。「漫画はコマとコマの間の時間、1コマに流れる時間を自在に操れる表現媒体である」と。同じ画でも効果音・視覚効果で一瞬でも十数秒にでも感じさせられ、普通に発話すれば10秒以上かかる台詞も「一瞬の感情の発露」として受け取らせることも出来る。
 これは原作のジョジョに顕著だ。キャラクターの深掘りをアクションの中で荒木氏は行う。回想シーンを挟まずとも、口調・思想から人となりが伝わる。絵的な興奮とドラマ的な面白さが両立してるからこそ、ジョジョはオンリーワンなバトル漫画なのだ。
 
 では、ジョジョのバトルシーンは映像化不可能なのか?違う。漫画文法を用いて成功した実写映画が一つある。ザックスナイダーの最高傑作、「スリー・ハンドレッド」だ。
https://www.youtube.com/watch?v=HdNn5TZu6R8
https://www.youtube.com/watch?v=D0xSqLrG-ow
 彼はフランクミラーの原作に多大なリスペクトを払った。アクションシーンに悉く原作の構図を配置し、静止画の連続の間を埋めるように早送りを配置。スロー→早回し→スロー→早回しは以後のアクション演出を一変させた。この手法も万能ではないのだが、殊今回のジョジョに関する限り使う必要性はあった。何故なら銃という速さが命の武器なのだから。

https://www.nicovideo.jp/watch/sm34184033
 で、5部7話の銃撃シーン。ピストルズが出現して以降時間の流れがずっと等速なのは本当にダレるし、構成も上手くない。ミスタやピストルズの台詞はアクションの中に配する必然性がないのだ。スタンドへの激励は事前に済ませられるし、ピストルズ同士の連携も食事シーンでの掛け合いで済ませられた筈。発砲→弾道変更→着弾という本来一瞬で終わり、だからこそ見ごたえのあるシーケンスを30秒だらだら流すのだから台無しになって当然だ。

 とはいえ、david production制作のジョジョも5部まで続いているのだから、この電気紙芝居方式も支持されているのだろう(アニメファンなのか、ジョジョ信者かは別にして)。この調子ならエアロスミスも期待できそうにない。ナランチャがグッダグダ長台詞をくっちゃべっているのに何時になっても相手に辿り着かない、亀より遅いスタンドになるのだろうな。

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